梅雨入りがこんなに早い、とはつゆ知らず

昨日は一日雨だった。
九州ではまた大雨になっているところがあるようで心配だ。
世界は、コロナ一色で右往左往しているけど、温暖化で海水の温度があがり、穀物や野菜も不足し、
魚の生態系もかわっているようだし、また中東では戦争がはじまりそうやし、
どこにくるかわからいくらい、大地が揺れ始めた。オリンピックどころではない。金メダルよりも、生き残りのほうが大事。
パンデミックとか、カタストロフィ、なんていう言葉は、ノストラダムスや、古文書などに
でてくる「予言言葉」と思っていたけど、なんだか、毎日がそんな渦中にいるような感じになってきた。

「平成」は、人間の邪悪な行動で、だましあったり、奪い合ったり、地球環境を破壊し続けるのを、大いなる自然の神様(サムシンググレート)
が、「地球の自浄運動」のために、「大掃除して、平たく成る」というようなことだまだったらしいけど、どうも令和にあたらたまり、
「いよいよ本番か」と感じている人も多いと思う。大多数の人が「まさか・・・そんなこと・・・絵空事でしょう」
と他人事だったのが、会社へもいけず、田舎にも帰れず、外で酒も飲めず、連休というのに旅行へもいけず・・神が「いけず」しているような
事態になるとは、ゆめゆめ思わなかったに違いない。こんな時は、「自分がほんとうにやりたいこと」の準備をすることだ。
「神のはからい」は、自分の子供たる人間を懲らしめよう、なんてちっぽけなことではなく、「陽気くらし」をしてほしい、と思っているはず。
それぞれの人たちが、「自分らしく陽気にいきる」、そんな世界を願っているのではなかろうかしらん。

能登の梅林を見ると、暖かさと梅雨入りのはやさで、立派な「梅」がたわわになっている。「梅林ガールズたちの梅仕事」は、
6月後半に予定しているけど、たぶん、中あたりにシフトしたほうがいいかもなんばん。
今年は全国的に梅は豊作みたいなので、うまく漬けると「100年もつ」梅干し作りに挑戦するのも一考だ。

昨日は野良仕事や釣りができなかったので、いただいた「こしあぶら」を醤油とミリンでいためて瓶に詰めたり、
珠洲でもろうた筍を濃いめの醤油で煮てタッパーに入れたり、前の海でとれたサザエ20個を、そば用の「甘醤油」
で佃煮にしたりして過ごした。熊本の「そばのお弟子様」から、人吉の「鳥飼い」(めちゃくちゃ美味い米焼酎)
が送られてきたので、夕餉は、それをロックにして、「保存食用につくった食材」を、豆皿にのせて、チビリチビリ・・
まだ、この村にある「総合デパート 中根酒店」にいっていない。ぼくのがま口の中のお金は、近くの神社に毎日投げ入れる
じゃり銭が少し減ったくらいで、キャッシュレスいうか、どこにお財布があるかもわからない状態。

コロナ禍で「田舎暮らしをしよう」という動きが加速しているみたい。
「都会の生活がいやになって・・」とかマイナス思考のまんま、住むとこを都会から田舎に移すだけだと、
今以上に住みにくくなるかも。都会以上に人間関係は密で、濃い。
でも「ままよ きんたま おとこのこ」で、腹をくくって移住してきた人たちの暮らしを見ていると、
「田舎暮らしは宝がいっぱい」。やはり「こころのおきどころ」なのだ。

今、海辺に住んでるおばちゃんが、ハチメ(めばる)を10尾、はらわたまで処理してもってきてくれた。
お土産替わりのそばのタッパーに「ぜんまいの煮付け」も・・・
朝から飲みたくなるような気分。感謝。

理想的なそば & 珈琲

昨日の夕方携帯が鳴った。
建築家の白井さん。ぼくのそばの師匠・高橋さんが
山梨「翁」から、広島に移住した時、広島の山の中に、「蕎麦道場」
を建築する依頼をした。「厨房以外、注文をつけない」を条件に、完成し、
「雪花山房」(そばの花が雪のように咲いている と、詠った杜甫?白楽天?蘇東坡?の詩から命名)
ができあがった。そして、ギャラリーを始めたばかりの「野村青年?」を、その道場に
勝手におくりこんでくださった、というのが、ぼくが「蕎麦打ち」をやるようになった原点。
お店部分には、「達磨」という、白井さんのお父様・白井晟一さんの書が掛けられ、お店の名前が「達磨」になった。
天真庵の一階にかかっている「生」という字も白井晟一さんの揮毫したものだ。その横にかかっている時計も、白井さん
が生前愛用していたドイツ製のぜんまい時計だ。

だから、高橋さんの薫陶を受けた弟子たちのお店は、その土地を冠に、「なんとか翁」とか
「ほんやら達磨」とか「〇▽雪花山房」なんていう名前がついている。
あまり、できのよろしくない弟子のせいで、うちは「長屋茶房天真庵」、早川のお店は「ながや」
として営業している。まだあわせて二件しかないけど、三件目に「長屋・・か、ながや」がつくと、
「ながやグループ」になるかも知れない。秋に熊本で、一軒そばやが始まりそうだが、「長屋のくまもんそば」
なんて銘々されたら、もしかしたら、全国津々浦々に「ながや・・」ができるかもなんばん?

そんな流れもあって、恩人の白井さんに、毎年暮れに「年越しそば」をおくる、というのがならわしになった。
そして、年賀状には、「そばありがとう。今回のそばは、まだまだ不ぞろいだけど、勢いがある」
みたいに、ほめる、と同時に課題も書いてあるエールみたいなものが書かれている。10年目を超えたあたりの賀状には
「ずいぶん、上達したけど、野趣をわすれたら蕎麦は台無しだ」と書かれていた。
どの世界でも、上達してからわざと下手に見せるような演出をすると、野暮なことになる。そばも「野趣」を持ち続けるには、
技術よりも、精神性のほうが大事だと思って精進している。

そんなふうに14回の賀状をいただいた。そして毎年、一月の「ことはじめ」あたりに、電話をくれて
「賀状だけだと失礼なので・・・」という枕から始まり、そばや珈琲の話をする、のが、ならわしになっている。
昨日の電話は「今年は賀状はだしたが、電話して声を聞いていないので、寂しくなって・・・」とのことで、お互いに
歳をとって、スローになっていくことを笑いあった。「今、能登の家です」というと、「大学時代(昭和19年生まれなので、東京オリンピックのころ?」
に、能登の富来(とぎ)の旅館に泊まって、海水浴をしたことがある」という話になって、その旅館の名前を思い出すように、モグモグしていたので
「ひょっとして、コゲツカン(湖月館 初代の主人の号から命名)ですか?」と聞いたら、「そうそう、コゲツカン。古くて小さな旅館だったけど、
女将が美人で、料理がきどりなく土地のモノをだしてくれて・・」と、まるで半世紀以上も前の話を、昨日のことのように話をされた。
「二日前に泊まった」などというと、長電話になりそうなので、「こんど泊まりにいってきます」というと・・「そうか、なつかしいな~」
という流れで電話は終わった。

白井さんが、お父様の弟子になったころ、毎朝珈琲を淹れてくれて、ある日
「ほんとうに、おいしい珈琲とは・・」と切り出し、「大事なことは、飲んだ時のすっきりした味、
冷えても舌の上でころがるまるい感じ、そしてなにより、一度体の中に入って、ゲップのようにでてくる余韻が
ここちいいこと」と教えられたらしい。毎年、そばといっしょに「ほぼブラジル」もおくっている。
「輪花ドリッパー」ができあがって、余韻のここちよさと長さがかわったきた。こんど彼のアトリエに
「輪花・・」をもって、でかけてみるとしよう。「ゲップの味が違いませんか?」と聞いてたい。

今、ぼくが考えている「理想の珈琲」

のみ口 ひと口めが すっきり
人肌に さめても まったり
あと口 余韻が  一時間                 感謝

能登のあさごはん

湖月館で、黒藻のしゃぶしゃぶがでた。
土鍋に、水がはってあって、それを蝋燭の火で温め、
沸騰したら、片口の取り皿にとって、食べる。いじょう!
ワカメや岩ノリもそうだけど、余計な豆腐とか、長ねぎとか、鳥肉や四つ足もの
の肉、魚などはいれない。それがまた美味いのである。
ただし、はってある水の中には、「いしる」(いしる)が入っているのだ。

大塚に「串駒」という有名な居酒屋がある。主人は還暦前に召された。
熊本出身で、いつも着物を着て、髪を長く伸ばして、仙人みたいな風貌やった。
そこのおやじが能登を旅して、「いしる」に出会い、「いしる鍋」を名物料理に育てた。
彼が鬼籍に入ってからは、一度もお店にいってないが、たぶん今でも「いしる鍋」はあるんじゃないかしらん。

春、藤の花が咲くころ、縄文人は「そろそろイルカがやってくる」ことを知っていた。
みんなで協力して、イルカを捕り、みんなで仲よく分けた。冷蔵庫も冷凍庫もない時代なので、
「魚醤」を使って、余った肉を保存した。能登の「いしる文化」はそのなごり雪。
♪なごり雪も 喰うときをしり・・・

縄文真脇遺跡のある能登町あたりは、「内浦」といってイカがよくとれる。富山湾側なので、
ブリの漁場でもある。だから魚醤の材料に「イカ」が使われる。
反対側、能登の天真庵側は「外浦」。風が強いけど、海藻やかにやイワシが豊富にとれる。
だから魚醤は、「イワシ」を使ってつくる。
季節のあいもの。たとへば、筍の時期に、ワカメがとれ、それを同時に炊いたんが「若竹煮」。
同じように、ワカメや黒藻がとれる時期に、その地で醸されてきたイワシの魚醤を入れて
シャブシャブをする、というのは、料理の神髄の「食材の理(ことわり)」にかなった方法だと思う。

そんな簡素なものの中に「ホンモノ」がいっぱい。
間違えても、「のどぐろが食べたい・・・ボリボリ」なんてほざいては無粋だ。
どうぞそんな輩は「のどぐろ専門店」や高級という冠のついた旅館にいってくだされ・・・     

今朝の朝ごはん

珠洲のじゃむやさんにもろうた筍を使って土鍋で「筍ごはん」を炊いた。
庭に自生している「ふき」を、塩を板ずりして、ゆで、魚醤と酒を加えて、能登風ふき、をつくる。
東京から運んできた糠味噌でつけた胡瓜のお漬物。味噌汁の実も「ふき」と「さざえ」
まだ、能登にきて、買い物をしていない。O円生活。
徒歩25分のところにある「総合デパート」の「中根酒店」にもまだいってません!今日あたり
ビールでも買いにいってくるか。感謝。

湖月館

ぼくのHPのリンクの一番上にある。
福岡出身の作家福永武彦氏ゆかりの宿であり、筆子さんの
おばあちゃんの生地からも近く、前々から気になっていたので、
ままよ、で一泊してみた。能登の家から車で30分くらいでいける距離。
へんな話ではあるが、「能登の定宿」にしたくなるほど、料理よし、女将と若女将
よし、文人たちの知的な余韻が残っていて、酒を飲むほどに、なんとなく饒舌になる、不思議な癒し宿だ。

昨年は梅林ガールズたちと、輪島の「夕陽がきれいなホテル」に泊まって能登の夕陽を見ながら地酒を飲んで
談論を風発したが、今年は、「湖月館」を「能登の大人の修学旅行」の宿にしたい、と思う。
信州へ修学旅行にいった時、高校の国語の先生から「夜明け前を読んでいく」のを宿題にさせられた。
同じように、この宿に泊まる前に、福永武彦先生の随筆「遠くのこだま」を読んでこれれると、きっと能登の旅愁がかわってくるはずだ。

筆子さんのおばあちゃんは、明治32年にこの地で生まれ、大正のはじめころ東京に奉公に生き、
大工のおじいちゃんと結ばれ、その嫡男の長女が、筆子だ。
大女将は、宿から近くの銭湯屋の娘さんでそこから花嫁として嫁いでこられたらしい。彼女の母は30年近くに天国に引っ越しされたらしいが
筆子さんのおばあちゃんとは、生まれ年も、同じだし、
もしかしたら、友達だった可能性も高いし、間違いなく同じ学校に通い、そのお風呂に浸かったに違いない。
「家の近くに梅林があった」という生前の口癖も、大女将から「そうそう、確かにありました」との証言も得られた。
人の縁というものは、自分ひとりの縁ではなく、親やその親のご先祖さまの加護を、いただいているのだと痛感させられた。

今日宿から能登の家に帰ってきた。駐車場に車を止めるがはやいか、近所のかたが「今朝釣れた魚もっていって」
といって、ハチメ(めばる)を6尾いただいた。昨日宿へいく前に立ち寄ったジャムやで調達したいちじくジャムと
原始的ぶつぶつ交換して、さきほど、開いて、梅酢をぬって、天日干しにした。
能登に暮らしはじめて3年が過ぎ、観光客や旅人の目線が、地元の住民目線になり、四季折々の風物詩
にも、あまり肩肘張らず、力まず、自然体で「能登で生きている」という感じになってきたように思う。
ただ、出会う人たちが、みな「無駄のない縁で繋がっている」感が強く、何か大きな自然の神様みたいな
ものに、「ありがとうございます」と祈りたい気分の日が続く。天恩感謝。

和気あいあい

昨日は、不思議なアイピローの実験二日目。
初日は、少しワクワクして寝付くまで、しばらく時間がかかったけど、
睡眠の質、つまり深さはいつもと違い、朝6時の災害用の有線「目覚まし音楽」
のも気が付かなった。東京からの車の長旅の疲れか?とも思った。
昨日は、畑の草むしりをした後は、晴耕雨読よろしく、本を読んでいた。
さすがに還暦を超えると、集中力が衰え、目が疲れる時間がはやく、すぐに横臥して、
音楽を聴いたりしながら目を休める、というのがならわしになってきた。
しかし・・・
昨日は、2冊本を読んだのだが、目が若い時のように、疲れない。
つい、布施明になりきり♪疲れを知らない子供のように・・・
とシクラメンの香りを、鼻歌にしながら、酒を片手に本を読んだ。

昨日は、アイピロー(わきあいあい WAKI・EYEEYE)の耳にかかる麻の紐を少ししぼって、
寝てみた。朝起きたら、昨日よりも、EYE EYE で、目が楽だ。
さっそく、近くの湧き水を汲んで、珈琲を淹れる。
ドリッパーは、いわずと知れた「輪花ドリッパー」。
備前の「縄文ドリッパー」のポットの上に、「輪花・・」をのせ、そこに「ほぼぶらじる」
を桜の木でできたスプーン2杯入れ、薬缶にチンチンに沸いた湧き水を入れる。
一投目は、珈琲ドームがゆっくり膨らむように、赤子をあやすような気持ちで淹れる。
二投目は、そのドームができて、20呼吸くらいから30呼吸すぎてから・・

備前のポットに蓋をして、今朝は海が見える場所まで運んで、凪いだ海を見ながら、
斑唐津のグリップなしの器で飲んだ。
今日は、注文をもらったお客さまのところに、その「輪花ドリッパー」を届けにいく。
「プロ」の珈琲通の人たちに、うけているみたい。
普通のペーパーフィルターを使うタイプだけど、ネルで淹れたような味になる。
「わきあいあい」をつけて、寝ると、そのネル感が、もっと敏感にわかる?
でも現実は、こんな洒落をいっている場合ではない。「わき・・」
はワケがわからないけど、注文が殺到していて、筆子さんがネコの手になって、
来週手伝いにいく緊急事態になっているのだ。感謝。

かりもの かしもの

昨日、無事に能登の家に到着。途中の信州の山々には、新緑が芽吹き、
能登に近づくと、藤の花が野趣たっぷりに、ほかの木々を覆うように咲いている。
縄文人たちは、藤の春が咲くとイルカがやってくる、という時計をもっていて、みんなで協力
して捕獲し、保存のために魚醤などの醸す技術を身につけた。最近盛んに「発酵食が体によい」
と、かしましいけど、縄文人たちは、ネットもスマホも冷蔵庫もない時代から、ちゃんと心得ていたし、
宇宙人たちとも自然に交流していてみたい。

彼らは宇宙規模で「かしもの かりもの」という哲学を
身に着けていた。考えることもなく、この自然の中に生かされているぼくたちの、細胞や臓器の
ひとつひとつは、自分でつくったワケでも、親がくれたワケでもなく、ホルモン系・自律神経系などが
知らぬ間に、自動に働いてくれて、息をしたり、嚥下・咀嚼、消化、排泄などを勝手にやってくれている。
言い換えると、親や兄弟や財産や身のまわりのモノも、みな「借り物」で、神様が必要なとき
に必要なだけ無利子で貸してくださる。だから「自分だけ儲けよう」とか「今だけ良ければいい」
とかいうおそまつな守銭奴感覚がなく、長い時代、戦争がなく平和な世界やった。

いつものように、お店の最終日であまった「そば」と「珈琲豆」をご近所さんに、おくばりする。
留守中に、畑をやってくれたり、お願いもしないのに、雪が降ったら、雪かきをやってくれたりする。
こんなことも、縄文時代は、日常茶飯だったし、地方や東京の下町では、
当たり前のように、醤油の貸し借りをする。これもまた「かりもの かしもの」の縄文哲学やと思う。
お返しに、野菜やサザエや海藻をいただき、今朝の味噌汁の実は、地産地消の能登味噌汁。

昨日能登の家のポストに、三輪福さんからスマートレター。表に「配達ありがとうございます」
と、郵便配達の人へのメッセージ付きで、中に話題の「わきあいあい」(アイピロー)
が入っていた。音楽療法の手法で、アイマスクの中に、不思議な波動を転写したものが入れてあり、自作の藍染
の布に入れ、こめかみのところには、「まろさま」(小さな隕石玉)をふたつ上手に入れてある。アロマの香りもさわやかだ。
さっそく、昨日は、それを着けて寝てみた。UFOがきたら、見えるようにと、いつも寝室の窓は
障子をあけているけど、真っ黒になるので、そんな雑念は吹き飛び、かえるの合唱を聴き続ける時間も
わずかに、熟睡世界を気持ちよく徘徊できた。感謝合掌。

いろいろ暮らしの実験室

これから、「卵かけごはん」
2011年の一月から始めたので、10年になった。
それから何年か後に、アドマチック天国にでて、スタジオまで持ち込まれ、
スタッフが食べるシーンが放映されたことがあり、その時は、朝から
行列ができていたけど、今では落ち着いて、常連さんたちが、大黒湯
という近くの温泉がある人気の銭湯で朝風呂に入った後に立ち寄ったり、
「早朝蕎麦打ち教室」で、そばを打った後に、食べたり・・
雨が降ろうが、槍がふろうが、必ずこられる神様みたいな常連さんもいる。
能登休みが、火曜日からになったのは、その神様のために、神棚にお供えするように、
卵かけごはんを終え、その日の営業を終えて出発することに、あいなった、しだいなのですばい。

能登の家まで、東京から550kくらい。全部高速道路だと、なんということがない距離だけど、
途中から下道で能登路を走るので、いつも松代あたりで、仮眠をとる。高速道路の上は、お酒が
打っていないので、クーラーボックスの中に、そば、そばつゆ、などを入れたすき間に、「そば前」
の酒と、卵焼き、かまぼこなど、そばやの定番の酒肴をしのばせてくのがならわしだ。
どこへいくにも、「21世紀の旅茶碗セット」をもっていくので、その中の宝瓶の中に
忍ばせている煎茶碗が、旅先では、酒器のピンチヒッターになる。もっといえば、その
宝瓶かて、鍋の中に湯をはっていれると、「燗鍋」に早変わりする。
極端な話、車の中に、「21世紀の旅茶碗セット」と、「七輪」(できたら珪藻土がいい)、と炭を
積んでいたら、どこでも暮らしていける。春の山は山菜の恵みがあり、四方が海に囲まれた国なので、
釣りが少しできれば、朝ごはんなんて、朝飯前に調達できる。

昔、クロネコなどがない時代、お茶の生産地から、各地のお茶やさんまで、木の「茶箱」でおくられていた。
だから、お茶やさんにいくと、「八女茶」とか「静岡茶」とか、生産地のラベルが貼った「茶箱」が積んであった。
中に保湿用のブリキが施されていて、着物や小道具などを入れる収納箱として、今でも、整理上手な人の宝物。
玉露など、貴重で生産の少ないお茶は、底がA4より少し大きめくらいの、小箱で流通された。
14年前、天真庵が十間橋通りに産声をあげた時、この通りにお茶やさんがあった。お店をやめる時、
その小さな茶箱をいただいた。並びの骨董屋から、神代杉の折り畳みの小さなちゃぶ台を買い、それを
木工の足立くんに頼んで、茶箱の中に入れる「仕切り」をつくってもらい、上に5cmくらいの丸い
穴をあけてもろうた。旅先に、その穴の上にドリッパーをのせると、珈琲がのめる仕掛けになっている。
仕切りは、風呂場の椅子みたいな形(あの椅子にも、けつの穴ようの穴がほげてあるな~)。
茶箱には、「輪花ドリッパー」「筒形のミル」「紙のフィルター」と珈琲のサーバーは、ニュヨーク
のトライベッカのギャラリーで買った「備前の宝瓶」だ。まさに「宝の箱」のごた~。

これから、いろいろな事情で、ノマド生活を強いられるようなことが、日常茶飯になるやもしれない。
そんな時のために、「命が尽きても、残る一生もの」の道具を、こつこつ、小箱に集める、
という準備も、けっこう楽しいものだ。もちろん、水とか乾パン、使い捨ての簡易トイレなどを入れるリュックの
準備もおこたりなきように、せつに、お願いもうしあげます。
明日からしばらく能登で暮らしまする。

どんな状況にあっても、朝一杯の珈琲やお茶が飲める、というのは、至福な時間であり、そこは「わたしの天守閣」なのです。

夏も近づく八十八夜・・

星野村から新茶が届いた。コロナだろうが、渾沌だろうが、自然は悠久のリズムで、
いろいろな恵みを与えてくれる。能登から汲んできた水を沸かし、宝瓶に新茶とぬるめの湯を
淹れて深い呼吸を十呼吸。「今年の新茶もすばらしい」という至福のお茶時間。

季語のなくなった都会で暮らしていると、
新入社員とか、ピカピカの一年生、この界隈だと、制服の運動着が新しい幼稚園生が
歩きはじめる時に、「春だ~」と感じるくらいで、春夏秋冬さして変化がない。
ましていわんや、みんな止まって、家で空調管理された部屋で、PCやテレビの中に、ひがな一日
入り込むような生活では、なおさらだろう。長かろうか、短かろうが、我が人生に悔いはなし・・
石原裕次郎さんがそんな歌を歌ってあの世に旅立った。短かろうが、長かろうが、その人の人生
には、その人の春夏秋冬があるはずだ、と、松下村塾の塾長・松陰先生はのたまわれて、逝った。
このままだと「一億総 坐して死を待つ」ような状態だ。

明日の卵かけごはん、6時まで営業が終わると、能登へ出発。
今回は、梅林の草、わが家の畑に群生する「いたどり」(といっても、鳥じゃないよ。植物)
たちの除去が待っている。「雑草」という、人間がきめた分類に入れるとかわいそうなので、
畑の周りに置いて、土に戻す、という循環のお手伝いに使っている。
お店の前のプランターには、みょうがの芽がでた。やわらいうちは、みそ汁の実にしたり、
お浸しにしても美味い。留守中に、水をやってくれる文庫ちゃんは、それを酒肴に一献。

先月の能登は「わかめ」をとって、庭先で干す、というのが季語というか、春の風物詩だった。
たぶん、今月あたりは、さざえが解禁になり、やまんごとお裾分けに授かり、能登の家庭には、
必ず常備されている「珪藻土の七輪」が大活躍する。
炭火で焼く「つぼ焼き」にまさる食べ方以上のものがない。街の料理屋などでは、つぼ焼きする
時に、醤油をパラリとかけて、煎餅をやくようなニオイの中で「おいしそー ボリボリ」といいながら
酒のつまみにするのが、一般的で、最初の一年は、醤油を使っていた。でも、それだと、最初の身はともかく、
胆の味がうすれてしまう、ことに気がついた。胆まで「うまい」を味わいつくすのは、「そのまま」、海の水
を含んだまま焼いて、礒の香りを楽しむ、が一番。
「いろいろ」を足して、かえってダメにするようなものが、けっこうまわりにあふれているのを、再確認
できるのも、田舎暮らしの特典でもある。

今回はいよいよ、自作の「能登風焙煎機」で、珈琲豆を焼いてみる。
川口葉子さんの「次作の喫茶本」には、そんな「懐かしい未来の珈琲文化」がまた紹介されるといいな。
今、本屋に並んでいる「喫茶人かく語りき」は、書籍が苦戦している中では、好調な売れ行きらしい。
ぼくは、「煎茶」のことを、「かく語りき」で、彼女が10年以上前に来店した「天真庵デビュー」の日に
話したことを、今回の本で紹介されて、大変うれしく思っている。感謝。

おいしい珈琲とは。。。飲み口 一口目が・・

連休中は、家から5.5k内の「近場」を散歩する人が多かったみたい。
連休が明けたら、間引き運転する電車は、以前のような満員電車だし、
感染者数は減らないし、重傷者数や、若者で感染して重症化する人が
多くなっている。緊急事態宣言が、延長され、今月いっぱい
福岡・名古屋を加えて、実施されることになった。中洲も栄の飲食店も大変だ。
「短気集中でコロナを絶対に押さえ込んで」とかいって、選挙演説よろしく
腹の底から言っていた政治家が、選挙後何もなかったように、手のひらを反す「腹芸」
ようなことが日常茶飯の中、また、あっさり延長された。

国民の命を大切にするのだったら、オリンピックを中止にする、のがまず最初に
すべきだろうし、このコロナ禍の中で、また再稼働の動きがある原発をやめるほうが、
「国民の命」を大切にするために、すべきことのような気がする。

能登の家は志賀町にある。今は止まっているけど、原発がある。
時々、福井県の恐竜博物館などに遊びにいく時、風光明媚な海岸線に原発が、くさびを
打つがごとく立っている。地元の人たちは、「原発銀座」などと揶揄しているが、
東京一極集中で、過疎の田舎を経済的に回す手段として、原発や風力発電が、墓標の
ように並んでいるのが、今のニッポン、チャチャチャ、なのだ。

ついこないだまで、世界中を席捲していて、日本の工業製品とか車などが、よその国に
押され、医療技術も最先端をいっていると思っていたけど、ワクチン開発のワの字にも至っていないのがもどかしい。
その上、子供たちが「将来希望を描いている度」が、尻から数えたほうがいいくらい、低い。

話はかわって、一昨日、焙煎教室で、焙煎した豆を米櫃(こめびつ)に入れ、のチャフをのぞく作業を表でしていたら、古い米櫃(こめびつ)の
底が抜けて、焼き立ての焙煎豆が道路にこぼれた。それを拾う作業をしていたら、押上小学校から家路を急ぐ女子小学生ふたりが
自然にしゃがんで「手伝いましょうか?」といった。さりげない風景だけど、下町の人情いっぱいの家で育った子のやさしさにふれた
ようでうれしかった。今の日本人になくなりかけた「人間味」みたいなものだ。
大変なアクシデントだったけど、焙煎塾の人たちも、幸せな気分になり、珈琲の残り香にも、ここちよい後味が一時間くらい続いた。

このごろ、「輪花ドリッパー」を使うようになって、自分の目指す珈琲の目標が、少し高くなった。

「天真庵が考える美味しい珈琲とは・・」

飲み口 ひと口めが すっきり
人肌にさめても まったり
あと口 余韻が 一時間         

やはり一番大切なのは、「人間味」やろうな。料理とか手作りのモノも、そやろな!感謝。

焙煎教室があつい!

昨日は、焙煎教室。
「もう卒業してもよかばい」というレベルになった、前世が👽宇宙人だった、という女子と、
同じ星からやってきた、という女子が午前中にきた。
ひとりは、サイフォンをまじめに勉強している。
ベテランちゃんは、焙煎している姿、チャフをお櫃で飛ばす所作、石臼で珈琲豆
を挽く姿、そしてサイフォンのお湯があがって、それを竹べらで、右回りにまわす姿
も、サマになってきた。蕎麦を手繰り、帰り際に「もう卒業してもいいぞ」と、念をおして
いうと、「すいません、居座って」といって笑って帰っていった。

もうひとりは、これまでの人生、珈琲というを飲んだことがない。なのに、「なんとなく、これから珈琲を
日常の中にいれてみたい」ということで、入門してきた。この会は、自分で焙煎したコーヒー豆を
お土産に、がならわしだけど、「まだ家に珈琲を淹れる道具がないので」ということで、黒豆茶を
もってかえる。宇宙人的なふたり。

午後のふたりは、地球人だけど、UFOがよく見えるくらいの高度の空間を、たくさんの人を運ぶ
お仕事。「空飛ぶ、鳶職」さんと、ジャズ歌い姫。能登の合鹿碗(ごうろくわん)を、能登町の山んなかで
やっている職人さんのところで鳴っていたジャズのCDに反応した。ピアノは、天真庵ゆかりの子だったけど、
そのCDのベーシストの熱烈なファンでもあることが判明。
昨日は、午前中が、ブラジル、コロンビア、午後が、ブラジル、モカ。
午前中のブラジルが、少し深めのイタリアンローストにほぼほぼ近く、午後のブラジルがちょうどいいかげんな
シティーロストになり、ぼくが前日焙煎したデカマラ、もとい、ガテマラとブレンドしたら、「ほぼほぼブラジル」
ができあがった。
新しい「輪花(ドリッパー)」で淹れると、まるでネルドリップでいれたようなテーストの珈琲になる。
ジャズを聴きながら飲んでいると、20年も以上にやめた煙草が欲しくなる、そんな雰囲気。

「輪花(りんか)ドリッパー」は、プロの人たちに評判がよく、南島原に移住した「くちのつ巷珈琲焙煎所」
や、「押上文庫」、昨日は錦糸町の珈琲専門店「すみだ珈琲」さまから、注文をたまわったので、
歩いて納品した。いわゆるアイドルタイムで、喫茶店などが暇な時間にもかかわらず、表まで人が順番待ちして
おられた。割り込みするおっちゃんと間違えれそうなので、「ギョウシャのものです」と、そのおきゃくさん
たちにことわって、お店の中に入り、店主の廣田さま(ほんとうは、ヒロタクンと敬語を使っておりまする)に
渡した。加えて「天真庵で飲んだ時の感動が再現できなんだら、君の腕がそこまでなので、返品OK牧場やで」
といって、お店をでて、ペットショップ「コジマ?」で、ペットボトルにつけて、子犬の散歩する時、小水にシャー
したり、その中の水をペロペロできるグッズを買ってきた。(天真庵のホームページの「不思議な元気グッズ」にのって
いるピンクのキャップ。これに、小さなうめ星を入れ、元気シールをはったら、ペットにも、散歩途中の植物たちも
元気になる。)先週が「鬼の大特訓2日でプロ目指す蕎麦打ち教室」で休みがなく、今週は連休中で毎日が忙しく、散歩
できなかったので、とってもリフレッシュできた。

今日は金曜日なので18時までの平常運転。
お酒は、31日まで、自粛モード延長なので、「文膳」の人は「花膳」に変更し我慢比べの5月。

明日、明後日は、また別の「くまもん」と「はかたもん」が、「そばもんになるっちゃけん」で
入門してくる。九州にこちらの遺伝子をわけた蕎麦屋が、いっぱいできるイメージ。
これからは「遺伝わけ」という?感謝。