今日の朝の天気予報だと、明日は東京も雪らしい。
たまには雪が降らないと、「なごり雪」みたいな名曲がうまれない。
でも、明日遠くから味噌つくりにやってくるさっちゃんの苦労を心配する。
2月も毎日、味噌つくりが続く。今日は岐阜にUターンしたOさんが、味噌つくりにやってくる。
昨日は名古屋の「そば切り ふ~助」の女将さんがきた。
能登にも「そば切り 〇〇」というお店がいくつかある。藤瀬霊水の近くに、「そば切り げん」
というお店がある。すぐ近くに奇跡的な霊水があるので、その水でそばを打つ。今はご主人が体調を
くずされて、しばらくお休みしている。
名古屋の「ふ~助」の名物の「鰊(にしん)の甘露煮と、ホシシイタケを土産にもらった。
そばやは、昆布、ホシイシイタケは、出汁をつくる時に大事な食材である。
天真庵では、故郷の九州産のシイタケが一番だと思ってしばらく使っていたけど、今は「能登産」
に変えた。これもびっくりするほど美味いけど、名古屋(知多半島)のシイタケも逸品だ。
福井県・永平寺の道元禅師が若いころ中国にいった時の「シイタケの話」が、典座(てんぞ)教訓に
のっていて、今でも曹洞宗の雲水たちにとっては、大事なお勉強の教材になっている。
24歳の道元が中国へ渡った時のこと。
上陸の許可がおりず、港で待機していると、
寧波府の阿育王山の典座(てんぞ・・お寺の料理係)だという老僧が訪ねてくる。
20kくらいの道を歩いて、ホシシイタケを調達しにきたと聞いた若き道元さんが
「あなたのような老師が、わざわざホシイシイタケを買いにくるのは大変でしょう。誰
か若い雲水にでも頼めばいいのに」と問うと、「おぬしは、ほんとうの修行というのがまだわかってないみたいだね」
といわれ、原理原則にこだわり、頭でっかちな自分の求道を内省し、「はっと」悟ったという話。
寒山拾得(かんざんじゅっとく)の絵の、寒山は筆をもっている。寒山詩をの書いたといわれる。つまり「詩人」である。
拾得は、箒をもっている。おなかをすかした寒山が遊びにいくと、おにぎりをくれたらしい。つまり「典座」である。
ふたりが飄々と語りあったことが、のちの雲水や文人墨客たちに影響をあたえ、禅林や絵描きたちが、好んで
ふたりの絵を描いた。
昨日まで「みんなのうた」で「よーかんマーチ」がよくラジオから流れていた。
今日から2月なので、また新しい歌になる。そのうち「しいたけマーチ」が流れるかもなんばん。感謝。