古典落語に「子ほめ」というのがある。
あけすけな性格の八五郎(八つぁん)が、ご隠居さんから教わったお世辞を使って、子供を褒め、なんとかタダ酒にありつこうとするも失敗する、という噺。噺家によって、話のアレンジも違うし、オチも違っていておもしろい。
昨日、イワジーがそばを手繰りにきた。かっぽれの相方で、池袋時代は、いっしょに篠笛も練習した。
師匠は人間国宝の四代目 寶 山左衛門(六代目福原百之助)の娘さんで、きれいな先生やった。
イワジーが目を丸くして「やっと孫ができた」という。もともとハンサム(半分寒い)、というより、
ゼンサムな頭で、若い時から良寛さんみたいな風貌なので「イワジー」と呼ばせてもらっているが、昨日は
頭だけじゃなく、全体的にオーラがかかっていた。よっぽど孫ができたことがうれしいのだろう。
最近は、お酒を飲むと、帰る足取りがおぼつかないと、珈琲を飲んでいたが、いきなり「酒ください」
とのこと。山形の「初孫」でもあれば、いい場面だけど、最近は秋田の酒しか置いていないので、それで乾杯。
「インスタは死ぬまでやらない、と決めていたけど、孫の写真が更新されるのを見なくちゃいけないので、やることにした」
とのこと。のろけのような「孫ほめ劇場」が始まりそうな予感。
ぼくは、窓際でひとり酒を飲んでいる若い美人の子のほうが、気になって、「おかわり?」とか声をかけたりしてけど、
イワジーのテンションは全開(笑)
結局、本人の墓や戒名の話にまで発展した。
定番の古典落語と同じように、老人が集まると「年金」や「病気」や「墓じまい」などの話になることが多い。
「過去の話」「自慢話」「説教話」は、老害の三種の神器だ。
オギ、こと荻上直子さんの最新作の映画「まる」は、仙厓和尚の揮毫「〇◇▽」から、ヒントを得たらしい。出光美術館にいくと観れる。
仙厓和尚が、孫ができたと喜ぶ檀家さんから「なにか、おめでたいことを書いてください」と頼まれ、
「よし、わかった」といって「親死ね 子死ね 孫死ね」と揮毫したら、おこられた。「では」
といって「孫死ね 子死ね 親死ね」と書いたら、「なるほど、順番に逝きなさい、ということですね」
といって、喜ばれたという逸話。
人は親であろうが、孫であろうが、病気や老衰で死ぬのではない。生まれてきたから死ぬのだ。天地自然の理に、感謝。