血縁キャバレー 全員集合!

能登路を、少し痴呆老人よろしく、松本経由で飛騨高山を通過し、温泉宿で一泊コースの徘徊旅。
昨日、高山の日下部民藝館で「血縁キャバレー 全員集合」というイベントを観た。
天真庵でライブをやったことがある空五郎さんの家族がみなそろって、ときどきやるイベント。
ライブは、ライブじゃないと、感じれらいものだらけで、筆舌を超越したものだ。この「血縁・・」
は、特にそうだ。

朝7時に、近くに住むリッタのさつきさんをひろって、関越で松本まで走る。運転は筆子さん。
「翁堂」で、地ビールでランチした後、いざ高山。思ったほど高速は混んでなく、
松本、高山の街を、ぶらぶらと徘徊散歩できた。
高山では、地酒を自動販売機で、外国の旅行者が、日本酒バーよろしく、赤い酩酊顔で楽しんでいる。
どこの観光地も、外人外人外人のオーバーツーリング。負けてはならじと、昼からみんなで飲んだ。

「血縁キャバレー」・・は日下部民藝館で開催。松本も高山も「民藝」が盛んで、街のあちこちに、民藝の美意識が
いかされていて、他のなんちゃってニッポンちゃちゃちゃとは、一線をがすところがある。
会場の近くの「福太郎」というカフェで、みたらし団子を食べた。
自家焙煎の珈琲も美味いし、みたらし団子も美味い。主人も「福相」で、話もまたごちそうだ。
「キャバレー」の前座気分に盛り上がる。そういば昭和に「キャバレー王」
と呼ばれた人の名前も、そんな名前やった。福富太郎?

血縁キャバレーに出演する兄弟4人はみな芸人。先月天真庵にそばを手繰りにこられた、変幻自在の声で弾き語りなどをする長女・中ムラサトコさん(52)。前世、前前世を生きた国の音楽を奏でるような、パワフル音楽家。脚本家の次女・井上志保さん(51)。両親のロマンス話
が、泣かせた。歌や演芸を組み合わせたパフォーマンスで浅草でも活躍する長男・上の助空五郎さん(46)。姉ちゃんとのコラボがなんとも粋だった。色気のあるダンスで魅了する三女・ライス・ディアンソーレさん(41)・・・まさにキャバレー。おひねりを上げる時、「踊り子さんの
肌に触れないでください」と注意されそうなくらい、濃いボディーランゲッジ?
パンフに写真がのっていた両親。まさか、と思ったけど、ご両親も素晴らしい歌を披露してくれた。アカペラで、私小説みたいな「素晴らしき人生」を歌ってくれた。サトコさんの嫡男の人形劇・・・♪骨まで、骨まで愛してほしいのよ・・も最高やった。
中村サトコさんといっしょにそばを手繰りにきてくれたちゃんの、手作りの酒肴や茶わん蒸し、広島から移住して「やまんど」(やまの仕事)
をしているくんの「広島のお好み焼き」が逸品で、ワンコインで飲める地酒が、どんどん空になって、昭和のキャバレーの世界が
佳境に・・・・・・

これから、朝市にいって、能登へ・・・
「毎年こんとあかんばい」と、高山の神社で声が聞こえた。感謝。

令和版の「元気シール」に励まされ・・・

天真庵が押上に結ばれて17年。そのころチワワの元気が副店長だった。
池袋時代に、寒山拾得(かんざんじゅっとく)のギャラリーを始めたころ、
大塚のペットショップの前を通ったら、「ぼくを家族にして」と言った気がしたので、
少し「ひんがらめ」(ロンパリ)で、耳も立っていないチワワを家族にした。
ギャラリーのお客さんが、お年寄りが多かったので、名前を呼ぶだけで、元気になるように、
まんま「元気」と名付けた。

押上にきて2年くらい元気だったけど、寄る年波に勝てず、地元の秋の祭りの最中、
帰らぬ犬になった。12歳だった。すぐに、足跡をデジカメにとって、書家でゲームメーカーの
社長をやっている友達に頼んで、トレースしてもらい、兵庫の暖簾やさんに、藍染のろれんを
つくってもらった。TQ「花が咲くエネルギー」を、父親の山田敏郎さんから引き継いだ、山田学さんに
「この足跡に、TQエネルギーを波動転写して『元気シール』をつくってください」と頼んで、
できたのが「元気シール」だ。
いろいろ進化して、令和版ができ、今月、それを真ん中に貼るとおもしろい「UFOコースター」ができた。
興味がある方は、天真庵のHPに「元気のアルバム」「元気シール」など、不思議な部屋があるので、こっそり
と覗いてみてください。

縁ある人たちに、新しいコースターに元気シールを貼って「TQ技術の実験」をする今日このごろ。
HPの「元気シール」の中に、2012年に大人気だったフリーペーパー「メトロミニ」に紹介された記事と
写真がのってある。山田学先生(普段はやまだくん、と呼び捨ていています。(笑))
を囲んで、実験している写真と、元気シールの取り扱い店がのっている。12年たったけど、お店がぜんぶ
のこっているのは、やはり「元気シール」のおかげかもなんばん。

先日、その中のひとつ、錦糸町にある「すみだ珈琲」に新しい「UFOコースター」をもっていった。
カウンターの上に「2010年開店しまして・・・」と印刷された挨拶文があった。
「もう14年になるんだ」と感慨深く、江戸切子のカップに供されたブレンドを飲み干した。
開店してからずっと、トイレと厨房の中には、元気シールが貼ってあり、BGMも、ぼくが紹介したウォンさんの
「ムーントーク」。店主の粘り強い性格を彷彿させる。今では、墨田区を代表する「珈琲屋」になった。

うちの常連さんたちも、17年歳を重ね、子育て世代で、孫みたいな子供を連れてそばを食べにきたり、
味噌つくりや梅仕事なんかにこられる。小さな子供たちはみな「宇宙人」みたいだ。彼らに共通するのは、スマホを
説明書なしにあやつったり、天真庵の玄関にある「昔の真鍮のかぎ」を、勝手にしめたり、あけたりできる能力が
あること。「そんなことしたら、お客さんが入ってこれないでしょ」と、あわてる母親が「これ、どうやって開けるの?」
と質問したり(笑)。親がなくとも、教えなくても、勝手に子供が育っている。
そんな宇宙人みたいな子らは、説明なしに、「元気シール」をにぎった瞬間に「あったかい」とか「気持ちいい」
とか言うので、親やぼくらはびっくりすることしきり。

この「不思議なTQ技術」を、沖縄で水耕栽培に挑戦していた山田敏郎さんが発見した。計測器が「フーチ」しかなく、
デジタルでこのエネルギーを測れない時代に、「ある」という疑いを持たない科学者の意志で開発を続けた。
受け継いだ山田くんも東大にいくほど頭が明晰だったにかかわらず、このスピリチュアルというか、あるやなしかのエネルギーが「ある」
と確信して、人生を賭して研鑽しておられる。
ぼくは、「あるかもなんばん」くらいの意識で、ずっと彼らや元気シールと接してきた。でも最近、
「ある」という確信がでてきた。そんな宇宙人世代の後押しも大きな理由であるけれども、年を
重ねるほど、酒がますます美味くなるように、わからないことがもっともっと多くなるような気がする。
世のなか、わからないことだらけ・・・だからおもしろい。

「やさしい元気を広げていける人が活躍する時代」がきたようにも思う。
山田敏郎さんは「21世紀に花開く」といって、昇華された。
不思議なエネルギーのついで話だが、山田くんは、名古屋大付属の高校から東大にいった。
その高校の同級生だった女子が、陶芸家の久保さんの奥様。
ある時、久保さんが作った備前のチンコ徳利と猪口にTQエネルギーを転写してもらった。
同窓会の時、山田くんが彼女に「あなたの御主人はひょっとしてチンコ徳利の人?」と聞いて、判明したらしい。
縁とは、まことに奇妙なものだ。天恩感謝。

明日から「能登休み」 21日(土曜日)から通常営業。

「折々のことば」  に折々励まされ・・

朝日新聞の朝刊の一面に、「折々のことば」というコラムがある。
鷲田清一さんが、本や見たテレビや映画などから、琴線にふれた「ことば」
を紹介する素敵なコラム。他所で炊き立てごはんに、みそ汁を御馳走になるような「ありがたさ」
を感じさせてくれ、忙しくて「天声人語」を飛ばしても、ここだけは読むようにしている。

先週は、友人の書家の初エッセー「書くということ」が紹介された。著者の沢村澄子さんは岩手に住んでいて、
ときどき近くのギャラリーアビアントで展覧会をやる時など、ひょこっと蕎麦を手繰りにきてくれる。
「坊さんの書」はどこか説教臭く、「書家の書」は、茶と同じで、決まり事や原理原則を抜け出せないような
ものが多く、あまり好きになれない。でも彼女の書は、そんな「くくり」から解き放たれていて融通無碍の世界を
遊んでいるようで、とても自由でいい。「書くということ」を読んで、ますます、そのナゾが解けた気がした。

今日のことばも、知り合いが紹介された。

「ごめんなさい。ちょっとだけ 今だけ来させてください」(七輪づくりの職人・石川県珠洲市)

天真庵の珈琲を焙煎する七輪を作ってくれた大恩人。今回の地震で工場も家も壊れ、金沢に避難されている。
ときどき、石川県立図書館にいき、窓辺で遠くを眺めながら「これから」のことを哲している様子が
「ドキュメント72時間」というテレビ番組で8月30日に放映されたらしい。

2018年から、能登と東京の「二股暮らし」を始めた。大谷塩の中前さん(正月に家が崩壊して亡くなられた)
と、そこから車で20分ほど走る、この七輪屋さんのところへは、ほぼ毎月のように通った。
塩や、七輪を買う、だけではない。用事がなくても、顔をだし、土産の「珈琲」を飲みながら、談論風発するのが
ぼくの血や肉になっていった。土産とは、「その土地が産みだしたもの」。わざわざ買うものとは、ありがたさが違う。
能登の珪藻土七輪をつかって焙煎した珈琲を土産にして、海からとれるビタミンミネラルたっぷりの塩や、唯一無二の「切り出し七輪」を調達する。今はどちらも、できなくなったけど、至福の「能登時間」だった。

「今だけ来させてください」が泣ける。政治家の「今だけ」とは、次元が違う。
能登の救済などどこ吹く風のように、自民党・立憲民主党の代表戦がかしましい。
今の政治家は、ほぼ「今だけ 金だけ 自分だけ」の輩ばかりだ。
あまり使わなくなったけど、総理とか、党のトップのことを「宰相(さいしょう)」といった。

「宰」という字は、石の包丁、の象形文字がこんな漢字になった。つまり、家や国のトップに
なる人は、「たべもの」をじょうずに石の包丁で捌いて、みんなに分け与える人が代々なった。
キックバックとかいう裏金で私腹を肥やしているような輩に務まるわけがない。
能登の真脇遺跡にいって、縄文人たちが一万年もの間、争いもなく、平和でなかよく暮らした夢の跡を、
「自腹」で学びにいったらどうだろうか?ついでに、土産は「永田町という土地で生まれたお金」がいい。
地位や権力で汚れちまったお金が、浄化されるかもなんばん。
「瓦礫の撤去作業や、道路の復旧に使ってください」と、匿名で差し出すような政治家がいたら、そんな人が
「宰相(さいしょう)」になればいい。人しれず、人の役にたつことをする。「陰徳」という。・・今は、そんな政治家いないか・・?

今日明日と営業したら、「能登休み」。彼らはいないけど、また珠洲に足を運ぼうと思っている。感謝。

オカルトカフェ?でも、元気シールには、TQ技術が波動転写されているんだよ!

昨日の朝は「玉子かけごはん」
先週、「昼酒セット」で天真庵デビューした女性が、玉子かけごはんを食べにこられた。
弘前の大学をでられた、ということで、今月旅した弘前の話に花が咲いた。

岩木山神社にいく途中、「嶽(だけ)きみ」というのぼりが、道のあちこちに見られ、地元ナンバーの
車がとまって、何かを買っている。♪きみだけに~   そんな歌が昭和にあった(笑)
気になって、車をとめてよーく見てみると、「とうもろこし」が売られている。
木工の般若くんから、木曾のとうもろこしをおくってもらって、毎年おいしい旬を味わっていて、
東京のスーパーのとうもろこしなんかに触手がいくことはないのだが、偶然の旅の出会いで、ゆでたての
「嶽きみ」を二本買って、食べた。木曾と遜色がない、あまくておいしい味がした。
霊峰・岩木山の南麓に広がる嶽(だけ)と呼ばれる地域(標高400~500メートル)で、栽培されているトウモロコシ。

筆子さんの本名は「きよみ」・・・食べながら、「ひょっとして、じいちゃんは、郷土の名物を思い出しながら、
初孫の名前をつけたんじゃない」と言ったら、大笑いして分身のような「きみ」を噴き出した。
その後、もうひとつ高照神社をお詣りした。弘前藩主が眠っている由緒ある神社だ。
筆子さんの弟は、「照男」。孫の命名権があった時代のじいちゃんの鼻高々な雄姿が想像できた。

16時からの「女子会」:みたいなそば会は、先月「玉子かけごはん」で天真庵デビューした人たちの会。
「玉子かけごはん」と「文膳(ふみぜん 昼酒セット)」の往復ビンタみたいなのが、ふたつ交互した。

お昼の開店前に、元気な女子が3人、お店の前に並んだ。旅行バックをガラガラひいてやってきて、ショーウィンドウ
に飾ってある「UFO焙煎器」や「UFOコースター」の説明を読みながら、大声で笑っている。
お店の前に人が並ぶと、「行列ができる店」だと早とちりして、「なんとなく並ぶ・・ボリボリ」みたいな人が増えるので、
5分前にお店に入ってもらった。沖縄から、「天真庵めざしてきた」(彼女たちいわく)とのこと。
元気シールに波動転写している「TQパワー」は、実は沖縄で水耕栽培の実験をしていた故・山田俊郎さんが発見した技術。
そんな話をしていたら、「私、TQのマドラーをもっています」とのこと。
名古屋出身の山田先生は、そのころ名古屋で長寿の双子姉妹の「きんさん ぎんさん」からとって、そのマドラーを
「きんさん ぎんさん」(金 銀 一本づつ入ったマドラー)にした。まんまのネーミング。ほとんど売れず、天真庵の厨房の片隅に、
2セット残っている(笑) 頭脳のよさと、命名力は背反する場合がままある。
TQ商品は、数々誕生したけど、30年くらいたって、やっと「元気シール」が、優美?に世界に広がろうと動きはじめた。

めちゃくちゃ忙しい一日が終わり、片づけが終わって、秋田で調達してきた地酒「百竈」(ひゃくかまど)を飲む。
月曜日の朝は、珪藻土の竈(かまど)でごはんを炊く、から始まり、竈を飲んで67歳最後の夜を楽しんだ。
今日は、どらえもんといっしょに祝い酒か。感謝。

月曜の朝は、玉子かけごはん!

台風は消滅したらしいが、今日も急に雨が降ったりする、というニュース。
昨日は、お店の片づけが終わり、近くの「オリンピック」に買い物にいった帰りに
急に雨がふってきた。しばらく、団地の駐輪所で雨宿りをしていたが降りやまず、
リュックの中に入れてある折りたたみの傘をだした。
そもそも傘をさすのがきらいで、少しの雨なら、陽水の「傘がない」を口ずさみ
ながらずぶ濡れであるくのだが、♪問題は、台風の雨・・小さな傘しかない、そんな状況だ。

今朝は、「そば打ち」をやりながら、珪藻土の竈(かまど)で、ごはんを炊いた。「おこげ」の香りがいい。
残った炭火は、同じく「丸和工業」(能登・珠洲)の七輪に移して、その上に
「がらがら焙煎機」をのせ、炭火焙煎。
シティーローストに焼きあがった「ホボブラジル」を、50gほど「UFO焙煎器」にいれて、
5分くらいローストすると、フレンチロースト、まさに往年のプロレスラー・「ボボブラジル」
のテカテカと黒光りした顔のような豆が焼きあがる。それをサイフォン用くらいに細かく挽き、
「水だし珈琲」をしかける。
「炭火でごはん」以外は、ほぼ毎日の日常だけど、この仕事は誰にも渡したくないくらい、短調な中に
深い冒険みたいな闇があって、ウキウキワクワクする工程だ。

珈琲を飲む前の「ワクワク」と、飲んだ後の「ほっこり」・・・言葉にすると、それだけ、だけど、
100人いると、100通りの「ワクワク」や「ほっこり」があるはずだ。そのあたりが、
琥珀色の悪魔のなかなかつかみどころのない天真であり、即妙な刹那を感じる「いまここ」でもある。

今日の夕方は、近所の元気印の女子たちが、「そばやで昼酒」の会をやってくれる。
焙煎後の炭火を、真鍮の囲炉裏の中の灰に埋めた。夕方までは持たないけど、途中で新しい炭を加えると、
炭が生き返る。それを、小さな七輪に入れて、「うるめ」でも焼こうかしらん・・
♪お酒はぬるめの燗がいい つまみは、あぶったうるめがあればいい
天国に移住された八代亜紀さんの歌が聞こえてきそうだ!

朝は玉子かけごはん、夕方は、そば前とちょっとした酒肴 〆にそば&珈琲

どれもみな「簡素」だけど、ホンモノはみな簡素の中にこそある。感謝。  

そばのうまさとは?ついでに酒のうまさとは?

ふつか前のブログに「珈琲のうまさ」について、ひとりごとのようなブログを書いた。
名刺にも、HPにも、「そば」のことを書いていないけど、お店にくるお客さんの9割がたが
なんらかの「そば」を所望される。
お店の前を拾得(じゅっとく)のように掃いていたり、焙煎した豆のチャフを表でフーフー飛ばして
いても「このお店、なにやさんですか?」とよく聞かれる。機嫌が悪いときは「サー?」
と答えたり、「そばやさんですか?」と聞かれると「違います」と答える。もちろん、そんなこと
質問する人で、お客さんになる人は、いないけど・・・

そばのうまさ・・・の三原則に「挽きたて・打ちたて・茹でたて」、通称「三たて(さんたて)」というのがある。
吉野家のキャッチフレーズみたいで、すぐに頭に入るけど、これってほんと?と思っている人も多いのではなかろうかしらん。
ぼくも大いに疑っている(笑)
「のどこしがいいね」とよくいう人がいる。のどこしを楽しむなら、そばよりソーメンを食べたほうがいいのでは?と思うことしきり。
「腰があるね」もよく聞く。でもそれなら、うどんのほうに軍配があがるような気がする。

話が飛躍して「辛口のお酒をください」と、よくいわれる。「辛い酒なんて、おいてないです(そんなに丁寧に答えてないかもなんばん)」
という。酒は、ほどよく甘くて、常温で飲んでも、すこしぬる燗にしても、おいしいのが普通ではないかしらん」
うちでは、吟醸酒とか大吟醸みたいな酒は、おいていない。「ほぼ普通酒」。
「スペシャル珈琲」とかいう、ありていな名前の特別な珈琲豆も、おいていない。ブレンドは「ほぼぶらじる」のみ。
珈琲も、そばも、酒も、嗜好品であり「エモい」ところが、その人の味に影響するところが、おもしろい。

創業当時から「文膳(ふみぜん)」という、別名「昼酒セット」というのがメニューにある。
ホンモノの筑前葛を使った「そば豆腐」と「酒肴三種盛り」で、そば前(そばが出る前に楽しむ酒のこと)が一合、
〆はそばでなく、そばを食べて、珈琲で〆る。
最近、「毎日が日曜日」みたいな隠居組や、「毎日会社にいく必要がない」人たちが増え、「昼酒セット」
を所望する人が多くなってきた。若い女子たちも増えて、店主も鼻の下を長くしながら、共に楽しんでいる。
珈琲・酒・そば・・・それぞれの人の「味覚の抽斗(ひきだし)」みたいなものが垣間見れて、おもしろい。
センズリかくような蘊蓄を語る輩や、自分の自慢話に酔っているタイプは、丁寧言葉で「二度とこないでくださいませ」と
いうことも、たまにあるかもなんばん。

さすがに「昼カラ」も「昼から酒」も・・・というまじめ組は、「4時から4人」とかいうニーズに
応えるようにしている。明日も「押上を盛り上げる会」に所属する近所の若くてきれいな女子4人組が
4時から、やってくる。

「おししいものを食べる」「おいしい酒を飲む」のと
「おいしく食べる」「おいしく飲む」のは、似て非なるものだ。
これからの時代は「おいしく食べたり、おいしく飲む」ほうが、だんぜんいい。
「おいしく食べたり、飲んだり」する一番のコツは、「いい友達と食べたり、飲んだりする」に限る。
「いい友達」をつくるには、スマホではつくれない。「まず自分がいい友達になる」ことだと思う。感謝。

今日は日曜日。土曜日曜は12時から16時。
それから「そば打ち教室」「UFO焙煎塾」
明日の朝は「玉子かけごはん」(8-10)

そもそも、元気シールの元気って、だーれ?

昨日、若いカップルが蕎麦を手繰りにこられた。
男の子「来年、二十歳になったら、ここでお酒を飲みたい」という。
「え、お里はでこですか?」(このことばは、若者には通じない)ので、
「どこで生まれの?」と聞き直すと、「福岡です」とのこと。
昔は、「福岡で、ひとつでも年が上だと王様で、相手が奴隷」になった。
でも今は、パワハラとかいわれるので、言葉を選んで、
「ぼくは小倉生まれやけど、そのころの福岡は、小学校の6年くらいから酒を飲んでいたばい」
と答えたら、「うちの父も、同じようなことを言ってました」とのこと。どうも条例が変わったらしい?

「元気シールをほしい」と、言いんしゃったので、「よかよ」といって、ワンシート渡し、
おまけに、新しい「UFOコースター」を渡したら、「この犬かわいいですね」という。
「そのコースターのORコードから、天真庵のホームページに飛ぶけん、そこに『元気のアルバム』という部屋が
あるけん、みちゃってんない」というと、すかさずスマホを操作し、「めちゃくちゃ、いい写真ですね」と笑った。
「藤本さんという、知り合いのプロの写真家が撮ったと」と答えると、「ぼくのじいちゃんは、長崎で写真館をやってました」
と返ってきた。

池袋で天真庵を始めた30代の後半から5年くらい、「藤本さんの写真クラブ」に所属し、カメラに凝ったことがある。
ある時、使っていないアップルのPCを先生にあげた。「何かお礼させて」というので、練馬の大きな公園で、元気の写真を
撮ることになった。「元気のアルバム」の1・2は、その時に撮影されたものだ。
ぼくが助手になって、レフ版とか、おもちゃや、水のペットボトルをもって、元気に声をかけると、こちらに喜んでかけてくる。
その横に藤本さんが、カメラをもって腹ばいになったりして、半日かけて撮影した。
ギャラリーがいっぱい集まってきて「あの犬、有名な犬ですか?」などと質問する。「犬といってはいけません。ゲンキサマ、といいなさい」
なんて返しながら(笑)

2007年の春に押上に天真庵を結び、元気は2年ほど副店長をして、2009年のお祭りの後に旅立った。
だから、大半のお客様は、元気の存命だった姿を知らないのだ。
旅立った日に、足形を写真に撮って、トレースしてもらい、「元気ののれん」ができ、その後に、
山田くんに頼んで「元気シール」ができた。
そして、かろうじて、生きている姿を知っている「なつきくん」が、「UFOコースター」をデザインしてくれた。感謝。

珈琲のうまさ・・・とは?

キレがいい。こくがある。香りが立つ。豆の甘さ。舌の残る余韻・・・

缶コーヒーや、コンビニの珈琲の広告にも、同じような「表現」が羅列される。
でも、その実、どれが「うまい珈琲」かというのは、人それぞれの感じるものだし、
あくまで珈琲は嗜好品である。でも「言葉」が美味いを言い得ている場合も多い。
今流行りの「エモい」(情緒に訴える)というのも、
まんざら的を得ているようにも思う。好きな人と「夜明けの珈琲」を飲めたら、
缶コーヒーでも、ホテルに具え付きの簡易珈琲でも、美味いに違いない。
「キモい彼と、エロいことしたら、朝の珈琲がエモかった」(早口言葉?)

自画自賛みたいだけど、今年から「アイスコーヒー」が、おいしくなった。お客さんにも
言われるし、自分も朝はアイスコーヒーを飲むことが多くなってきた。
昨年の夏、能登のカフェがオープンする時、一日店長を頼まれ、桐の茶道具に、「縄文ドリポット」を入れ、
「UFO焙煎器」といっしょにもってでかけた。その時に「ちゃねって」・・・新しいダッチ珈琲(和っち珈琲、と命名)
を発明した。お弟子さんたちには、5台くらい作ってあげて、お店に二個残っている。

天真庵の「ほぼブラジル」は、シティーローストに焼いた、「ブラジル」「コロンビア」「ガテマラ」+「もう一種」、
のブレンドが基本形。焙煎して、ブレンドしたら、すぐに珈琲を淹れて、味を確かめる。
焙煎したての味は、煎茶と同じく、「雑味」みたいなものが多いけど、それがまた「うまさ」につながる。
そばの「三たて」と同じようなものだが、すべて「できたて」がいいとも限らないのが、味の複雑さ。
お酒も、ワインも、開けたてよりも、空気がまじって「まるく」なったりするのと同じ。
「この花さくや姫」じゃないけど、「開く時間」というのがある。

魯山人は、「器は、料理の着物だ」という名言を吐いた。
焙煎、ブレンドの仕方、淹れ方も大事だけど、「器」も大事だと思う。
天真庵のHPに「縄文ドリポット」という部屋がある。
志野・黄瀬戸・白・焼き締め・・・いろいろ久保さんに焼いてもらったけど、今は「焼き締め」(無釉)
が少し残っているだけ。能登の珪藻土を使って、「令和の縄文ドリポット」が、もうすぐ完成する。
珪藻土は、建材やお風呂場などにもよく使われてきたけど、ついに「珈琲の道具」
としてデビューする。とても楽しみだ。

「天真庵がめざす珈琲の味」は・・・

のみ口 ひと口めが すっきり
人肌に さめても まったり
あと口 余韻が 一時間

その一雫に、けっこう熱量があがっている今日このごろ。感謝。

かぶりつき で美人にかぶりつかれた!

先週の木曜日に、曳舟文化センターで歌舞伎があった。
かぶりつき(正確には、前から二列目だったので、かぶりつきじゃない?)で、観ていたら、
うしろから「ちわっ」と声が・・・・
10年くらい前、まじめにお茶を習いにきてたKだ。相変わらずの美人だ。「ひさしぶり」と挨拶。

「天真庵では、まだUFOを売っていますか?」と問われる。
まわりのお客さんは「?」という顔してたけど、「売ってるよ。」と返事したら、
「一個?一台?とっといてください。月曜日に買いにいきます」とのこと。

そして昨日、彼女がUFOを買いにきた。
「知り合い家族が能登に移住して、今回の地震で東京にもどり、嫡男が大学に入学し、
『将来カフェを開きたい』とのことなので、お祝いにUFOをおくる」とのこと。
風が吹いたら桶屋が儲かる、みたいなキテレツ話だけど、「ありがとうございます」だ。
オマケに、できたばかりの「UFOコースター」を彼女と大学生用に二枚あげた。

小さなガラスのコップをふたつ用意して、珈琲(酒や紅茶でもいい。ビールはへんな味になる)
をつぎ、ひとつのカップに入った珈琲を少し飲み、UFOコースター(真ん中に元気シール)の上に置いて
味の変化を試す。9割の人は「丸くなった。」とか「珈琲の味がすっきりする」とかいわれる。
味蕾が生きていて未来が明るい人。「?」という顔の人は、こちらが心配になるけど、もうひとつのカップ
、つまり元気シールにふれていないほうの珈琲を飲んでもらう。未来が暗くなりかけた人の9割が明るい顔になる。
残った暗い人は・・・?「知らない」(笑)

Kさんはひさしぶりの「元気シールの実験」に楽しそうに笑う。
「ときどき、晩酌の時、元気シールの上に猪口をのせてますよ」とのことだ。

それぞれの人の「気持ちの気」と反応し、数値化されず、その「気」の中に、再現性も即効性もない「気」
が存在する不思議なエネジー。「TQ技術」といわれている。

新しい「UFOコースター」には、ORコードがついていて、そこにスマホをかざすと、「天真庵のHP」
に飛ぶような仕掛けをしている。25年ほど前に、名古屋の山田先生の実験室にうかがった時には、なかった新技術だ。
「天真庵の案内」とかいう部屋には、「ルトロン」という動画の雑誌に掲載された時の動画を張り付けた。
2分くらいの動画に、店内や、珈琲を淹れる動画が紹介されていて、イメージトレーニングになる?
「UFO焙煎器」の部屋には、赤須翔のギターをBGMにUFO焙煎するぼくの「手」が動画ででている。
どちらも顔がでていない。さしずめ「手タレ」だ。

今日は12時から18時まで営業。まだまだ蒸し暑いけど、夕方になると東京でも虫がすだく声がする。感謝。

かなゝの 出番狂わす 暑さかな

秋葉の語源・・・秋はっぱら 空きはっぱら?

1984年の秋ころ・・・秋はっぱら?空きはっぱら(秋葉)で、小さな会社が産声をあげた。
今も、小さな会社のままで、古色蒼然たるカフェと、能登に小さな美術館を運営中・・
40年くらい続いているのは、奇跡。鬼籍に入るまで、続いているかもなんばん?

昨日、珈琲のお弟子様が、嫡男くんをつれて、蕎麦を手繰りにこられた。
暑い日だったけど、開店と同時にたくさんのお客さんがこられ、2時過ぎに蕎麦が売り切れになった。
その嫡男さんが、今日からカナダのバンクーバーに留学されるとのこと。バンクーバーと聞いて、
40年前の秋葉でのコトを思い出した。

ソフトバンクを横に卒業して、秋葉原の一階にオカマさんが経営する喫茶店があるビルの3階の
10坪くらいの事務所で起業した。ばったや(意味わかるかな?)さんが、赤字の会社をもっていて、
それを引き継ぐという形だった。その当時は株式会社をつくるのに、1000万の資本金が必要で、
上場前というか、よたよたして潰れそうな会社(日本ソフトバンクのこと)の薄給の若者に、そんなお金はあるわけもなく、
渡りに船とばかりに、その会社の役員を変更して、代表取締役になった。

創業そうそうに「パソコンらくらくレッスン」という学習ソフトが大ヒットして、いきなり全国区になった
のはいいけど、毎月の銀行の返済(といっても、前社長の借金)と、積み立て(小さな会社が小さな銀行と付き合う
場合、これにつきあわないと、信用ができなかった。たぶん、学校では教えないと思うけど、今もおなじ)
で、毎月末に150万くらい払っていた。サラリーマンの月収が20万くらいの時代。

そのソフトを開発してくれた天才少年(青学の大学院に通っていた)は、今は有名な国立大学のえらい教授になっている。
地獄のような創業期の資金繰りだったけど、彼と出会ったことが、人生最大の「運のよさ」だと今も思っている。
彼も「大学院の学費は、そのアルバイトのおかげ」と言ってくれてるのがうれしい。
その後も、株価分析のソフト「兜町」(これは、日経新聞の賞をいただいた)や、データコンバータなどで、順調に
会社は発展したけど、「返済・積み立て」は、きつかった。

完済したある日、銀行の支店長が会社にやってきて、「よく払いきりましたね。ぼくもびっくりしました。」
という。「そのお礼に、バンクーバにご招待したい」みたいなことを言った。
話の筋からいって「あごあし付き」だと思ったけど、結局50万くらい払わされた。なんということはない、
銀行が主催した旅行に欠員がでただけの話だった(笑)。それがバンクーバーで開けれた「交通万博」(誰も知らないと思うけど・・)

*ネットで「交通万博 バンクーバー」で検索すると、下記のような資料が見えた。

開催日程:1986年05月02日(昭和61年)~1986年10月13日(昭和61年)
開催地:海外
会場:バンクーバー
主催:カナダ政府・ブリティッシュ・コロンビア州政府・バンクーバー市
入場者:22,111,578人

カナダ・バンクーバーの市制100周年とカナダ大陸横断鉄道完成100周年を記念して開催した。テーマは「交通と通信 人類の発展と未来」である。「トランスポーテーション(交通)とコミュニケーション(通信)」現代社会に欠くことのできない2つのテーマが、雄大な自然を誇る西部カナダの玄関ロバンクーパーを舞台に開かれたのである。近未来都市になくてはならない新交通システムと、情報伝達のための新しいコミュニケーションシステムがどうあるべきかを目的・・・(略)

あまり万博のことは覚えていないけど、バンクーバーで知り合ったレストレンの日本人シェフが、赤いホンダのシビックで、夕陽が沈むバンクーバーの景色のいい海岸線を走って、ホテルにおくってくれたこと。その車の中でかかっていたのが、五輪真弓の「恋人よ」だったのと、3日ほど
滞在したバンフの空気感がたまらなく新鮮だったこと。次にくる時は、「鉄道の旅がしたい」と思った・・・思ったまま40年。

10年どころか、40年も「ひと昔」だ。人生は迷ったり、悩んだりする「時間」はなく終わってしまう。
命短し恋せよ乙女。旅せよ青年・・・                感謝。