新茶・うめぼし・昔のおんな

沖縄にいくと、しばらく誰かれとなく沖縄の話をするようになる。これを「沖縄病」という。
能登にいくと、同じような現象の原因不明な感染症がある。「能登病」とはいわないけど、沖縄病
になんとなく似ている。
今回、能登に3日いて、それから大阪にいき、フェリーで門司港までいった。その後も、熊本の
天草からフェリーで口之津まで渡り、帰りも同じコースで、天草やら玉名などに寄り道して帰ってきた。
昨日は、ひがな一日、ガラガラヘビよろしく炭火焙煎をし、近くのカフェを二軒梯子して、「九州の話」
をしてきた。「九州病」に羅病したとばいね?

今日は東京は朝から曇り空。気温もあまりあがらないようだけど、少し深めに焙煎し、水出し珈琲をしかけ、
元気にばんばん蕎麦を打った。アイス珈琲の美味しい季節がやってきた。
気温があがると、そばも「あったかい蕎麦」(カレー・鳥そば・能登牛すじ蕎麦)より、ざるそばや梅おろしそば
を所望する人が増えてくる。だから「かえし」をつくる作業が忙しくなる。

梅といえば、来月は「梅仕事」。自分で源流からやりたい人は、能登へきてもらって、梅を摘む、からやる。
そうすれば、食べ物でいう「一物一体」みたいに、「理(ことわり」が体にしみる。料理も、いろいろな「料」(食材)の
「理」(こちわり)のことをいう。もっといえば、剪定をやったり、まわりの雑草といわれる植物たちを、風通しのさまたげに
ならぬよう、風道をつくってあげたりするお世話をすると、植物たちと話ができるようになってくる。
6月は、「田植え」もする。今年ワークマン女子の「田植え用長靴」を買って、また原稿用紙に一文字一文字をいれるように、
稲を植えたいと思う。3年前まで、九州の実家の「松の手入れ」も6月にやっていた。
雨が多く、地味な月だけど、よくよく考えると滋味につながる大事な季節。

今日くらい、ひょっとしたら、福岡から新茶が届く。昨日の「天声人語」にあったけど、日本人が茶を飲む量が、以前の3割以下
になっているらしい。「おいおい」と思うけど、まわりを見ても、そげなふうになってきた。
九州の御茶を急須にいれて飲むとうまかばい・・・とおらぼーごたる。

昨日は、陶芸家の久保さんから新作の珈琲カップが届いた。高台がついていて、横から見ると、抹茶盌を眺めるような風合いになる。
ひとつをリュックに入れ、留守中お世話になる文庫ちゃんのところへ、長崎土産といっしょにもっていった。
九州の話を機関銃トークしていたら、カップをあげるのを忘れた。最近物忘れなる老人力が加速している。
予防をかねて、若い美人店主・たねちゃんがいるカフェ「オフ珈琲」にいって、新作のカップをあげ、四方山話をしてきた。
久保さんのこんどのカップは、深煎りの珈琲をハンドドリップすると、真価を発揮するようだ。
たねちゃん、から連想。島原に「タネト」という東京から移住したご夫婦がやっている直売所がある。まじめに食べ物や染色などを
やっている人たちの「もの」が生き生きと並んでいる。ぼくがときどき蕎麦会をやる時、かけつけてくれる農業家の野菜をいっぱい買って帰った。
「くちのつ巷珈琲焙煎所(&美容院ビーナス)」「タネト」「彩雲」・・・島原の三種の神器みたいなお店。

ひさしぶりに、シルバー川柳を二題ほど

・手をつなぎ 昔はデート いま介護
・忘れもの ブツブツとなえて 取りにいく

長崎のお米も美味いけど、肥後米はやっぱ、うまかっちゃん!

口之津(くちのつ・南島原の最南端の港)の「くちのつ巷珈琲焙煎所」(墨田から6年前に移住したなつきくん
が営んでいる。)に無事竈を届けた。じゅんちゃんが、近くの元美容院(美容院ビーナス)を改装して、カフェ&ときどきおでんや&月曜の朝は卵かけごはん(これはこれから)
を始めた。音楽祭も立ち上げ、地元のアーティストたちが集い、身土不二な音楽を楽しんだり、いろいろな発信をしている。そこで能登の竈がつかわれ、能登ジェラトン(隕石粉入り器)が使われたちするようになった。これからじゅんちゃんのことを、みなが「この星の王女さま」と呼ぶようになるかもなんばん。

能登の地酒・「遊穂」(UFOの街・羽咋の銘酒)も、3本能登から届けた。それを飲みながら、空を見上げると、UFOが見えると思う。
そんなバカ話をしながら談論風発し、じゅんちゃんちに一泊させてもろうて、翌日の朝、口之津港からフェリーで天草へUターン。
吉田拓郎の♪わざわざ見送ってくれて 女の子みたいに・・・
よろしく、じゅんちゃんたちが、堤防で手をふってくれていた。

釣師や魚好きに定評な民宿がその日の宿。
お酒を飲むのを忘れるくらい、魚料理が美味く、舌鼓を打つ。「くまさんの力」「森のくまさん」というお米も美味かった。
夜のニュースに、長崎に東京からUターンしてきた若夫婦が営む民宿が
紹介されていた。
ここは、ぜひいってみたい宿なので、メモ替わりに、自分のブログにのせることにした。
「小値賀島 弥三」(やさおとこでないけど、ヤサ・・・島の名前はオジカジマ、と呼びます)。

よく朝、天真庵のHPにリンクしている「たまな創生舘」の館長・橋本太郎先輩のところへ顔をだす。
築100年以上たつ実家を改装し、自然派の食堂・カフェ・ギャラリー、そして農機具がひしめいた倉庫を改装してコンサートホールに
した。さながら「田舎の文化塾」だ。無農薬・無肥料・無除草剤で育てた「くまもんの気骨のお米(勝手にぼくが命名)」をわけていただいた。
くまもとのお米は、昔から、東の大関「加賀米」とならぶ西の大関「肥後米」といわれ、名にしおう米どころだった。肥後もっくす館長が「♪おんなのこみたいに」
わざわざ見送りをしてくれて、門司港目指す。久留米から高速を降りて下道をゆっくり走る。秋月城跡あたりの評判の蕎麦屋で蕎麦を手繰り、
お店で使っている「本葛」を調達し、筑豊の道の駅・おおとう桜街道で温泉に浸かり、門司の街中のコインランドリーで旅の衣を洗い出発。

門司のフェリーで横須賀までいく。夜おそい出発(11時50分出発・翌実の20時45分到着)なので、次回は生まれた街・小倉の夜を楽しみたいと思う。
もうすぐ九州でも「杜人(もりびと)」が上映される。となりの門司出身の気骨ある男のドキュメント映画。♪こころもじもじ 気は佐世保 さのヨイヨイ!感謝。

旅先で焙煎

ひさしぶりに九州の空気を吸っている。
海の匂いも、薫風の匂いも、やはり懐かしい。
自分の生まれた土地、というのは、母の子宮の中みたいなものなのだろう。

旅先でも、豆の注文をいただく。ので・・・
旅先の宿の庭を借りて、能登の珪藻土七輪で焙煎。
その後、温泉に入って焙煎匂いと汗を流し、近くの郵便局から
レターパックにておくることにする。

今日は、南島原に移住したなつきくん、じゅんちゃんに頼まれた「珪藻土竈」を
納品する。天草からフェリーにのって、くちのつ港にいく予定である。
明日は門司港までもどって、フェリーで東京に向かう。

「豆と能登七輪の旅」も、いよいよ終盤だ。
なかなか充実した旅だった。感謝。

沖縄の風

今日は沖縄が本土復帰50年。
あまり関係ないばってん、3年ぶりに九州に里帰り。
といっても、実家は親父が亡くなって売却したので、帰る家はなくなっった。
「ふるさとに帰る」というのは、生まれた場所にもどることだけど、そこに「人がいる」から
だと思う。母は90になり、妹の嫁いだ家から徒歩3分の施設で元気にいてくれて、母の日の花をおくると
自分で電話をかけてきて「きれいかったばい」とか元気に応対できる。まだまだコロナが治まらないので、施設の庭
から手を振りながら、電話で話す、という手段で再会した。

妹は孫たちの世話で、けっこうてんやわんやの元気おばあちゃん。
「能登の七輪で、孫たちに魚とかを焼いて食べさせたい」というので、能登を出発する前に、
珠洲の七輪たさんにいく。コロナのおかげで、「七輪」が見直されていて、能登の道の駅も、
東京の合羽橋も「いつ入荷されるか未定」な状態。少し落ち着きを見せてきた様子だったけど、
最近は「海外需要」で、また忙しそうにしていた。つい最近まで、合羽橋の売れ筋は「日本の研ぎが必要なホンモノ包丁」で、
包丁やさんに青い目の外人さんが跋扈していたけど、今は、通販で「七輪」がうれている。
日本ではアウトドア用品といえば、横文字の外国産が人気があり、バーベキューの時は「鐵板」のもので
「外で食べたらおいしい・・・ぼりぼり・・」スタイルが普通だが、海の向こうでは「日本の珪藻土七輪で肉を焼いたら、
べつもんバイ・・・ぼりぼり」が浸透しているみたい。本家どり?・・・相変わらず、日本人は自分たちのまわりに昔からある「ホンモノ」
に気づかない民族なのかもなんばん・・

そんなことはどうでもいいけど、そんなわけで、九州に能登の珪藻土七輪がひとつ上陸した。
車の中には、いつでもどこでも焙煎できるように、七輪と焙煎機を積んでいる。
天草のお店から注文があったけん、今日はそちらに向かう。
魚や肉を焼くときに、「七輪」の威力が発揮するばってん、一番は、「珈琲の焙煎」じゃないかしらん。
嗜好品だから、10人いれば10人の意見があるけど、「べつもん」になるような気がする。
これもまた、灯台下暗しで、日本で広まるまで時間がかかる。いっそのこと、シアトルあたりにもって
いこうか?なんて、半分ほんきで思ったりする今日このごろ・・    感謝

究極の珈琲を淹れるコツ?

昔から
「地獄より熱く、恋のように甘く、思い出のようにほろ苦く」
のいうのがあった。

♪昔アラブの偉い坊さんが・・・
ではなく、フランスの伯爵。名前をシャルル=モーリス・ド・タレーラン。
政治家でもあり美食家でもあり、おフランスの彼の珈琲哲学は、永い間、世界中の珈琲党の
目標でもあった。

「珈琲タレーランの事件簿」(また会えたらなら、あなたの淹れた珈琲を)という本が人気らしい。
タレーランは、そのタレーラン。京都の喫茶店「タレーラン」を舞台にしたもので、作家は福岡出身で京大
法学部出身の岡崎琢磨さん。読んでみたい本だ。

一昨日、能登のお店から豆の注文がきて、朝からガラガラ炭火焙煎をし、納品。昨日は
また違う店から、思った以上の注文をいただき、今日納品した。
最近輪島に移住して、日本料理屋を始めた話題のお店の主人が、気にいっていただき、注文をもらった、ということだ。
まだそのお店にいったことはないけど、関西から能登へ移住、というから、きっとぼくの修行先の珈琲は飲んで
いたに違いない。ほんまに「おーきに」といいたくなるくらい、ありがたいことです、ホンマ、ほんなこつ、感謝。

明日は能登から九州にもどる帰路につくので、輪島から帰る帰路にあるある「食堂」へ・・・
そこの主人は、81歳。40歳で早期退職をしてお店を開いた。
入り口がふたつ。左のほうの部屋から、笑い声が聞こえた。そこからでてくるお客さんは、みなクーラなどをもってでてくる。
駐車場の隅っこに車を止めようとすると、でてきたおばさまが「すぐでるから、ここにとめて」といって笑った。
車をとめて、その左の玄関から入ろうとすると、「入り口は右からどうぞ」といわれ、それにしたがう。
つまり、左が常連さん、右が一見さん・・・だ。べつに問題なし。。

一番人気が「かつ丼」で、850円。二番人気が「焼きめし」800円。同じくらい人気が能登が原点のオムライス850円。
ぼくが焼きめし、筆子さんがオムライスを注文した。能登の海でとれたワカメと、門前の上質な豆腐の味噌汁と、生ハムとレタス、トマトのサラダ
がついてこの価格。さすがに、40年も続く店だけに、たいへん美味しく仕上がっていた。となりの常連席の人が、足立ナンバーの車(ぼくたち)に
、「遠いところからわざわざありがとう」とか「この店は、みんなマイモン」といって、マイモン、これはこちらの方言といって笑った。
「大丈夫ですよ、ぼくらは能登4年生、マイモンが『うまいもん』くらいはわかります」と答えたら、また笑っておられた。「米寿になった」とか「あがった」(これは思い出のようにほろ苦い?)とか・・みんな人生の先輩たちだ・・・

女将さんが「お口にあいましたか?」といって、お膳を下げにきた。「味はわかりませんが、珈琲がつきます」といって、
白い磁器の珈琲カップに、ちゃんとした珈琲がでてきた。
珈琲つきでこの値段。
思わず「大変けっこうなオカゲンの珈琲です」と答えたら、隣の部屋のおばあちゃんたちが「いっこうにフカゲンですいません」と答える。

こんな不思議な「食堂」が、門前にある。「能登はやさしや土までも」というが、やはり「ひと」がやさしいのです。
こんな土地で、すこしづつではありますが、ぼくの「ほぼぶらじる」が静かに手ごたえを感じながら広がってきた。
タレーランには遠く及ばないけど、ぼくの「おいしい珈琲を淹れるコツ」は

のみ口 ひと口めが すっきり
人肌に さめても まったり
あと口 余韻が 一時間

五月の風が吹いたら、能登にイルカがくる

風薫る能登路を気持ちよく走ってきた。
空気がおいしい。先日のお昼、カウンターに若い女子がすわり、
蕎麦を手繰っていかれた。「能登おしの理由はなんですか?」と聞くので、
能登と東京の二股暮らし(世間ではデュアルライフとかいうらしい)の顛末を説明した。
「能登のどちらに?」と質問されたので「志賀(しか)ばい」と九州弁で返した。
志賀島とこの志賀はどうも根っこが繋がっていると思うっちゃん。
すると女子が「うちのおばあちゃん、志賀町に住んでいます」とのこと・・
たぶん、いつもタコ釣りにてくてく歩いていくエリアらしい。

そんな不思議な縁を感じながら、今朝は5時におきて、タコヤンをもって、いつもの海に歩く。
里山の木々には、巣食うように、薄紫色したシンクラメン、もとい萩が満開を迎えている。
縄文人は、萩が咲くと、イルカがやってくる、ということを知っていて、結(ゆい)で協力して
イルカを捕獲し、みなでわけ、イシリという魚醤で保存した。その「生き方」や「宗教観」や「食」
が今も日本人のDNAに残っている。

今朝は潮がひいていたので、海の底に、ナメコやサザエやあわびなどがよく見えた。
4年前までは、見えなかったけど、最近はタコが見えるようになってきた。
5分くらいして、岩場の小さな穴にタコの足を発見。そこにタコヤンを近づけたら、「眠いよ」
という感じで足ではらう。その足がタコヤンの針にひっかかり、水面まであがり、あと30cmで
あがる、というところでばれた。
それを見ていたタコすかしの名人じいちゃんが、「はらへってないタコやね」「それと産卵期で、食欲
よりアッチの欲のほうがかっとる時期なんや」・・といって、ブラックとかかれた缶珈琲を飲みながらカカっ
と笑った。数日前に、貞子さまに教わった「愛欲」といっしょ。タコも人間も・・・

沖からかえってきた漁師さんが、「そばのお礼」といって、グレとタイをくれた。
グレは、関西ではメジナ、九州では「クロ」といって、青黒い体につぶらな瞳の魚。
さっそく、ウロコをとって、三枚におろして、今朝は朝から高級魚が食卓にあがる。
炭火をおこしたので、塩焼きにしようと思う。ソテーにしても、クロは美味い。

朝飯が終わったら、炭火を七輪にうつして焙煎。明日、輪島と珠洲のお店に納品して、
次の朝、九州に向かう。

二週休むけど、次回の卵かけごはんは、竈(かまど)ぷらすお櫃(ひつ)

連休中は、いろいろ新しいお客さん、と、コロナでこれなかった人、これからカフェを
はじめる人、始めたばかりの人・・・多士済々の人たちがこられた。

昨日の3時ころ、マスクをしていても、ヤクザみたいな顔したおじさんがお店に入ってきた。
奥のテーブル席をすすめたばってん、「カンターがいい」というので、「どうぞ」になった。
熱心にメニューを見て、「まずアイス珈琲、その後ホット、そのあと能登牛筋カレー蕎麦」
という注文。声は真逆な高い優しそうな声。マスクをとったら、普通のひとやった。
・・・この人は、きっとカレーと珈琲のお店をどこかでやっているのだろう・・・

と思ったら、ピンポンだった。栃木で、カレーと珈琲のお店をやっているとのこと。
だれからか、「炭火珈琲の話」を聞いたらしく、栃木からわざわざこられた。
珈琲豆を仕入れられますか?と聞かれたけど、「いま、いっぱいで新規はお断りしている」と丁寧に答えた。
銀座を筆頭に東京のカフェや、能登のカフェの注文が増えてきて、追っつかないのが実情。

明日から能登なので、今朝いっぱい焙煎してもっていく。
「働けど働けど・・・・じっと手を見る」。そんな心境?あまり仕事をしている、という意識はないけど・・
明日から20(金)まで能登休み。
23日の月曜日は、卵かけごはん(8-10)。能登からお櫃をもってくる予定。
竈でごはんを炊き、お櫃にいれて、いい感じのごはんをつくりたい。感謝。

今日の真民さん

「両手の世界」

両手を合わせる
両手で握る
両手で支える
両手で受ける

両手の愛
両手の情
両手合わしたら
喧嘩もできまい

両手に持ったら
壊れもしまい

一切衆生を
両手に抱け

うんこミュージアムTOKYO

お台場に、そんなところができたらしい。
連休を利用して、親子でいってきた、というややヤンママさんに感想を聞いた。
なかなかおもしろそうだ。

田舎生まれのぼくは、九州の先輩に「女優さんは、うんこはせんとばい。
コンビニ(そのころあったのだろうか?)の🍙おにぎりみたいに、ビニールが
かかって出てくるっちぇ」と言われたことがあり、なんとなく、そんな伝説めいた話をしばらく
真に受けていたように思う。その先輩に「しっこはドゲーすると?」と聞いたら、
「ポッカレモンみたいなんがでると」とのことだった。しばらくポッカレモンが飲めなかった。

銀幕の大スターたちはそれほど、神格化されたもんだった、ということだろう。
京都に住んでいる旧友のKくん、という俳優さんは、今でも高倉健の映画をテレビで見る時、
家族全員に「正坐して観るように」というのが「しきたり」らしい。健さんにあこがれ、俳優になったのだが・・。

数か月くらい前、久保さんの新作の陶器の荷物の中にデコちゃん、こと「高峰秀子さん」の本が入っていて、
その中に、彼女の給与が時の総理大臣の吉田茂の何倍もあった、みたいな話があった。

先日、板橋の古本屋で「沢村貞子の献立日記」を見つけて、読んだ。多忙を極めた大女優さん
だったけど、生涯一汁一菜を基本とした料理を毎日つくり、大学ノートに記載した。
「食」は大女優にのっても命の源であり、「ごはんと味噌汁」を基本にした一汁一菜こそ、日本人
の土台をつくってきた、というのがよくわかる。弟さんは黒沢映画の常連だった加藤大介さん。
加藤さんの嫡男さんは「そばもん」で、そば打ちを高橋さんに学んだ。「兄弟子」さん、だ。
余談だけど311の後、一度天真庵にそばを手繰りにきてくれた。

晩年の沢村貞子さんは、東京から葉山のマンションにうつり、「老いの楽しみ」というエッセーをだした。
その中の文が、「らしく」て、いいので、紹介する。美しい人は、生涯、艶ぽいし、色気を失わない。
「使い方」を間違うと、無粋このうえない。男も女も。

ひとりで生きられない人間が、それぞれに心の中にじっと抱いているのは愛欲。
いつもは、そこにいることすら気づかないような、もの静かなこの欲は・・
あるとき、突然、烈しくふくらみ、金欲、権力欲など、ほかのすべての欲を押しのけるだけの強さをもっている。
この欲望は深い。

杜人(もりびと)・・・いい映画だったばい!

先週の水曜日に、吉祥寺パルコの地下のアップリンクに、「杜人」を見に
いく予定だったけど、急用が入って一週間ずれた。旗日になり、電車も
吉祥寺の街も人でごったがえしていたが、来週は「能登」にいくので、あちらには、
映画館などないから、がんばって雑踏をかき分けかき分け、たどり着く。
東京ではじめて住んだとこが、荻窪だったので、隣街みたいな吉祥寺はまだメガネをかけずにでも、
なんとか徘徊できるとこ。「寡欲都市TOKYO」(原田曜平)を読んで、この街を歩き、この杜人
を見ると、「今」がよくわかる。

コンクリートや、環境の変化で、地震や台風や大雨などの被害が屋矢継ぎ早で、しかも戦争モードになり、ぼくたちの
日常に安穏という言葉が死語になるくらい、大変な時代を迎えている。もとはといえば、わらわれ人間の欲が、そうさせたんだろうけど・・
この映画は、そんな瀕死の大地を、風や水やイノシシなど、杜の主の気持ちになって、再生させる「環境再生医の庭師」・
矢野智徳さんの奮闘の日々をおいかけたものだ。
「なんの矛盾もない、素直なドキュメント映画」なので、東京の人は、吉祥寺・・・これから、いろいろな映画館で上映されるので、
ぜひ見てほしい映画。九州でも今後見れそう!

映画の中に、彼が生まれた海が見える植物園がでてくる。「あ、門司」だ、とすぐにわかった。昭和31年北九州生まれ。ぼくと同じだ。
今は、公立の「北九州市立白野江植物公園」になっているけど、彼の親父さんがつくった。北九州にひとつしかない植物園。動物園は到津(いとうず)動物園
というのが小倉にある。
写真家の藤原新也さん、漫画家の松本零士さんも門司生まれ。九州の最果て、門司港で電車が終わる。「その後、どうなるんだろう」
という空想の中で「銀河鉄道999」が生まれた。老後に住みたい街の一番が北九州市らしい。東京や大阪からフェリーがつくとこが門司港やし、
高倉健さんの最後の映画「あなたへ」でも、門司港のレトロな街がいい感じで紹介されている。

全国的に知られる「炭坑節」。福岡県人は、みな3番まで歌えるし、酒席ではみな踊れる。3番に門司がでてくるとばい。
向島で遊んでいたころ、まだかっぽれが身についていなかったので、佳境を迎えると、芸者さんとよく「炭坑節」を
踊ったもんだ。

♪あなたは 一体全体何処の人 (ア、ヨイヨイ) 
顔は福岡 目は久留米
足は長崎  手は肥前
心もじーもーじ(門司門司) 気は佐世保       
艶っぽいね(これはぼくの感想)

来週の月曜日から能登休み
能登に3日滞在し、大阪から門司港にフェリーで渡り、3年ぶりに北九州に里帰り。

寺子屋で憲法

今日は憲法記念日。
世界中が戦争モードになってきて、憲法改正の声が、永田町でかしましくなりそうなムード。
確かに、戦争に負けて、アメリカが強制的に押し付けて、にわかにつくった憲法やけど、
ぼく的には、けっこう好きな日本語。
中学のころ、近くに寺子屋のような私塾があった。間違うと、ビンタは当たり前、ときどきは定規で
腕をビシッとたたかれ、公園のまわりを3周走る・・などというメニューがあったり、今の時代だと
ぜったいにあり得ないような「スパルタ教育塾」だった。東京19区の末松義規くんらと、机を並べ、
ビンタを喰らい、公園を走りながら学んだことを時々思い出す。

やはり、五月の風薫るような季節だったと思う。
「今日は、憲法の前文を覚えたら、帰っていい」という日があった。
頭の柔らかい時代である。時間の格差は多少あったが、みんな前文を覚えて、家にかえった。
そんな一日があった。半世紀も前のことだけど、不思議に今でも前文のぜんぶがいえるバイ。
意味はようわからんとこもあったけど、「よか日本語やな」と思った。

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。