吾輩も猫である?

能登の家の横の畑で、5月に子猫が3匹生まれた。みんな白黒模様のネコ。
ハクロ、ミクロ、チクロ・・・筆子さんは毎日牛乳やごはんを
やりながら、名付けた子供たちに、それぞれ話かけている。
見分けがつかないぼくは、彼(彼女)らを総称で「サツキーズ」と呼んでいる。

帰る日、彼らがいっせいに、我が家に入ってきた。
「こらこら、ここは寒山拾得美術館だぞ。入場券が1000円いるんやで~」といっても、
馬耳東風で、走り回っていた。やっと追い出して、「元気にいろよ」と声をかけ東京に向かった。

東京の天真庵界隈でも、10年以上前には、よく野良ネコを見かけた。
ラジオが「今夜は強い台風がきます」といった夕方・・野良の母親が、
子猫を3匹加えて、洗濯物などを干すオープンエアーなスペースにやってきた。
そのうちの2匹を、ぼくのそばのお弟子さまが、所沢の家にもちかえってくれた。
天真庵がある「文花(ぶんか)」という地名を一字づつとって、「文(ふみ)ちゃん」「花(はな)ちゃん」
と襲名され、晴れて家ネコに昇進した彼女たちは10有余年埼玉県にゃん?として幸せに暮らした。

家ネコの平均寿命が15歳とすると、野良ネコの寿命は3年くらい。
交通事故、病気が主な原因だが、都会であるほど土や水飲み場がないので、腎臓の弱いネコには住みにくい場所だった。
それに輪をかけて、近頃の「不動産バブル」で、ネコが暮らす空き地が、下町からも姿を消し、野良ネコもめっきり見なくなった。

昨日は「墨田川花火大会」。その洗濯物を干すオープンエアーの場から、花火が奇跡的に見える。
ビールを飲みながら見ていると、おばあちゃんたちがふたり、「お邪魔します」と挨拶され、いっしょに花火を見た。
そのひとりは、最近少し認知がはじまった。みんなそうだけど、同じ言葉を繰り返す。前のアコレというスーパーの定員さん
の話だと「お金をぬすまれた」というのが口癖になったという。この被害妄想も認知症の人たちの共通項らしい。
花火会場は、この界隈と、両国の二か所で交互に打ち上げる。両国であがる間は、こちらはお休み。その間に間に
「もう終わりなの?」を繰り返した。でも、旦那さんが存命の時に、いっしょに橋のたもとまで歩いて花火見物に
いった話などをしているうちに、正常になっていった。ようは「話相手がいない」ことが、認知になる主たる原因かもなんばん。

お開きになって、カウンターで大阪のこいさんが土産にくれた山口の焼酎「平安永寿」をロックで飲む。
「強いな~」と思ってラベルを見ると43度だった。
横で筆子さんが「大丈夫?」と問う。「まだまだイケル」と答えたら、「酒でなく、認知」・・・
この秋68歳になる。平均寿命まであと12年。できたらボケたりセルフネグレクトにならずに真っ当したいと思いながら、
もう一杯強い永寿オンロックをグイッと飲み干みほし、こころの中で
「山川草木悉皆成仏 (さんせんそうもくしっかいじょうぶつ)」と唱える。
ネコたちも、わらわれも、都会や限界集落の厳しい環境の中、たくましく生きている同類だ。
「吾輩も猫である」のだ。

今日も12時から16時まで営業。それから「そば打ち教室」「UFO焙煎塾」二階では「ゆるゆるヨガ」
明日の朝は「玉子かけごはん」(8-10)