今日は「お仕覆(しふく)」の日

今日は大阪から女子がきて「お仕覆」の会。煎茶の「旅茶わん」を入れる茶入れを包むお仕覆を
つくっておられる。
HPなどには紹介していないけど、「お仕覆」と「金継ぎ」を
不定期に筆子さんが教えている。
「大事に包みたいモノ」「壊れたけど、金を使って継ぎたいモノ」を
もっている人がある時代に「ちゃねって?」できたんやろね。
「ものを大切にする」「いいものを大事に育てる」ような日本人の大切な
文化だと思う。大量生産・大量消費・使い捨て文化は終わったね。

能登から帰る日の朝、藤瀬の霊水を汲み、和倉の総湯に入り、近くの仮設店舗で
「醸す」をテーマにカフェを営んでいるお店にいって、チキンカレーを食べた。
チキンカレー・キーマカレー・ハンバーグの3種のワンプレートで営業されている。
近所に住む老夫婦が、入ってこられた。
おばあちゃん「私たちうどんが好きなんですけど、ありますか?」
そんなトンチンカンなお客さんにも「うどんなら、近くの『なんやら』(店の名前が聞き取れなかった)にいかれたらどうですか?」
と丁寧に接客している。能登はやさしや土までも、みたいな女将さんだ。

足を少し痛めてるのに、ひとりで笑顔でテキパキと仕事をし、「これ被災したわたしを応援、という意味で長野
のりんご農家さんがおくってくれたものを、白ワインと蜂蜜で煮たものです」といって、サービスしてくれた。
お会計の時、「おまけのお返し」と言って、「元気シール」を一枚あげた。
いきなり、TQ元気シールの説明すると「へんなおっちゃんがきた」と思われるかもなんばん、と思って、
黙っていた。「こんどまた能登にこられる時があったら、またきてください」といって、満面の笑顔。
まだ語尾を~と微妙にのばず能登弁がしゃべれないので、観光客だと思われた。お店も家も被災した人たちが、
能登のあちこちの「仮店舗」で、営業を始めておられる。カレーも美味かったけど、なんか不思議な元気をいただいた。感謝。

「厨oryzae(くりやおりぜ)」というお店。コンセプトと店主の人生感・哲学にブレのないお店。

所さんお届けモノです!に紹介された動画をHPにアップ!

そんな人気番組に、一昨年天真庵が紹介され、スタジオまで
いって、「花巻そば」をつくった。収録が終わったその日に能登にいく、というハードスケジュールやった。
「テレビを見たら、会いたくなったっちゃ」といって、幼稚園からの親友「のうじ」くんが北九州の「くろがね堅パン」土産に、
お店にきてくれたのもうれしかった。
大地震の前の年だったので、毎月のように、輪島や珠洲にいって、「あご」「干し椎茸」「揚げ浜塩」「岩ノリ」
を買いにいっていたころだ。「丸和工業」という、珪藻土七輪やさんにも毎月通っていた。
切り出し珪藻土七輪は、野菜・魚・肉・・何を焼いても、次元が違う味になる。ましていわんや「珈琲豆」も!

昨年の春、ゆみちゃんが、岐阜から車を運転して、被災した家の掃除の手伝いにきてくれた。
畳の部屋ひとつ残して、ぜんぶ雨漏りをしていたので、いっしょに雑魚寝をした。
能登全体が避難所みたいになって、右往左往していたころ。
先月、ゆみちゃんから「岐阜で昨日『所さんお届けモノです』を見てたら、天真庵がでていたので
動画をおくります」といって、筆子さんのスマホにおくられてきた。
「いつまでも続く」と思っていた日常が、ある日、非日常になったりすることを思い、
古いネタではあるけど、「天真庵のHP」に動画をアップした。ぼくも、所さんも、2年ほど若い映像(笑)
「珪藻土七輪で炭火焙煎」の映像もあるけど、これも絶滅危惧種よろしく貴重なものになるかもなんばん。

押上文庫くんが「能登の風」と、めずらしく余計なことを言わず紹介してくれたのが印象的だった。
前世から生きているような文庫くんの顔も2年若い。

今日の能登は、朝から冷たい風が吹き、ここ志賀町もうっすら雪が積もっていた。
朝日を拝みながら深呼吸していると、やわやわと(ゆっくりと・・・という能登弁)、「能登の風」が香ってきそうな朝。
縄文の文化が残る能登の風景の中で瞑想していると、「この世の終わり」みたいな「今」を、どうやって今の地球人が
乗り越えていくんだろうか?とふと思った。
明日の朝、東京に向かう。土曜日から営業。感謝。

日本人以上に日本人みたいな漆芸家

昨日、ラジオ(能登の家は、NHKしか聴けない)を聞いていると、
「能登に住む外国人」という特集があって、漆芸家の「スーダン・ロス」さん
がでていた。漆に魅せられて、22歳で英国から輪島に移住し、40年くらい
漆作家をしておられる。昨年の地震と豪雨のダブル被害で、アトリエと家が全壊し、
今は金沢で漆を作っているそうだ。

道具もなくし、友人たちから送られてきたらしいが、「必要な全部」は揃っていないらしい。
でも「予定していた個展」を断らず、「不思議と足らないもので工夫すると、新しい工法が天から降りてくる」
みたいなことを、英国なまりの日本語でのたまわれていた。つまり「ちゃねってる」のね。
「便利な暮らし」を追求した結果、扱いにくく(別にそんなことないけど)食洗機も使えない「漆」は、日本の食卓から消えて久しい。
一番の原因は、「日本人の棲む空間に、『官能性』がなくなった」のかもなんばん。

ぼくは、今、白湯を古伊万里のそばちょこにいれ、輪島塗のソーサにのせて、このブログを書いている。
朝は白湯を飲みながら、炭をおこしたり、掃除をしたり、から始まる。このソーサーは、輪島に工房がある
「塗師」(ぬし うるし職人)さんに頼んでつくってもらったもの。そばちょこでもいいし、珈琲椀でもいいし、
夜は久保さんの酒器をのせて、盃台(はいだい)として使っている。わずか10cm径強の丸いものだが、
これがあるだけで「能登くらし」が、どんなに「ゆたか」になっているか計りしれない。
残念ながら、その作家のアトリエも、昨年の地震で焼失しが・・。

お店でだしている「おコンそば」(きつねそば)は、合鹿椀(ごうろくわん)という能登の漆器で供している。
この椀は、能登の厳しい自然の中で、自給自足で暮らし、一汁一菜を旨としてきた「能登の特産物」みたいな器だ。
「二倍のおコンそば」の時も、ソーサーと同じ作家の漆の丼を使う。

2015年に出版されたスーザンさんの「漆に魅せられて」は、ネットで購入することができる。「漆芸家 スーダン・ロス」
で検索すると、彼女のいろんな動画もでてくる。
能登でしかうまれない漆器。英国のDNAをもって、しかも能登でしかできない「作品」を、ぜひ
「官能的なあなた」に、味わっていただきたいものだ。感謝。

能登の新わかめの美味しい食べ方・・・

東京のお店でも、この季節は「能登の新わかめ」(乾燥させたもの)を販売する。
近くの美人の海女さんが、この季節に海に入り、とってくれる。
昨日、その海女さんちに「今年もよろしくお願いします」とお願いにいった。
「赤いベスト似合うね」とお世辞をいわれたので、「還暦のころにもどりたいと思って」
と言うと、「お互いに8年過ぎたね」と笑った。そう、その美人の海女さんは、同い年。

この季節の「新わかめ」は、「しゃぶしゃぶ」にするのが、能登人のならわし。
都会のお店のように、肉とかはいれない。「いきなりわかめ」スタイル。
「湖月館」という志賀町にある(被災して、移転しようと計画中)という料理旅館に
泊まった時、その食べ方を伝授してもらった。
「お湯をはった鍋に、わかめをいれる」・・・それだけ。
「な~んだ」と思う人は、料理やうまいもん(能登では、まいもん)を知らない。
どこの海で、どの季節に、どこを・・・とか、シンプルなものは奥が深いのだ。
湖月館では、「いしり」を隠し味にしている。能登では、どこの家庭にも必ず常備している魚醤。
能登には縄文から続く「醸し文化」が、日々の暮らしに息づいているのだ。

昨日は土曜日。ここの集落では「土曜日は、船をださない。釣りやもぐるのもご法度」になっている。
働き方改革。里山をぶらりと散歩したら、タラの芽がいっぱい。
能登は震災で、人口は激減しているけど、自然や環境は、変わらないリズムで流れていく。
誰にきかせるわけでもない、いや、求婚する相手に聴かせるために、うぐいすが囀(さえず)りの練習を
している。今はまだ「キョキョ」とか、「ホーホッ」とかいう感じだけど、
近い本番では、「ホー ホケキョウ」と囀るのだろう。がんばれ!感謝。

コレを変えたら、古民家が高級旅館のようになった?

昨日、志賀町の「まちのでんきや」さんが、家の漏電のチェックと、照明器具の
交換にきてくれた。11部屋ある家の、9部屋が昨年の正月の地震で、水浸しになった。
二階の5部屋の畳は、ボランティアさんの力を借りて、ぜんぶ処分した。そこは、畳の御座を
敷いた。以来、本を読むとき、筆子さんがミシンで「こし布」(珈琲用)を造る時、月見酒をしたり、UFOを
待つ時以外は、一階で生活している。でも、全部の部屋に照明器具をつけた。2025年問題ではないけど、
いついかなる時に、「非常時」になるやもしれないので、そうした。

一階の照明も、みな蛍光灯だったので、近い将来LEDに変わる運命なので、ぜんぶLED照明に変えた。古色蒼然の古民家に
LEDの照明をつけると、「なんやらリゾート」のような高級感になった(雨漏りで染みた障子のシミや、土壁の
シミが目立つけど)。神棚を置いてある部屋は、梅林ガールズたちが来た時に泊まる部屋。ここは特注の照明家具を頼んだ(来月できる)。
その隣、置き囲炉裏のある部屋は、ときどき「珈琲塾」をやったり、「お茶会」をやったりする部屋。和室なのに、
豪華なシャンデリアがぶら下がっている。七つの海を航海しながら仕事をしたおじいさんの自慢の逸品。それをはずしてもらって、
「オフグリッド」、つまりそこに自在鉤をぶらさげて、「電気を使わない部屋」にすることにした。自在鉤は、これからどこかの骨董屋で
時代モノを調達したいと思う。月がきれいな夜は、月明りの下で、茶や酒を楽しむ、茶飯釜遊び・・・そんな趣向の中で、遊び心を醸す場所にしたい。

東京のお店の照明は、2007年の開店の時にほぼ「LED」にした。「エコリカ製」。エコリカの宗広社長が、お店ができたころ、風呂敷に自社製品をかかえて、お祝いにもってきてくれた。彼は白井晟一さんと同じ京都繊維大学出身。学生時代は、今出川の「マクド」でアルバイトをしていた。ぼくは下鴨のからふねやの店長をやっていたころからの縁。インクカートリッジの純正が「高い」ので、互換性のあるリーズナブルな
ものを販売して、全国区になり、テレビなどでもCMをし、大阪に立派な自社ビルが建った。ぼくがITの会社をやっていたころ、
彼の会社を通して、大阪日本橋のパソコンショップなどに自社製品を卸していた。ぼくも大阪で彼以外の接待するような時、梅田のクラブ
や京都の料理屋などを使うこともあったけど、宗広くんとは、うらぶれた法善寺横丁の居酒屋や、道頓堀あたりの安い居酒屋を梯子して
飲んだ。ぼう業界団体の理事長をやっていたころ、彼も理事として尽力してくれた。先日「能登の家に遊びにいきたい」
とのメールがきた。
「土産は、LEDではなく、たこやきにしてな」と返事しよう。感謝。

いつも通う海への道も、解体する家が増えてきた。

この3日間、朝からいい天気だ。
釣り竿をぶらさげて、海まで・・・
3分で海。それではあまり運動にならないので、隣の港まで徒歩20分くらい歩いていく。
途中、神社とお寺がある。昨年の大地震で、どちらも甚大な被害を受け、今も社務所やお寺は
ブルーシートがかかっている。その界隈の家は、ほとんどが全壊していて、解体が始まったけど、
都会と違って、更地になると、そのまま更地のままで、人口が激減していくことが肌で感じられる。
大阪万博のせいも少しあるけど、人件費も健在もあがって、能登で新しい家を建てると「坪単価が170万円」
が相場らしい。後期高齢者ばかりの能登半島で、新しい家を建てられる人が、何人いるんやろう?

海が見える解体現場で、築100年以上の古民家があり、壊された梁(はり)や、柱も立派で、まるで奈良や京都
の古刹で使われるような立派なものだ。東京もそうだけど、解体屋さんたちは、ほとんど外国人。
「解体屋」というと、強面(こわもて)のイメージがあるけど、外国人のカイタイヤさんたちは、おおむね、
愛嬌がある。しばらく見ていると、「コノイエのオーナさんですか?」と棟梁みたいな人が、
片言の日本語で聞いてきた。「キンジョのモノデス」と答えて、古材をジーと眺めていた。
囲炉裏に使っていた炉縁(ろぶち)があったら、いただきたいと思いながら、「物乞い」みたいな顔をしてみてたけど、見つからなかった。

ブルーシートがかっかたお寺の横に、今年も藪椿がいっぱい咲いている。釣り用のはさみで、3つ拝借して、
家にもって帰り、玄関の真壁と、床の間にある久保さんの「掛け花」(かけはな 花器)に投げ入れた。
今日は、東京から移住してきた「でんきや」が工事にやってくる。
すこし「遊び心」を使って、茶目っ気のある「茶室」みたいなものを造りたい、と思っている。
我が家の屋根もまだブルーシートがかかったまま。瓦やさんも、電気屋さんも、解体やさんも、みんな
休みなくがんばっておられる。みんな「ほっと」するような時間が大切やな。
昨日は、寒山拾得の掛け軸を「桜」の軸に変えた。ときどき遊びにくる「岩山義重」さんの作品。
富山の「立山」を囲炉裏でぬる燗にして一足先の花見酒。感謝。

能登の星がれい・・幻の魚と満天の星

上越自動車道の「新井PA」にいくと、歩いて「道の駅あらい」にいけるようになっている。
冬は積雪が多い場所で、車の中でスニーカーを脱ぎ、雪ブーツを履いていく。
「ひだなん」という野菜の直売所で、季節の山菜とかキノコとか、おじいちゃんの手製の「キムチ」や
おばあちゃんの「こんにゃく」などを調達する。黒豆餅も美味くて、いつも買って、囲炉裏で焼いて食べる。
「炭火」があれば、パンや野菜、餅、もちろん魚・肉・・・・まったく別次元になる。

「ひだなん」の横に、海産物を売る「なんやら」(海産物・・なんやらセンター?)という建物がある。12月には、荒巻鮭(あらまきしゃけ)
などが雪降る中で干されていると、「あ、北の国から、だ」なんて思う。
先日は、そこに「カレイ」が吊るされていた。「能登で獲れた星ガレイの一夜干し」とタグ。
あの美食家の陶芸家・魯山人もうなったという幻のカレイ。カレーなどを食べている場合じゃない。
そこのお店の開店が9時で、30分ほど待つことになる。近くに「コメダ珈琲」があるので、そこで時間を
つぶすことにした。「誰かに先に買われたら・・」とか「ひょっとして、10分前に開店・・」
とか・・・我が身の業(ごう)の強さを感じながら、そわそわしていた。10分ほど前にコメダをでて、さかなやの前
にいくと、お店の人が掃除をしていた。「このカレイ、よろしくお願いします」といって、無事ゲット。華麗なる一日。

その日の夜、囲炉裏で「星ガレイ」をあぶって、久保さんの「魯山人うつし」の「備前の牡丹餅(ぼたもち)の大皿」にのせ、
能登の地酒「池月(いけずき)」のぬる燗を飲んだ。筆舌を超えた世界。部屋じゅうがモクモクしたので、廊下の窓をあけっぱなし
にした。満点の星がきれいだった。

星ガレイ・・・・気をつけると・・・・星が(き)れい!感謝。

まわりに「猫」はいますか?恋をしてますか?

芥川賞作家であり、医師でもある南木佳士さんのエッセイ「猫の領分」。
能登休みの時、なんどか読み返す。飼い猫の「トラ」の晩年のゆっくり下っていく所作と、自分の
老後の今とをだぶらせて記述する表現などが「なるほど」と、合点すること多しでいい。
彼の働く病院に「楢山節考」の著者が入院していて、そのことを綴った「人間・深沢七郎」も興味深かった。
文學会新人賞をもれった時の、深沢氏のことをこう書いてあった。

(自分がした受賞の挨拶は記憶にないが)‥祝いの品として万年筆と「夢屋」のダンゴを持ってきてくれた深沢さんの話したことがらだけは、
はっきり記憶に残っている・・・

その「夢屋」というお店は、曳舟にあって、今は「ルプチパリジャン」というカフェ(兼書斎)になっている。
そこの店主が、こないだ天真庵の「玉子かけごはん」にきてくれた。不思議なシンクロニシティ。

話はネコにもどる。能登の家に2か月ぶりに帰ってきた時、いつものように「のらちゃん」たちが出迎えにきてくれた
のだが、いつもより数が多い。「?」と思っていたら、近所のおばあちゃんが「〇〇さんが天国にいった」とポツリ。
魚釣りの名人で、さざえやあわびとりの名人だったじいちゃんが、召されて、のらちゃんたちの「領分」に変化が
あり、「お世話になります」ということなのだろう。我が家のエンゲル係数は、ネコの占める割合のほうが、多くなりそうだが、
ま、しかたない。人もネコもサバイバルな時代だ。

能登の春寒の夜、相手を求めて狂おしくよがる猫の声は、どことなく「恋の季節」の切なさと、不気味さを
感じるが、今年の「恋猫」ちゃんらは、じいちゃんを偲ぶ思いも混ざっているように思える。
かたや人間さまの世界は「色恋営業」や「ロマンス詐欺」が、はばをきかせている。猫以下だ。感謝。

東日本大震災から14年。

昨日が、「東京大空襲」から80年。天真庵の建物も80歳。
今日が、東日本大震災から14年。
14年前の午後、お店の1階では、チーズケーキを切っていた。
2階では、お至覆(しふく)の教室をやっていて、筆子さんが
あわてて一階に降りてきて「火をとめて」とおらんだ。
「どうして?」(チーズケーキのカットに集中していて、気が付かなかった)、
と答えたと同時に、大きな揺れ。お客さんを外に誘導した。
表においてあった大きな甕(かめ 焼酎なんかを醸す甕)が、倒れて割れた。
実質的な被害は、それだけで、お店の器や、水出し珈琲のガラスの器具などは、
奇跡的に無事だった。

次の日は、お店の前のうらぶれた十間橋が、渋滞していた。東京から千葉の方面にいく車などが
いっぱいいて、動きがとれない状態。二階でお至覆を教えていた武内先生も、自宅の吉祥寺までの電車
が動いていなくて、我が家で雑魚寝した。お店は当時・築66年。高齢者みたいなもんやけど、梁(はり)などが
しっかりしたものを使っていたので、壊れなかった。昔の人の「気骨」を感じた。

今日、能登の家に「電気屋さん」がきた。東京の墨田区出身で、16年前から能登に移住し、電気屋で修行し、
最近独立した。祝いをかねて、「家ぜんたいの漏電のチェック」や「壊れた電気照明の取り換え」・・・などを依頼した。
震災後は、はじめてなので、無事だった(屋根が壊れて、畳などは大被害を受けたけど)ことを確認して、
「こんな大きな家のシンカベが無事でよかったよかった」と、手で壁をさすっている。
「真壁」(しんかべ)・・・・柱や梁を露出させて仕上げた内壁で、日本家屋の伝統的な建築工法で。土壁は土と藁(わら)をまぜてつくり、芯には竹を編んでその上にぬりつける工法。日本独特の気候風土でも快適に過ごせる暮らしの知恵が詰まった壁の仕上げ方だ。能登の志賀町でこれができる業者は一件だけらしい。しかもどこの世界も同じで、後継者がいないらしい。

そんなわけで、我が家の「シンカベ」は奇跡的に無事で、今週末には、電気の照明器具なども新しくなる。
地震に遭遇することがなくても、「古民家に住む」というのは、維持費はそれなりにかかる。
でも、日本人がこの国で暮らしてきた「知恵」などを、追体験できることが、今はなによりも幸せなことだと
思っている。そんな中で、「炭火で暮らす」経験を積み、能登の珪藻土七輪を使っているうちに、地震がきて、
ある日ちゃねって「UFO焙煎器」ができた。そして、今年はUFOが優美に「わかる人」に伝わっていく年となる。
「寒い」などと愚痴っていたら、バチがあたりそうだ。感謝。

能登くらし 一日目

先週の土曜日に、味噌つくり99人目を無事におえ、2か月ぶりに能登にもどってきた。
最終日にこられた陶芸家の渡辺愛子さん。彼女は東京と伊賀の二股暮らし。
彼女のすすめで能登の家に「コンポストトイレ」を設置した。「田舎暮らし」で一番の「おくりもの」だと痛感。
昨年も、103人の味噌つくりが終わって、能登に3月の始めにもどった。震度7の地震を
正月に受けて、近所の人から「家の瓦がだいぶずれている」との連絡を受けていたので、
罹災後2か月後にきた家は、井上陽水の♪問題は今日の雨 傘がない・・・
ような状態だった。ボランティアの人たちや、梅林ガールズ、友達たちが、きてくれて、
なんとかまた「能登くらし」ができるようになった。「たくさんの人のおかげで生きていけてる」
を感じる年だった。

昨日は信州のパーキングで車中泊。気温は「マイナス3度」だった。「なんやら」(覚えていない時に使う語彙。)
というメーカの寝袋を車に積んでいる。エンジンを切っても、平気の平左、という優れものだ。これからは、どこでいつ罹災
するかわからないくらいサバイバルな時代。避難所暮らしや、車の中で生活する、ということになった場合、この「寝袋」
は必需品になると思う。人はみな「自分は被災しない」とか極端だと「自分は死なない」とか思っている(笑)アホや。

朝はいつものように、新潟の「新井パーキング」まで走り、「ひだなん」という野菜や茸や山菜の直売所に
いく。いつもは「お米」が山のように積まれているのだが、空っぽ。「令和の米騒動」。政府は「減反」を農家にすすめ、
3年くらい前から「お米よりも小麦を食べる」という、米国(なんで米がついてるんやろ?麦国でいいやん)の史上まれなる
植民地政策のなれのはて・・みたいな状態だったのが一転、「米がない」茶番劇が続いている。なんでやねん?
米は、自分でも作っているし、妹がつくる米もあって、買ったことがない。農家のじいちゃんのつくる「キムチ」と、おばあちゃんの手作りの「こんにゃく」を買って、いざ能登へ。

和倉温泉の「総湯」(入浴料480円)についたのが、お昼の12時過ぎ。ボランティアの人たちも、一段落したのか、
いつもより少なく、BGMのショパンのピアノがこころなしか、さみしく感じた。
和倉温泉の温泉施設も解体工事が進んできたように思う。「加賀屋」も解体は未定だけど、施設内に
新しい温泉施設をつくることになった(来年完成予定)。能登の復活には、この地域の「再生」が、カギになると思う。
火山がいっぱいあるから地震も多いけど、「温泉」は、どんな時代がきても「天国」やと思う。

被災してしばらく休業していた近くの「増穂の湯」という町営の入浴施設も再開した。
65歳以上だと260円(普通は520円)で、天然温泉に入れる。
昨年の地震からこっち、能登半島の人口は、激減しているみたいだけど、考えようによっては ♪ここは天国 能登半島(釜ヶ崎人情の替え歌)
かもなんばん。温泉のいいところは「生きているのか(現象世界) 死んでいるのか(実相世界)のか区別がつかない刹那」
雪国の冬の世界も、この世とあの世の結界を、雪がふさぐこと・・・差別とか落差とか「比べる」必要がない桃源郷。感謝。