梅見酒にはこの酒が一番?

先日、飲み友のともちゃんがきて「香取神社の梅が満開ですよ」
というので、片づけをいそいで、天真庵から徒歩10分ちょいの
香取神社に夜桜見物の前哨戦のような「夜梅見物」にいった。
毎日、朝の買い物の途中に、お詣りにいく神社だけど、夜もいい。

梅というのは、「産みなさい。新しいことを始めなさい」という花言葉。
また「倦(う)む(飽きる)ことなく、毎日こつこつと同じことを続けてください」
というメッセージも含まれる。今の時代にピッタリな「精神」かもなんばん。

その足で、小村井(おむらい)のエキチカ(駅に地下はないので、駅の近く)の
「仲よし」で、一杯飲むことにした。香取神社の近くにアトリエがあった「ぬすみぐい」の
若夫婦の御用達の居酒屋。ぼくは「玉子焼きがあれば、2合飲める」クチを知っているともちゃんが、
ポテサラとか、もつ煮、とか、ほっけの焼いたの・・・・とかを注文してくれた。
「やきそばとごはん」が合体したような奇妙なお皿もでてきたけど、以外に酒のつまみになる。
♪ほんの一杯のつもりで飲んで・・・・
植木等の歌のように、ハイボールを一杯飲んだあと、3杯「電気ブラン」を飲む。梅には電気ブランが似合う?

若いころ、浅草の神谷バーで、よく「電気ブラン」を飲んだ。酔いやすく(少し悪酔いする)。
昔は、お店の片隅に砂場のような「もどしば」があったとか?
ぼくも、神谷バーの3階?にあったお座敷で、なんどか「接待」をしたことがある。
最初は緊張していたお客さんも、酩酊すると「胸襟がはずれ」て、気がつけば、「ヘッドロック」したり
畳の上で「四の字固め」をしていたことがある。相手は大きな会社の専務。
普通は破談になるような話だが、やはり時代は「昭和」。そこの会社とは、それ以来20年くらいお付き合いをした。
「勝負する接待は、神谷バーで電気ブランを飲んでプロレスごっこ」が、ぼくのジンクスになり、「出禁」
すれすれだっと思うけど、よく飲んだ。

今日は12時から16時。かっぽれのK先生が味噌をつくりにくる。
甥っ子のサマーズの「みむらくん」が、こないだのアドマチにでたらしい。
もやさまには、2年前にだしていただき、「UFO」が紹介されたとで、それからこっち「UFOのお店」
みたいになってきた。「UFO」「TQ元気シール」「隕石玉 うめ星」・・・・
表には「宇宙人歓迎」のシールを貼っていることもあり、毎日「宇宙人」みたいな人があまた
やってこられる。感謝。

一月がいき、二月が逃げる

昨日の「玉子かけごはん」で、2月の「月曜日の朝は玉子かけごはん」が終わり、
来週は3月になる。♪もうすぐ春ですねぇ~・・・味噌つくりもいよいよ終盤がちかづいてきた。
先週、「おばすてやまが曳舟にあった」ようなブログを書いたけど、そこのカフェの主人
がお店にきてくれた。「はじめまして」と名刺を交換したけど、はじめてでないことが判明。
根っこから縁があったみたいな、不思議な邂逅。「深沢七郎の話」に花が咲く。

味噌つくりの最初は、近くでカフェをやっている「たねちゃん」。
珈琲豆が高騰しているので、「いよいよ自家焙煎を始めました」とのこと。味噌つくりの
後は、焙煎談議。世の中、女性のシェフとか、焙煎人が増えてきた。うちの「UFO焙煎器」
を買う人や、新しく教室に通う人も、9割がた女性である。「手取り足取りのUFO焙煎塾」
の熱量もおのずから上がっていく?

昨日の「とり」は、ふたりのベテラン醸し女組に、24歳の娘が新登場。結婚がきまったので、新しい家庭に
「新婚点前味噌」を仕込んで嫁入りするらしい。
味噌つくりに参加する100人の家に、それぞれの家の味噌ができ、悲喜こもごもの物語が紡がれていく。

今日は、「じょぎ」の人たちが、味噌つくりにやってくる。
「女義太夫」をやっている美しいお姉さまたち。感謝。

月曜の朝は、振替休日も「玉子かけごはん」

3連休最後の日。東京の朝も雪はないばってん、寒い。
ぼくは5時からそばを打ち、焙煎をして、残りの炭火を珪藻土竈にいれて、
羽釜でごはんを炊く。

朝からペレットストーブをいれて、暖をとる。
今日も、味噌つくりがあるので、石油ストーブとペレットストーブの上には、
大豆をいれた寸胴がのっている。
「味噌つくり」も、だいぶ「あと・・・・〇人」に近づてきた。

昨日は、今月家族が増えたKさんが、長女のFさんといっしょに味噌つくり。
5人家族になったので「今年から3つ」仕込んだ。
小学校5年になるFちゃんは、まるで母親になった気分で、丁寧に味噌を仕込んでいた。
彼女がまだ母親のお腹にいたころから、天真庵の「味噌つくり」に参加しているので、足掛け12年?

・・・・・お客さんがきたので、今日はここまで・・・・感謝。

女子会情報・・小倉の「うどんや」が本日プレオープン!

土曜・日曜・祭日と三連休。
味噌つくりも「佳境」を迎えている。休みの日は「家族や友達といっしょ」というのが多い。
昨日も、兄夫婦、弟夫婦というのがラスト。その前に、押上小学校6年生の「ママ友」と娘の組み合わせ。
さすがに、小学校も6年生になると、「ままごと」の延長だった3年前と違い、挨拶の仕方も味噌をつくる所作も
「大人顔まけ」になってきた。味噌つくりは「最高の食育バイ」と思う。

ふたりを紹介してくれたママ友が偶然に、「ほぼぶらじる」を飲みにきたので、味噌つくりの後は、
5人の女子がカウンターに座る。さながら「女子会」だ。子供たちには、「がんばったで賞」として、新しい元気シールのコースターを
プレゼント。TQのマンガもできたので、子供たちにもわかるようになってきた(というより、もともと子供たちのほうが、直感で
TQ技術の不思議を感じているフシがある)

ひとりのママさんが「小倉の有名なうどんやさんが、明日両国でプレオープンしますね」と目を輝かし、
もうひとりのママ友が「私、九州のごぼう天うどん大好き」と黄色い声をあげた。
「資さんうどん」(すけさんうどん・・すかいらーくと提携?)が、今日から両国にできるらしい。
不肖のむらくんも♪小倉うまれの玄海そだち・・・・・
で、「小倉のうどん」は大好物だ。でも昔から、うどんは「小倉駅のホームのかしわうどん」しか食べない。
最近駅舎もきれいになり、駅中のあちこちに「うどんや」ができた。でも、昔から個人でゆっくりやっているホームの
「うどん」が、一番うまい。それは、きっと故郷を離れ関門海峡を渡る前に食べる覚悟の「お別れのうどん」であり、
故郷へ帰る時は「おかえりなさいのうどん」になっているからだと思う。「歴の記憶」が、隠し味になっている。

どこの土地にいっても「博多ラーメン」の看板があり、「小倉うどん」があったりするのは、どうよ・・・
という気もするけど、世の中の流れがみなそうで、その流れにのってブロイラーのようにラーメンやうどんをすするのが、
現代人のトレンドなのかもなんばん。
ぼくは「孤独のグルメ」よろしく、少し繁華街から遠いうらぶれた路地裏の個人でやっている小さなお店で、
おでんや地魚をサカナに、北九州の地酒「天心」を飲むのが大好きだ。昨年、たまたま酒蔵の娘さんが、そばを手繰りにきた。
「ぼくは、小学校6年から天心を飲み、自分のお店も『てんしんあん』にしたっちゃ」というと、笑っておられた。感謝。

味噌休みがあけまして、今日からまた味噌つくり・・・

山梨の「農産物直売所」あたりを何件かのぞいてみたけど、やっぱり
野菜は高騰している。便乗値上げもありそうだけど、家計のエンゲル係数や、飲食店の
原価があがりそうだ。

昨日は筆子さんが、「昔の名前ででています」よろしく、建築会社の経理を頼まれて、仕事にいった。
どうも、後継者不足、人員不足で、たいへんな会社さんが多いみたいだ。
もちろん、昔から「3K」の代表みたいな飲食店も人員不足で倒産するところも後をたたない。

仕込みが一段落して、十間橋をぶらぶら歩いていると、近所の花屋あたりで、いい匂いがただよってきた。
花屋のおっちゃんに「このニオイはなあに?」と聞くと、「バス停のところにあった中華が廃業し、そこに塩ラーメンが
できるらしいです」とのこと。
その店の前を通ったら、試食のラーメンを若いくんがつくっていた。おせっかいな下町爺になった気分で、
「いつ?」と尋ねたら「3月1日オープン予定でがんばっています。よろしくお願いします」と元気な返事がかえってきた。
うらぶれた十間橋通りに、また新しいお店ができる。

その後、豆腐屋まで往復一時間ちょい歩き、「おでん」を仕込みながら「ひとり酒」を楽しんでいたら、赤坂のカフェから豆の注文がきた。
「目があがった」わけではないばってん、焙煎はおてんとうさまがあるうちじゃないと、なんとなく、のってこないので、
これから、ガラガラやって、発送しようと思う。
今日から3連休。

今日明日は12時から16時まで営業。それから「味噌つくり」「UFO焙煎塾」「そば打ち教室」
月曜の朝は旗日だろうが、雪だろうが「玉子かけごはん」(8-10)

先週は「柚子胡椒」が切れてて、10人近くのお客さんに「ちょっと待ってて」とお願いしました。
やっと、残りの柚子胡椒を瓶詰できたので、どうぞついでの時に、お立ち寄りください。感謝。

おばすてやまが、押上(ひきふね)にある!

深沢七郎の小説に「楢山節考(ならやまぶしこう)」がある。
山梨のある地域では、齢70歳を迎えると、「楢山さま」という神聖な山に
いく、という伝統があった。それを、深沢七郎が40を超えて書いた処女作で、
映画や歌舞伎にもなった。

「猫の領分」という南木佳士さんのエッセーの中に、晩年の深沢七郎のことが記されていて、
久しぶりに「楢山節考」を読もうと思った。昨日は「言わなければよかったのに日記」という
深沢の日記を読んだ。おもしろすぎて、田中絹代さん主演の「楢山節考」をアマゾンプライムで
観た。山梨の山の中で観るのは、なかなか面白い。

深沢氏の人生は、波乱に満ちていて、作家で成功した後、しばらく放浪したり、農場をつくったり・・
そして、曳舟駅の近くで「夢屋」という今川焼屋をやったこともある。包装紙が横尾忠則が作成とした
というのも興味深い。昔よくいったゴールデン街の「洗濯船」のママゆっこさんが、そこにいった
ことがあると聞いたことがある。今は「ルプチジャン」という、不思議なカフェになっている。
曳舟界隈を徘徊する予定のかたは、コースにいれてみては如何?

長野に旅する時に「阿弥陀堂だより」、北九州なら「花と龍」、愛媛に旅行する時は「坊ちゃん」、
北海道なら健さんの「駅 STATION」・・・・老後にゆっくり旅する時に、ご当地の映画を観るのも
オツなものだと最近思う。・・でも「楢山さま」のオントシに近づいてきた。感謝。

信玄の隠れ珈琲?

信玄ゆかりの鄙びた湯治場のような湯宿で、「味噌休み」
を過ごしている。昨年と同じ宿。
自炊はしないが(朝夕・二食つきている。昼はもともと食べないので、それでいい)、珈琲は自分で
淹れる。湧き水の美味いところなので、その水を部屋で沸かして、ヒャッキンで買った針金ドリッパーに
珈琲豆をいれ、部屋に置いてある急須の蓋をとり、その上で、蚊取り線香のとぐろのように、静かに
お湯を注ぐ。それを、お部屋にある湯呑にそそいで飲む。信玄の隠れ湯の中で飲む「信玄の隠れ珈琲」
それを飲みながら、本を読む。川のせせらぎしか聞こえない宿で、太宰とか、漱石などの本を読んで
いると、自分がその中にいるような感覚になる。それだけで、値千金だ。

朝ごはん、夕ごはんは、泊まっている部屋の下の階でいただく。一日3組の宿なので、
3部屋用意されている。そこには石油ストーブがあって、上に薬缶がかかっている。そのお湯で
珈琲を淹れ、縁あってでった人たちに、珈琲をごちそうしようと、思ったりすることがあるけど、
「スイッチが入ったら日常にもどる?」という気持ちもあって、我慢して、自分の部屋にもどって淹れている。
もちろん、珈琲豆のカスが残るので、ごみ袋を持参することを忘れず・・・
お年寄りの「ひとり湯治」の多い宿だ。でも、「お茶」も「お酒」も、ひとりが一番かもなんばん。
孤独死・・・命名がいけない。人はみな裸でオギャーと生まれ、裸でなにももたずに往生する・・・天地自然の理。

思うこと・・・・
珈琲は、珈琲豆が味をきめる第一条件だけど、「水」も同じくらい大事。
そして、空気というかせせらぎのような「ゆらぎ」を感じながら飲むと、都会では絶対に
味わえない「妙味」を味わえる。瞑想しているのと同じ。
界隈には、「ほうとう」を食わせる食堂が何件かある。これも信玄を原点とする。
そば前、みたいに、鍋ができあがるまでに
「七賢」などの地酒の熱燗をゆるりと飲む。放蕩してきた過去を振り返っても、燗上がりするから、日本酒
というのはまことに不思議なものだ。感謝。

ようかんが妖怪を食った。

今日から「味噌休み」
車のナビに「東山旧岸邸」と筆子さんが入力。
運転手付きの車の後席ででーんと座る政治家にでもなった気分?
東名高速の御殿場で降りて、5分くらいで、目的地につく。
先の総理大臣・安倍晋三さんのおじいちゃん岸信介の別荘。
山口出身で、戦後巣鴨プリズンにてA級戦犯だったのに、その4年後に総理大臣になった「昭和の妖怪」
といわれた人。佐藤栄作とも兄弟で、「一族みな政治家」みたいな家。

駐車場にいっぱい車が止まっている。「なんで?」と自問自答。
平日なのに、けっこう若い人たちも・・。戦争も知らず、選挙もいかない人たちが・・・
と不思議に思っていたら、同じ敷地内にある「とらや工房」というところにぞろそろと入って、
カフェも併設した場所で、ごはん(釜めし?)とかを食べている人たちがいっぱい。

ひょっとしたら「妖怪」を「ようかん」が食った?

どちらも、あまり関心がなく、すぐに湯治場に向かい、温泉につかり、酒を飲みながら、これを書いている。感謝。

ジャズそば、寺方そば、よがるそば、おコンそば

最近、1950年代のジャズをよくCDで聴く。
ニューヨークのジャズの黄金時代で、レコードをCDに焼き直し、最新の技術で
限りまくあなろぐに近い音がでて、自然な風の中にいるような気分になる。
2000年前後に、毎年のようにニューヨークにいき、生のジャズを聴いたりしたけど、
似て非なるくらい昔のジャズのほうが、感動的だと思う。

昨日もそんなものを流していたら、若い常連さまが「天真庵ではじめてジャズを聴きました」とのこと。
「え~ いつもほとんどジャズやん」と答えたけど、最近の若者がふれるジャズは、ラーメン屋でもしかり、カフェや
バーでも、耳やこころにひっかからない「BGM」みたいなものなのかもなんばん。

今日は「6人」の人が「味噌つくり」にくるので、そばを茹でる寸胴まで、味噌の道具になり、朝5時から
ストーブやガスで、豆をまめまめしく煮ている。
余談だけど、寺方そばといって、お寺の精進料理としてそばが食べられた時代は、大豆の煮汁に醤油で「そばつゆ」
をつくっていたらしい。なるほど、作ってみると、精進らしきそばになる。

今年からできた「おコンそば」は、落語の「安兵衛きつね」からヒントを得て、能登の合鹿碗(ごうろくわん)で
供すかたちで始めたばってん、すごい人気になってきた。
今日くらいまで、深谷のネギ名人「まつもときよし」作のネギを刻んで供している。

本日は12時から16時まで営業。
それから「味噌つくり」「UFO焙煎塾」「そば打ち教室」二階では「ゆるゆるヨガ」
よがった後のそばは、最高に美味い。最近女性の間で「ヨガ」が大人気。
集団で覚醒するパワーが、とても重要な年になりそうだ。みんなでよがって、いい世の中をつくりましょう。

明日から21日(金曜日)まで「味噌休み」   感謝

味噌つくりが、半分おわり、来週は「味噌休み」。

昨日は「くまもん」たちのそば会で盛り上がった。
長い「酒友」で、昨年まで社長だったAくん、ぼくが理事長をやっていたITの業界団体の
顧問弁護士だったGくん・・・それと若い「くまもん」ふたりが、おでんでそば前を楽しみ、サンゲタンをしめ前、
おコンそばでもしめず、酒を飲み、「ほぼぶらじる」で〆た。最近の「おまかせそば会」には、気がむけば、「サンゲタン」をつくる。
若いふたりは、押上界隈に住み、ふたりとも
熊本に本社がある会社の「東京支社長」という名刺。ひとりは、ぼくの高校の後輩だった。
ぼくらの時代は、年がひとつ違うと「王様と奴隷」というのが、九州人の不文律な掟だった。今は昔で、みんな旧知の友達みたいな感じで談論風発していた。

今日明日が「味噌つくり」のピーク。5とか6人くらい作りにこられる。ちょうど、折り返しになる。
来週の月曜日から金曜日まで、「味噌休み」。鄙びた湯治場にいって、鞭うった老体を休めてくる。
昨年は、その湯治場で、長野の川上村の農家さんと出会った。夏に畑に伺い「農」のイメージが一新した。

人はおそくもはやくもなく、大切な人と出会うようになっている。感謝。

今日明日は12時から16時まで営業。それから「味噌つくり教室」「UFO焙煎塾」「そば打ち教室」