今日の能登は朝から晴天なり。
「ちょいなげ釣り」をしに、海へ・・・「きす」が一尾(笑)
銀座の王子、陶芸家の久保さんと、「新製品」の打ち合わせを、メールでやり取りしながら、
砂浜のある海岸まで歩く。都会で散歩する時は、きょりょきょろしながら、ときどき立ち止まったり、
カフェに入ったりの気まぐれ徘徊散歩。能登での散歩は、左手に釣り竿、右手でメールしながらの
散歩になることが多い。「ほろつき歩き」といったところか?自然に寄ろ沿いながら、鳥や虫のすだく声を
聞いたり、四季折々の野花を愛でながらの歩きは、「歩くことは考えること」だと痛感。「哲」してる気分になる。
老いてからは、この「ほろつき歩き」がたまらない。
港で、もぐりの名人にあった。あわびとりの名人。
地震後も、あわびの生態はさほど変わっていない、という話に安堵。
近くのおばあちゃんたちも、天気のいい日には、海にもぐり、大漁の時?は、
我が家に到来もののさざえが、たくさん届く。都会のスーパーで買ったら、
新しい渋沢栄一翁のお札をだしても買えないくらいやってくる。
越後で晩年を過ごした良寛さん。田舎でも「さざえ」は貴重だった話が残っている?
托鉢三昧の精神で、いろんな人のお世話になった。その恩返しみたいな感じで和尚の「墨書」
は、いたるところに残っていて、その書体は、やさしい人間味にあふれている。
ある職人さんが、彼にお金を貸した。お金よりも、墨書がいいという思いで、返せとはいわなかった。
それを察した和尚の詩が、また酒脱でいい。
このごろの恋しきものは浜辺なる さざえの殻のふたにぞありける
さざえの「ふた」を、小判にみたてた!
昨年の秋に新潟の燕三条にいって、銅のパンを注文した。
大人気でほぼ「一年待ち」らしいが、秋あたりに出来上がると思う。
能登から新潟の海岸線を旅すると、「良寛さんゆかりの地」があちこちにある。
これもまた「老後の楽しみの旅」のひとつだ。感謝。