芥川賞作家で、医者と二刀流の南木佳士さんのエッセイ集「ネコの領分」。
長野の佐久市の病院で、内科医をしながら、ネコを飼ったり、アユを釣ったり、
浅間山や八ヶ岳連峰、中心を流れている千曲川、という山紫水明の里での暮らしを綴った
名エッセイ。映画「阿弥陀堂だより」(寺尾聰との樋口可南子がいい味をだしていた)の作者。
東京と能登との二股生活を始めたころ、板橋の古本屋で見つけた一冊「ネコの領分」。
いつも「佐久平」あたりのパーキングで車中泊をするようになり、能登の我が家にも、
野良ネコちゃんたちが、自然と集まってきたので、この本は、ときどき読み返している。
昨年の地震で、家の雨漏りがひどく、畳といっしょに、濡れた本もボランティアや梅林ガールズたちの
力を借りてかなり処分した。二階の文机の上にあった、この「ネコの領分」は奇跡的に雨露をさけて無事だった。
昨日読み返していると、作家がネコを飼い始めた時の文章に赤線をひいてあった。なにげない文章だけど、いい。
「二匹のネコを飼いながら、人生の坂をその勾配にしたがって無理せず下って行こうと覚悟した矢先、
シロが家を出たまま幾日も帰ってこなかった」
ちょうど、生まれたばかりの「シロクロ猫」の中に、プリンと名付けたシロ猫が、我が家の庭先で遊んで
いたころで、年も近い作家の老いの心境ともあわせて、「うんうん」とうなづきながら、線を引いたのだろう。
「シロ猫」は、幸せを呼ぶといわれているけど、繊細で長生きしない、という文も続き、そのとおり、
プリンも、庭にいたマムシと格闘して以来、姿を消した。
大好きな「宮沢賢治」の詩を、医者らしい言葉でこのように書いた。ここも赤線。
「落葉は秋風をうらまない」を書いた後、
「人は望んだように死ねることはめったにないのを臨床の現場で嫌にあるほど目にしてきているのだが、
できればこんな心境で死にたい。ソウユウモノニワタシハナリタイ、と書いた宮沢賢治だって、ソウユウモノでない自分を
よく知っていたがゆえに、ソウユウモノになりたがったのだろうから。」
夕べは、「朋が遠方よりきた」ので、中能登の料理屋で冬の能登の魚をサカナに地酒「池月」の燗酒を飲んだ。
ちょうど今年はじめての「満月」(正確には本日が満月)が、「おめでとう」と言っているようだった。感謝。