ときどき、能登から日本海側の8号線を走って、良寛さんが晩年を過ごした「五合庵」までいき、
界隈を徘徊することがある。ぼくが使っている「珈琲ポット」を燕(つばめ)の「富貴堂」さんにお願いする時に
行って以来「クセ」になった。
ほんとうは、冬にいってみたいのだが、雪がそれをはばむ。九州産の小生、雪とか寒さには、めっぽう弱い。
その途中に「たら汁街道」がある。昨日、「TQ元気シール」のところに、「元気の声」がアップ
されたので、漫画家の「すがのさち」さんに、「アップしたばい」とメールしたら、「たら汁が食べたい」
と返事がきた。「いも・くり・なんきん」というのが、女子の大好きなものだといわれているけど、「たら汁」
も負けていない。冬に能登にくる「決心」がつけば、つれていってあげる。
TQ技術本舗の山田学さんにも、「元気の声で、マンガに説明をつけたばい」とメールをしたら、彼の奇妙キテレツ日本語で
「やりますね!ありがたう ありがたう」と返事がきた。まったく相変わらずの「不思議くん」だ。
「天真庵」は、もともと「画廊天真」といっていた。寒山拾得(かんざんじゅっとく)の絵を描く
南條さんの縁(ゆかり)の画廊が、彼の故郷の「愛媛」と、「京都」にあって、「画廊天真」と呼ばれていたので、
池袋で彼の展覧会をやった時に、ぼくのところも「画廊天真」になった。
天真爛漫の天真。名前の由来は聞いてないけど、きっと、「天真」という言葉を多く使い、寒山詩を愛読しながら、
五合庵で詩や書を書いた良寛さんのこの詩から、命名されたのではないか、と勝手に思っている。
生涯懶立身 (生涯、立身出世にものうく)
騰々任天真 (うとうととして、天真に任す)
嚢中三升米 (嚢中(のうちゅう)には托鉢で得た三升の米がある)
炉邊一束薪 (囲炉裏のそばに一束の薪)
誰問迷悟跡 (誰が問わん、迷いや悟りの跡)
何知名利塵 (何ぞ知らん 名利の塵)
夜雨草庵裡 (夜雨、草庵の裡(うち))
雙脚等間伸 (二本の足を等閑に伸ばす)
実際に、「五合庵」にいってみると、こんな草庵で厳しい冬も、托鉢をしながら生きた老人の心境を問う。
「子供たちと、天真爛漫に遊ぶやさしい良寛さん」というのが、一般的なイメージだが、現地にいってみると、
単なる老詩人ではなく、天真爛漫な幼児の魂を持ち続けながら、生涯「求道した哲人」だったのだと悟る。
一度、寒い冬に「たら汁街道」経由で、行ってみたいと思う。
北国の冬も7回目。やっと「北国は冬がいちばん」という気持ちに近づいてきた。
我が草庵も、最寄りの駅から車で一時間。バスも日に二本、という不便なところで、寒山が住んだ洞窟や、
五合庵にも負けていない。でも本日も「朋あり遠方より来る、また楽しからずや」だ。
五合庵の句碑にある一句
焚くほどは 風がもてくる 落ち葉かな