墨田は芸術の街だった?・・・墨だ!

今年の春か夏だったと思う。知人の書家、沢村澄子さんの「書くということ」という本が、
朝日新聞の一面のコラム「折々の言葉」に紹介された。

書家の書というのは、お茶人の手前といっしょで、「かくかくせねばならない」という
しばり、みたいなものから解放されていないものが多く、おもしろみにかけるものが多い。
お坊さんの書といのは、どこか説教臭く、飾ってみると、線香の香りにむせるようなところがある。
でも、沢村さんの書は、融通無碍な宇宙の「ひも理論」みたいに、自由でおおらかで、見ていて気持ちがいい。
「彼女の人間性」が吐露されている。

彼女は2012年から2016年にかけて、十間橋通りと浅草通りが交差するところにある「柳嶋妙見山法正寺」(墨田区業平5-7-7)
の襖絵を制作した。その襖絵は、12月11日まで法正寺にて公開(9時から16時)
界隈は昔、「柳嶋」という地名で、このお寺は葛飾北斎のデビューしたお寺としても有名だ。
近くには、昨年話題になった「パーフェクトデイズ」のロケ地「天祖神社」がある。
インバウンドの初心者たちは、浅草やスカイツリーにいって、「もんじゃやき おいしい ボリボリ」
とかいって、騒いでいるけど、精神的文化力のある外国人たちは、法正寺や天祖神社を巡って、この界隈を
散策して、ほぼぶらじるを飲む(墨ブラ)。

どうでもいいけど・・・・地元の人たちは、北斎や歌舞伎や落語の舞台になった「地元」
のことに関心のない人が多いように思う。吉原、亀戸、玉ノ井(東向島)・・・界隈には花街もいっぱいあった。
(吉原は、公娼「こうしょう」だけど、それ以外は「赤線」といわれた。赤線とは、警察が地図を赤い線で
囲んで、その中では私娼を認めた)
吉原以外は昭和20年の3月10日の大空襲で焼かれてしまったけど・・・・アメリカ人は、戦争が終わったら、
吉原で遊ぼうと思い、焼かなかったらしい。天真庵の建物も、大空襲で焼けて、その年に建て直したものだ。
来年は80歳になる。80年間、戦争がなかった証でもあるが、その記録が延びるかどうか・・・微妙な時代を迎えている。

闇の夜は 吉原ばかり 月夜かな   (詠み人知らず)

話が脱線しそうだけど、その沢村さんが、「ギャラリーアビアント」(墨田区吾妻橋3-6-3 03-3621-0278)
で、「沢村澄子展 Lines」をやっておられる。12月15日まで、11時から19時 日曜日と最終日は17時まで。
ギャラリーアビアントは、うんこビルの下から、ちょっと移転したので、いったことある人は、気をつけてください。

本日は12時から18時まで営業。
明日明後日は12時から16時まで営業。
月曜日から「能登休み」

「年越しそばを自分で打つ」(29・30・31)・・・だいぶ埋まってきました。感謝。