直木賞作家の常盤新平さんの短編に「たまかな暮らし」というのがある。
ゆるりと昼酒を飲みに、近くの蕎麦屋にいってそば前を飲(や)りながら読んだり
するのに最適な本だ。老後の「おひとりさま」にも、「たまかな暮らし(貧しくても、こころゆたかに暮らす)」
ヒントがいっぱいの作品だ。
天真庵を押上に結んですぐのころ、「散歩の達人」の表紙の裏あたりのいい場所に紹介されたことがある。
まだ元気(チワワで、副店長だった)も写っているので2009年より前。
その雑誌の中で常盤さんの珈琲の話がのっていた。短編の中の主人公もしかりなんだが、
きっと常盤さんは、下戸か、飲んでも猪口で一二杯程度で、どちらかといえば珈琲のほうが好き、
というタイプではないかと思う。それでも洒脱な文章が書けるのは、日々を大切に生きた
方(何年か前に鬼籍に移られた)なのだと思う。
先日、ヴィオラ奏者のヨッシーが金沢から蕎麦を手繰りにきてくれた。東京でコンサートのリハがあったとのこと。
大学時代の友人でイタリアに住んでいる美人チャリストの家族といっしょだった。
だんなさんは、イタリア人の著名なアーティスト。嫡女のIちゃんは、イタリア語と日本語を
上手にしゃべる。長く外国に住む日本人は、「アガッス」(ありがとうございます)みたいな乱れた
日本語をしゃべらず、美しい日本語が冷凍精子がひさしぶりに解凍されて動きだすごとく、懐かしい言葉に
なっていたりすること多しだ。
お土産に、カウンターのところに並んでいる古本の中から「幸田文」さんのエッセーを一冊さしあげた。
すると、母親が「わたしの名前もアヤです」という。「実家の両親がなくなり、片づけをしていた時、
幸田文さんのエッセーを読んで、幸田露伴の掃除の仕方なんかにふれ、癒されたことがあります」とのことだった。
この店で出会った木工の般若くんと結婚して、金沢で音楽家といて活躍するヨッシーが
「ここのマスターは、不思議な力をもっているんです」と笑う。幸田文さんも「たまかな暮らし」の人だ。
昨日は、金沢の般若くんから「トウモロコシ」が届いた。押上文庫ちゃんが豆源郷の豆腐
と、京なすをくれたので、それらをちゃっちゃと料理して酒を飲んだ。
夏の湯豆腐もまた風流だ。〆は「くるみそば」。
妙高高原の道の駅に「くるみ」が置いてあるので、毎月買ってくる。メニューにはのせてないけど、
店の中の黒板(正確には、緑の板)に書いてある。
文膳(ふみぜん)という昼酒セットの〆に、「くるみそばにしてください」というリクエストが多くなってきた。
これもまた「たまかな暮らし」である。京都に住んでいたころ、洛北の樽源で買った「湯豆腐桶」の徳利には、久保田万太郎さんの俳句が
書いてある。「おいしい豆腐を食べる」より、「豆腐をおいしく食べる」風情がある。
湯豆腐や 持薬の酒の 一二杯
「たまかな暮らし」の最後の一文にこんなのがあった。
「ブリヤ・サヴァランという人が言ってるね。ただ食べるだけなら必要を満たすだけだが、
おいしく食べるのは芸術だ、と」・・・・その通り!さすが、チーズの名前にもなった美食家の金言。感謝。