能登の寒山拾得美術館

「天真庵」のHPには、2018年から、「寒山拾得美術館」の案内を掲載している。
公の「税金」を使ってつくる「箱もの美術館」じゃないので、ピカソやルノワールの絵などは飾って
いないけど、寒山拾得のギャラリーを東京で長いことやっていたので、南條観山、狩野派の絵描きや、浮世絵師が書いた
寒山拾得の絵などを展示してある。その分、「普段着で肩肘張らずにこれる美術館」だと思う。陶芸家の久保忠廣さんが、土台をつくり、南條先生が寒山拾得の絵を描いた合作の器なども、展示されている(久保さんの器は、いっぱいあって、展示というより、普段使いにしている)
珈琲豆や珈琲カップ等を買いにこられるお客様もいる。近所のおばあちゃんたちと、井戸端会議ならぬ囲炉裏端会議を
やっていることもあるし、畑仕事をしていることもある。「田舎の百貨店の休憩所」みたいなものだろうか?
麦わら帽子にモンペでこられても「OK牧場」だ。

地元のテレビや新聞などにも紹介されて、縁ある人たちがときどき遊びにきてくれる。
各地にボチポチ住んでいる「そば」や「珈琲」や「お茶」のお弟子さまたちも、里帰りするようにやって
「小さな茶会」や「珈琲イベント」などをやることもある。
毎月、能登では10日ほど暮らす。「能登休み」といって東京のお店の玄関には張り出して能登にくる。
その間に、「予約があった方のみ」、約1時間の制限つきで、観てもらっている。

今年の正月に震度7大地震に見舞われた!
幸いに、家はファイティングポーズさながら、建っていた。屋根が壊れたので、畳などは濡れて
半分くらい処分したり、布団などはだいぶ捨てた。
能登半島にある「美術館」「ギャラリー」「記念館」なども、甚大な被害を受けて、再建のめどがたたないものも
たくさんある。無目的みたいだけど、「あるだけでいいか?」と思う今日このごろ。

たまたま、近くに總持寺という世界的に知られた禅寺があり、世界中から座禅にこられる。
昔から禅林たちが、好んで描いたものが「寒山拾得」だ。まさに「無」「無一物」「無目的」な世界。

不立文字(ふりゅうもんじ)という禅語がある。禅や仏教などは、言葉で説明するもんじゃない、という意味だ。
ただ、遊びにきて、茶でも飲んで、何かを感じてもらえたらいい。何も感じず「なんだここ」というのも、大歓迎だ。
何も感じてなくても、何かを得てるものだ。

能登の復興の手伝いになることでも、これからの能登の観光名所になることもないだろう。
でも、ここに、そんなものが「大地震に耐えて建っていた」というのが、なんだか愛おしい。
寒山拾得という、ボロを着て、粗食に暮らしたふたりの、天真爛漫の知足生活は、
これからの生き方その理想形かもなんばん? 天恩感謝。