織部 志野 黄瀬戸 の舞い踊り・・令和の竜宮城?

昨日、ベルギーから来た、というカップルがそばを手繰りにきた。
「PERFECT DAYS のロケチを観てきました」とのこと。
『パリ、テキサス』などで知られるドイツの名匠ヴィム・ヴェンダースがつくった映画で、この界隈を
ロケ地にした。先月も同じような感じで、イタリアからきたご夫婦がいた。役所広司が、いい役者の味をだして、
アカデミー主演男優賞をとった。選挙と同じで、「見た人も多い」けど、「見ていない」人も多い。
「目明き千人 目暗ら千人」の世界。

「ハナゼン クダサイ」といった。英語のメニューはないけど、スマホがあれば、だいたい翻訳できる時代になった。

ここは、墨田区「文花」という地名。それを冠にした「文膳」(ふみぜん)という昼のみセットと、
「花膳」(はなぜん)というスイーツ(チーズケーキつき)のセットがある。

最初に志野(しの)の湯のみに黒豆茶をだす。「あ~シノ」と感嘆の声。
その後に、そば豆腐を、黄瀬戸(きせと)のひさご皿にのせてだす。「わ~キゼト」と黄色い声。
こちらのほうが「ナニモノ デスカ?」と聞きたくなる。日本人で、志野、黄瀬戸、織部、という桃山時代
からの陶器の呼び名をわかる人は、稀有(けう)だ。

しばらくして、そばを出す。ひとりは「ざるそば」、もうひとりが「花巻そば」。
ざるそばは、絵志野(えしの)の四方皿(よほうざら)にのせる。花巻そばは、能登漆の合鹿椀(ごうろくわん)だ。
「これも、きれいなシノ」といったけど、合鹿椀は「きれいなウルシ」といった。
蕎麦湯を、織部の土瓶にいれてもっていくと、「オリベのポットきれい」とのたまう。完璧だ。

最後に珈琲を白いカップにいれてもっていくと、「わ~コウダイがついている」とのたまわれた。
久保さんの珈琲カップは、抹茶茶わんと同じように、高台(こうだい)がついている。
なぜだか、美人、しかも金髪の美人がこれで飲むと、ピカピカなオーラを放つ。
そんな話をすると、日本の女子たちが少しきどって飲んで「私どう?」と問われることがあるけど、
少し頭をかしげて「ちょっと」と答えるようにしている。
「え、ちょっと、ってどうゆうこと?」と聞かれると、鏡を渡すようにしている(笑)

最後にチーズケーキ。やはり久保さんの織部の葉皿(はざら)でだす。
「この オリベ スバラシイ」と笑いながら言った。
昨日のリトアニア人と同様に、ここで「元気シール」のショップカードをだして、
珈琲の味の変化と、OK牧場実験をしながら佳境を迎える。
金髪の美人も名刺をくれた。ベルギーで陶芸をやっていて、来月銀座のギャラリーで陶展をやられるそうだ。

英語はしゃべれないけど、「共通の文化」があれば、こころ通じるものだ。
「英語でなにをしゃべるか?」が大事。自国の文化を誇れる日本人が増えてほしいものとつくづく思う。感謝。

「元気シール」のOK牧場の輪が世界に・・・

昨日が「玉子かけごはん」やった。
先週、今週と、8時に「玉子かけごはん用のれん」を出した瞬間に、
お客さんがこられた。働く通勤人にとって、一分一秒が勝負なんだろうな~
「寝坊できないな~」と肝に銘じた。
「かまじか」という、竈に炭をおこして、羽釜で炊くごはんの一番おいしいメシは、
羽釜からごはんをだす瞬間の勝負なので、はやいほど美味いわね、きっと。できる限り8時に限りなく近い
7時50分くらいにはのれんを出すようにしようと思う。

最近、若いお客さんが、ポチポチくるようになった。
「先週、下鴨神社で結婚式をあげました」みたいな人や、「中西さん(天真庵の改装をやってくれた芸術家)に
すすめられてきてみました」とか、「さっちゃん(故・たまちゃんの三味線のお弟子様)にすすめられてきました」
とか、20代30代の人がよくカウンターにとまる。

昨日は、「リトアニアから日本にきて、京島に住んでいます」と、きれいな日本語をしゃべる女子が
そばを手繰りにこられた。スカイツリーが近くにあって、よく外人さんたちはくるけど、「京島に住む」
というのも、けっこう世界的なあこがれ?になってきてるように思う。もちろん、メジャーじゃないけど・・
ひと昔前と違って、そばをズズズと音たてて食べれる外人も増えたし、梅おろし(梅干しいり)も平気の平左で
食べれる人も増えた。

天真庵には、もうひとつの「うめ星」がある。隕石粉を地球の土とまぜて、丸く焼き上げたセラミック。
ごはんを炊く時にオカマに入れるし、餡子を炊く時にも、糠漬けを仕込むときにも必ず使う。
銀座の松屋の駐車場の近くに「隕石直売所」があって、カフェも併設しているので、珈琲豆と隕石セラミックは、
天真庵から納入されている。場所がら、有名なタレントさんなどが、珈琲を飲みにきたり、隕石グッズを買ったり
しているところ。インバウンドで、銀座も外人さんが増えているけど、「隕石パワー」みたいな「目に見えないもの」
には、今のところまだ反応はしてないみたい。日本人の専売特許?

リトアニアの女子が「ウメオロシソバ コーヒー アンコガレット ヲ クダサイ」といった。
珈琲を出したタイミングで、「元気シール」を貼ったショップカードを渡したら、目を丸くした。
そして、珈琲の味くらべ(すこし珈琲を飲んで、残りのカップを元気シールの上に3秒のせ、味の違いを比べる)
をしたら、「ホント マロヤカ ニ ナッタ」。
続いて、オーリングテスト。
「右手を こんな風にOK牧場にして」と説明して、OK牧場をしてもらい、ぼくが両人差し指であける。
次に、左手に元気シールをもってもらい、同じように力をこめると、3倍くらいパワーがでて、OK牧場のまんま・・・
そんな実験。
「ウッソー 」といって、笑っている・・・やはり外人さんにはわからへんか?
と思っていたら、帰り際に「スゴク パワーヲ カンジマス」といって、外にでた。

すると、ちょうど彼女の友達が通りかかっって、さっそく「コノオミセ パワー スゴイ」とかいって、
友達にオーリングテストをしていた(笑)
そして、その彼女も、なにかに憑依したみたいに、天真庵のカウンターにとまり、珈琲を飲んでいかれた。

風が吹いたら桶屋がもうかる・・・・より奇妙な「OK牧場実験」

夕べは、飲みながら「くまとやまねこ」という絵本を読む。最近熊がよく出没して「ワルモノ」にされているけど、
原因は人間。この絵本は、大人が読んで、子供たちに読み聞かせしてあげるといいね。感謝。

放蕩児そば・・・山梨と長野の伝統食の合作?

昨日、93歳で近所でひとりくらしをしている常連様がそばを手繰りにきた。
少し耳は遠くなって、入れ歯の調子が少し悪いくらいで、矍鑠(かくしゃく)としていて、
天気のいい日はひとりで散歩している。その散歩の途中に寄ってくれる。
富山県の翡翠(ひすい)がとれる村の出身で、自分のことを「おれ」という。

開口一番、「おれんちに、昨日どろぼうが入った」。
驚いて、「被害は?」と聞くと、
「おれんちは、なにもとるものんがないよ」といったら、
「ぼくたちは、どろぼうじゃないので、警察にいわないで」と3人の若者どろぼうが答えたらしい。
「仏壇の抽斗をあけて、じいさんの形見のネクタイピンを盗もうとしてるのに、どろぼうじゃない、って
そんなバカな話はないだろう」と、しかったら・・・
「これ、気に入ったので、買わせてください」と言って、1000円置いていったらしい。
「思わず、おれんちにまた遊びにこいや、と言った」と言って、笑っておられる。のんきなもんだ。

最近ニュースになっている「闇バイト」で、やむを得ず強盗をさせられている若者たちの検挙された写真
などを見ても、「悪人顔」ではなく、普通の青年みたいな人相が多い。昨日まで貼られていた選挙のポスター
の顔のほうが、立派な悪人顔がそろっているように思うのは、ぼくだけかいな?
悪いことが発覚すると、「秘書のせい」にして、平気の平左みたいな輩は、闇バイトの首謀者と同じような悪人顔になるのだろう。
国民もすこし覚醒したのか、自民党が過半数割れした。
でも、裏金議員や、統一教会ずぶずぶ議員が、選挙にでる、その厚顔無恥さが、まだまだ予断を許さないし、
何かすっきりしない気分だ。いろいろな意味で、日本はぎりぎりのところを彷徨っている気がする。

今朝は「玉子かけごはん」
いつものように、貧乏という名の「のし棒」を使い、そばを打ち、珪藻土の竈でごはんを炊き、残った炭で焙煎。
味噌汁は、先週いただいた長野の川上村の、白菜、にんじん、かぼちゃ、ごぼうを実にした。
今日は、そばと味噌汁があまったら、それで「ほうとう」と「投じそば」をあわせたような夕飯ができる。
「放蕩児そば」という名にして、新しいメニューにしようかしらん・・・
囲炉裏端で、気のおけない友と、膝を突き合わせながら、囲炉裏端ばなし・・・酒がますます美味くなる。感謝。

隕石の歌・・・がNHK・FMから流れている・・!

さきほど、NHK-FMの「ビバ合唱」で、「隕石」という合唱曲が流れた。
詩人の堀口大学が作詞したものらしい。彼の詩はあまたの合唱曲になっているけど、
「隕石」という詩があるとは知らなかった。さすがだ。

昨日、久保さんから荷物が届いた。「隕石セラミック」の新商品。
さっそく、注文主の「銀座の隕石直売所」の王子あてに荷物をだして、「明日届くばい」
とメールした。ちょうどカウンターで、そば前を楽しんでいるお客さんが、「荷物が
届くと同時に、出すものがあるんですね。中身は?」と。
「隕石セラミックです」と答えたら、「TQ元気シールもびっくりしたけど、隕石もあるんですか?」と。
「はい」と、真顔で答えたら、不思議な顔をして、一瞬もっていた盃がとまった(笑)

すぐに王子から返信。「ひとくくりついたので、来週そばを手繰りにいきます。」
とのこと。確かに、今年は正月から大地震に見舞われたり、いろいろあったけど、「隕石セラミック」
は、新製品も増え、バリエーションも豊かになってきた。来年は大きく飛翔するかもなんばん?

堀口大学作詞の「隕石」   さすがに韻を踏んで、格調高い「隕石」である。

人間よ

知らうとするな、自分が、

幸か不幸だか、

問題は今そこにはない。

在、不在、

これが焦眉の間題だ、

灼きつくやうな緊念事。

生きて在る、死なずに在る、

感謝し給ヘ、今日も一日、

調和ある宇宙の一點、

生きものとして在つたこと。

神にでもよい、自然にでもよい、

君の信じ得るそのものに。

知らうとするな、

知るにはまだ時が早い、

人聞よ、

墜落途上の隕石よ。

候補者本人が、天真庵にやってきた。

いよいよ明日が投票日。
共産党の赤旗という新聞が、自民党の裏金議員に2000万円づつ政治資金をくばったことを防露した。
今回の選挙は、その「裏金」が焦点(ちょっとなさけないけど・・)になっているので、
自民党の一層の苦戦が予想される。いっそのこと、自民党がなくなるようなことになるかもなんばん?
でも、統一教会の問題もしかり、今回裏金問題もそうだけど、あまりに
「日常化」されていて、二世三世議員は、オギャーと生まれた時から、親もその親も、そうやって
きた中で大人になっていくので、「なにか悪いことをしているの?」といった感じなのかもしれないね。

天真庵は、スカイツリーがある墨田区のうらぶれた十間橋通りというところにある。
斜め前に「アコレ」というスーパーがあり、お年寄りたちが通りを渡るのにおぼつかぬ思いを
している風景が日常茶飯だ。ときどき、筆子さんが手をかしたり、動けなくなったお年よりの世話をしたり
しているけど、どれもが「いずれいく我が道」である。車が行き来するのもまばらで、その中に必ず救急車が
混じっているくらい、高齢化社会の縮図みたいなところだ。

でも、この選挙期間中は、選挙カーの声がかしましく往来した。
法務大臣までなったけど、いろいろ自民党議員らしいチョンボもやらかし、物議を醸しだしてきたM
という女性候補者が、毎日のように十間橋通りをマイク片手に挨拶しながら挨拶していく。何か「余裕」
を感じさせるように、貫禄がある声。彼女の戦闘服(選挙中のいでたち、ポスター)は、「赤」だ。
赤が福をよぶのだろう。共産党の「赤旗」は、歴史的に「アカ」という悪いイメージがぬぐえない。
いっそのこと「赤福」にしたらどうだろうか?伊勢神宮のお菓子屋さんからクレームがつくかも知れないけど・・

そんなこと考えながら、珈琲を淹れていたら、ひとりの女性がタスキをかけて入ってきた。
選挙も終盤で、声はがらがらだけど、目が澄んでいて、選挙ポスターさながらの女子だ。
「お願いします」と常套句をいわず、「日本の政治を変えたいと思って立候補しました」とだけいった。
ぼくは住民票を石川に移したので、明日の一票を彼女に投じることはできないばってん、
「がんばってください」といって、握手をした。
看板やお金で左右されず、「そのひと」を見て、一票を投じてもらいたいものだ。
明日の選挙は、これからの日本の大きな分水嶺になると思う。感謝。

中越地震から20年。歳月人を待たず!

先日の新聞に、そんな記事があった。10年ひと昔、20年もひと昔。
中越地震がおきる10日くらい前に、新潟の骨董屋にいった。
めずらしく煎茶道具が揃っている店で、飄々としたおやじさんが、玉露を
ホウヒンでていねいにいれてくれ、京焼の茶わんで御馳走になった。涼炉(りょうろ)、ボウフラ、茶わん・・・
など、一式を買った。お店をでようと思った時、玄関脇の石仏がにこっと
笑った気がした。おやじさんに「これ、売り物ですか?」ときくと、「いいよ。売ってあげる」
というので、いくらか失念したけど、お支払いをして、東京にもってきた。

その10日くらい後、新潟と県境の群馬の村上温泉近くのキャンプ場で、そば会(そのころ、よくキャンプ場で、そば会をやった)をやっているとき、大きく大地が揺れて、ゴーゴーという地球の叫びみたいな音を聞いた。幸い、人工的な建物がない場所だった
ので、みんな無事だった。くだんの骨董屋は地震で全壊になり、廃業されたことを後で知る。言い方をかえれば、その石仏は地震からのがれて東京に移住したことになる。ぼくはさいしょ、「道祖神」かと思っていた。何かの本で、昔は無事に生まれてくることが奇跡で、そんなわが子を弔うために、石仏をつくったりしていたらしい。

能登に片足をシフトした2018年、その石仏も、里帰りよろしく、能登の我が家の玄関に鎮座された。
お酒と水を手向けたら、「ちょっと飲ませて」と言うので、指にお神酒をつけて、唇につけた。あの日のように、にこっと
笑った。そして、今年の正月の大地震。
2月が味噌つくりに追われていたので、3月のはじめに能登に帰ったら、瓦がずれて、家の中は水浸しだった。
でも、その石仏が、棚から落ちていた。不思議なことに、器や本や箪笥、絵などは、無事だった。
たぶん、この石仏さんが、お釈迦様みたいに、身を投げて、ほかの命を救ってくれたのだと思う。
法隆寺所蔵の国宝「玉虫厨子」の側面に描かれている「捨身飼虎の物語」さながらである。

ボランティアの人たちの手を借りて、雨で重くなった畳を捨て、先月は大阪と東京から、かわいらしい梅林ガールズたちが、
泊りがけで、掃除にきてくれた。片付いた和室に、置き床を置き、そこに「女神」と揮毫した大徳寺さんの掛け軸を掛け、
石仏を置いた。ここだと、また大地震がきても、畳に転がるだけですむ。
転生輪廻や、極楽浄土などを信じてきた日本人は、きっとこの世界一災害の多い国で、生き暮らしてきたということが
大きいような気がする。先日の「方丈記」しかり。新潟で実際に大地震にあった良寛さんしかり。

良寛さんにこんな漢詩がある。「ひとり」三昧の中で悟ったような境地がいい。寂しくなると、すぐ群れたり、
SNSで寂しさをまぎらわしたり・・・それでは、根本が解決しない。「ひとり」「静寂」な時間が大切。

蕭条(しょうじょう)たり 三間(さんげん)の屋(おく)
終日 人の観る無し
独り間窓の下に坐し
唯(た)だ落葉の頻(しき)りなるを聞く

(訳)
さびしい小さな草庵の詫びすまい。
一日中訪れる者はいない。
一人窓の下で座っていると、
ただ、やわやわと落葉の音が聞こえてくるばかりだ。感謝。

ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず

鴨長明の「方丈記」の書き出し。
美しい日本語だ。水曜日に「方丈記」関連の本を買い、
本文をもういちど、読み直してみた。
「足るを知る」の日本人の原点みたいでいい。方丈庵という家は、簡素で、しかも移動式だった。
鴨長明は、800年前から、「キャンピングカー」のモデルみたいな家をつくって、「ひとりで草庵暮らし」
を楽しんでいたということか。さすがだ。

今朝の朝日新聞に「高齢のおひとりさま」のことについて一面がさかれていた。
だれもが、高齢になったら最後は「ひとり」で暮らすことになる。
女性の「ひとり」の場合は、年金が少なくて、生活にゆとりがない場合が多いと書かれていた。
そのために、若いころから節約して、「老後に2000万の貯金」というのも、なんだか味気ない。
お金は、「使ってこそ価値がある」ものだと思う。コミュニティーの作り方が上手なので、
今までいじょうに自然発生的に、「お世話しあうハウス」みたいな居場所ができてくるのではないか?と思う。
「男」では、ぜったいに作れない「居場所」だと思う。

男の「ひとり」は、社会と孤立して、ほんとうに「一人っきり」になる人が多いと書いてあった。
最近店にくる同世代の「男」の人は、

1、自慢話
2、過去の話
3、説教話

の老害三種の神器をあわせもつ傾向がますます強くなっているように思う。
「お客さまは神様」だと信じ、神様が老後に誰も相手にされなくなるのが忍びないので、やんわりとそのあたりをご指摘さしあげると、
それっきり、になることも多い。そんなぼくも「老害」かもなんばん。鴨長明さまの本をもう一度読まねばならない。

先日の夕方、Mさんがそばを手繰りにこられた。古希+有余年の男子。
6年までに、十間橋通りにあった新聞販売店の店主だった。この界隈はスカイツリー効果で、人口は増えていたけど、
新聞の部数が減りつづけ、お店の緞帳を下ろし、知り合いがやっている大分の新聞店で新聞配達をやっておられる。
東京の新聞店では、ベトナムなどの留学生が近所のアパートに住んで、親に仕送りをしながら、大学にいったり
するような生活をしていた。二月の味噌つくりの時は、仕込んだ日がわかるように、毎日あまった新聞を彼らに
もらいにいった。お返しに「チョコレート」を筆子さんが届けた時の彼らの屈託のない笑顔が印象的だった。

そんな彼らの「寮」みたいなアパートの一室を、そのまま借りて、Mさんは年に一二度東京にもどり、
天真庵でそばを手繰りながら、談論風発していかれる。
ある意味、「東京と九州の二股暮らし」で、人生を確実に5倍謳歌しておられるように見受けられる。
男の健康寿命は70歳。年金の関係で、65歳くらいまで現役の人も多いけど、「最後の10年」
は、「林住期」といって、それまでのしがらみを捨て、都会には林はないばってん、自然にふれあいながら過ごす
のも一考だと思う。

鴨長明さんの時代も、地震や天才や、政変や疫病で、この世の移ろいやすさを体験して、「無常観」から

ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず

の名文がうまれた。今年は正月から大地震があったり、大雨にあったりして、ぼくも生まれてはじめて「罹災証明」
などを書いたり、ボランティアや、梅林ガールスたちの力を借りながら、暮らしを立て直している最中である。
「方丈記」の中に

大地震が起きた直後は、人々は皆、「この世は、無常だな」と言っていました。しかし、月日がたつにつれて、
地震があったことさえ、言葉に出して言う人がいなくなりました。

というくだりがある。800年前と今も同じだなあ、と思いながら、囲炉裏の灰に埋もれた炭を鉄箸でだして、
自在にかけた南部鉄瓶から志野の茶わんに湯を注ぎ、白湯を飲みながら、このブログを書いている。感謝。

月曜の朝は玉子かけごはん!「かまじか」って?

夏日から突然冬がやってきた。そんな感じ。
「炭火」が大活躍する季節到来。羽釜にお米を入れ、ていねいに水でみがき、
冬だと1時間くらい水につけておく。もちろん「うめ星」を入れる。
そして、火起こしで炭に火をいれ、10分くらいして火がおきると、珪藻土の七輪に並べ、
そこに羽釜をのせる。♪はじめちょろちょろ・・・・の始まり。
湯気の、お米のふくよかな香りがする。「今日もいい朝だ」
その香りの変化で、「おこげができるバイ」という段階になると、やけどしないように、てぬぐいで羽釜を
移動させ、蒸らす。蒸らした後、木の蓋をとると、かにの穴みたいな「おしいしいごはんの穴」ができる。
それを御櫃に移す前、しゃもじですくって食べる。・・・・「かまじか」という。ご飯の一番おいしいところだ。
茶人たちが、茶事でそこを一番大事にしている「こと」が、火傷しそうなその瞬間にわかる。
この「かまじか」と「こげ」は炊飯器では、ぜったいに味わえない究極の味だ。

あ、いけない。
これを書いている間に、蒸らしが終わった。
「かまじか」を少し味わい、今朝焙煎した「ほぼぶらじる」を石臼で挽いて、
ネルドリップで淹れて、お客さまがくる準備をする時間だ。感謝。

すえまつる、をよろしく!

今朝の朝刊の一面に、立憲民主党の候補者の写真がのっていた。
19区・・・・小平・国分寺
から「すえくん」こと末松 義規くん、(日本の政治家、外交官。立憲民主党所属の衆議院議員(7期)。
が立候補している。小学校時代からの親友で、よく卓球をいっしょにしたり、寺小屋みたいな塾で、
ともにビンタされながら勉強した竹馬の友だ。選挙区では「すえまつる」なんて渾名がついているようだ。
福岡出身で、外交官から政治家になって、総理になったら、広田 弘毅に次二人目になる。
広田・・、今の若い人たちにはなじみはないだろうが、城山三郎の「落日燃ゆ」のモデルになった人。
残念ながら、東京裁判で死刑にされた唯一の文官。戦争に反対の立場だったのに、運命に翻弄された真男子だ。
広田先輩の師匠、玄洋社の頭山満の掛け軸が、天真庵の二階に飾ってある。「総理になったら、プレゼントするよ」
と約束した。

先々月8月2日に、その竹馬の友たちが集まって、「そば会」をやった。
天真庵のHPの「のむら暮らし」に写真をアップした。一番左に写っているのが、末松くんだ。
あとの友達も、小学校のころからずっと親友。もうすぐみんな古希だけど・・たぐいまれな関係かもなんばん。
(写真は、今売り出し中の芸人「上の助 空五郎 」さんが撮影。今月は能登の応援ライブをやってくれた)
あと一週間、どこの選挙区も、はげしい戦いが繰り広げられているようだ。
政治家も国民も、「まじめに日本のことを思う」時代になってきた。みんながんばって、いい国をつくろう!感謝。

今日も12時から16時まで営業。
それから「UFO焙煎塾」「そば打ち教室」
明日の朝(8-10)は、玉子かけごはん。

今日から営業。早朝からばんばん蕎麦を打つ。

いつも月中10日間を「能登休み」にしているので、東京にくると冷蔵庫の中が空っぽ。
昨日は、かえしを作ったり、そばつゆをつくったり、豆を焙煎したりの一日だった。
一段落して、徘徊散歩。錦糸町のブックオフで、方丈記の解説本みたいなものを買って、
公園で読む。「方丈記」は、京都下鴨の草庵に住み、無常を感じながらも、知足の一生をおくった
鴨長明が著したもの。どの時代も、政変の混乱、気候変動による飢餓、大地震などを経験しながら
生き暮らしていた。今と同じ。

最近、「小屋」が流行っているみたいだ。方丈記を読むと、いろいろ参考になる。
縄文の家もそうだけど、3畳か4畳足らずの部屋の真ん中に「炭(囲炉裏)」をおき、
暖をとったり、煮炊きをする台所をおく。後は小さな文机、長明さんは琵琶をたしなんだので、
壁にたてかけた。炭を使うためには、サッシの窓だと危険なので、できたら木枠の窓がある古い建物の
ほうがいい。これから作る人も、そこは大事なポイント。ガスなんて契約しなくても、囲炉裏でなんでも料理できる。
風呂は銭湯にすればいい。ちょっと郊外にでると日帰り温泉や、道の駅にも温泉つきが多くある。

今日は5時におきて、ばんばんとそばを打った。
明け方の夢に、新しいそばの打ち方がでてきた。高橋さん(ぼくの師匠)がでてきたら、イヤな予感がするけど、
高原の山小屋みたいなところで、自分がそばを打っていた。なぜだか、こね鉢は白い陶器だった(どうやって、洗ったりするんだろう?)。
そば打ちで、丸くのした生地を、のし棒(ぼくは、びんぼう、といっている。朝から、びんぼうを振り回しています)をつかって、
四角にする。そこの部分にあるヒントを夢が教えてくれた。さっそくやってみた・・・結果・うまくいかなかった(笑)
でも、何回か練習すればモノになりそうな気がする。

今日明日は12時から16時まで営業。それ以降が「そば打ち教室」「UFO焙煎塾」
そろそろ、年末の「自分で年越しそばを打つ」ために、練習したいというそばもんが、練習にくる。
季節感がなくなった東京でも、この時期の衣替えと、年末のそば打ち練習が、季節の変わり目を教えてくれる。
「UFO」は、天真庵のHPの「UFO焙煎器」か「UFO焙煎塾」のところに、ぼくがUFOを使って焙煎をしている動画があるので、
地方でUFOを買う人たちは、それを見て独学している。ちなみにBGMは赤須翔のギター。撮影も彼がやってくれて、インスタに
あげたもの。彼の肩書は、ギタリストのほかに、「UFO焙煎器 友の会 会長」だ。