水曜日は、歯医者。
あーん、と口を開けて、掃除や治療をしてもらう。だからどこでもいい、というわけにはいかない。
寿司屋とか、床屋、と同じように、店を選ぶ。
上池袋から押上にきてから17年になるけど、歯医者は上池袋時代から通っていたK歯科に
通っている。錦糸町から大塚駅行きのバスで終点。それから、元癌研通りを通り、明治通りに
ぶつかったら、右折、桜並木をJR板橋駅に向かって歩くと、公園の手前に歯医者がある。
大塚駅前は、駅舎が新しくなったのと、駅前の「ぼんご」というおにぎりやが、大フィーバー
していること。あと、産業地の入口のパチンコ屋「ひょうたん島」が壊され、置き屋や、ラブホなどが、ことごとく
消えた。ぼくがとあるIT業界団体の理事長をやっていた時、その三業地の中に事務所があった。Oさんという、
ゴルフ仲間の職人さんに、テントをつくってもらい、青地に「ネット21」と書いた立派なテント
を30年前につくってもらった。ぼくがでた後、ある婦人団体の事務所になったけど、テントは「そのまま使わせてください」
とのことで、今も当時のままだ。Oさんは、5年くらい前に住む場所を変えたけど、テントは生きている。
三業地というのは、旅館、料理、芸者、の「三業」が、それぞれ分業で、なりわいを立てている「地」だ。
今どき温泉地みたいに、ぜんぶをホテルみたいな旅館が「ねこそぎ稼ぐ」みたいなんとわけが違う。役割分担(シェアー)する精神がある。
芸者さんは卒業すると、置き屋の女将さんの面倒を見たり、独立して小料理屋や、お茶漬けや、おにぎりや
などで、たつきを凌いだりした。「ぼんご」ももともとは、そんな時代の流れの中で、うぶ声をあげた。
そんなわけで、「ぼんご」のおにぎりは、毎月の勉強会、理事会、小腹がすいた時、飲んだ後・・・
よく通った。女将さんは、雑誌やテレビで紹介され、「おにぎりのカリスマ」に君臨し、お元気な様子。
ぼんごのおにぎりは、「のりに包んだおにぎらず」だと思う。
ぼくは時々、サランラップにのりを一枚のせ、そこに能登の塩をパラリとかけ、その上に炊いたばかりのごはんの「かまじか」
をのせ、ふんわりくるんで「能登のおにぎらず」を作って食べる。
かまじか、というのは、羽釜で炊いたごはんを、しゃもじでまぜる前に、上の部分をすくって、そのまま食べることをいう。
だから、せいぜい、ふたりぶんくらいしかできないので、お店のメニューにはできない。
最後のおこげの部分は、お茶を注いで茶漬けにしたりする。もともとの「茶事」のごはんは、そんな風にして楽しんだ。
天真庵では、月曜の朝だけ、珪藻土の竈(かまど)に炭をおこし、羽釜のごはんを「玉子かけごはん」として供している。
冬は、「おこげ」のごはんに、おでんの汁をかけると、「このまま天国にいってもいいや」くらいの気分になる!
土鍋でごはんを炊くと、同じような味になる。「オール電化」に洗脳された家だと無理だけど、「ひとてま」かけるとどれもが
「至福の時間」になる。犬みたいに忙しくて、あっちに駆けてってワン、また明後日に駆けていってワンワン・・・
みたいな多忙な人は、「カリカリごはん」を食べていればいいけど・・・・