今日は「土曜日」。この集落は「働きかた改革(生き方改革?)」で、土曜日は
一日「海にでない。船も、網も、もぐりも、釣りもしない日」だ。
そんなこともあって、隣のおばあちゃんが、昨日、カンパチ一尾、さざえを30匹
くらいくれた。だから夕べは、カンパチの刺身と、さざえの刺身で能登の地酒「遊穂」を一献。
今朝は、輪島のカフェから珈琲豆の注文がきたので、旧輪島駅前にある「翁」という喫茶店で
モーニング(ソーセージエッグ、スクランブルエッグ、バタートースト、珈琲で680円)を食べる。
罹災して家や店舗を失ったおばあちゃん(大きな声で、相談しあっていたので、すぐわかる)が、
3人で「コーヒーゼリー」を食べていた。やっぱりこんな「居場所」が大事だと痛感。
そのまま朝市通りの駐車場に車をとめて、被害の激しかった「朝市通り」を歩く。
知り合いの輪島塗の工房、居酒屋、などの焼け跡を見て、改めて茫然自失。6月からは解体工事が
始まった感はあるが、いろいろな問題が山積している。
天真庵の漆の器を造ってくれた工房も、門柱にYという屋号を残しただけで、廃墟になっていた。
安否はテレビのニュースで確認したけど、彼だけでなく、輪島塗の前途もきびしいものがある。
でも、焼けてしまい、まるで79年前の東京大空襲を間の当たりにしたような現場に立っていると、
「ここから、新しい未来が始まる」という声なき声が聞こえてきた。
営業を再開したカフェに「ほぼブラジル」を届け、「酒ブティックおくだ」で一升酒を6本東京に
おくってもらう。お店の玄関わきに、「#能登の酒を止めるな!」とメッセージが書いたビニール袋に、
「能登の地酒の四合瓶二本入り」が並べていた。「谷泉」の二本入りを買ってきた。
能登町にある鶴野酒造店は、大きな被害を受け、長崎の平戸の福田酒造が醸造を手伝ってくれた。
もともと「福田」は、九州でも品のある日本酒をつくる酒蔵として、知る人ぞ知る名酒であるとばい。
今宵は、Yで作ってもらった「輪島塗の盃台」に、久保さんが珠洲の珪藻土でつくってくれた「黄瀬戸の盃」を
おき、「谷泉#福海」がコラボした奇跡の日本酒をなみなみ注いで飲みたいと思う。
酒が飲みたくなるような、ほとばしるようなワクワクが、これから先もいっぱいありますように・・・
ラベルの文を、紹介・・・
店舗・酒蔵のすべてが全壊になり、酒造りができない、と絶望している中、この共同醸造のお話をいただきました。
お酒造りを続けれれること、誠に感慨深いです。この度は、温かいご支援をいただいた福田酒造様、応援していただいている皆様に
こころより感謝もうしあげます。私たちが能登のお酒を造り続けることで、能登の未来につながる復興ができると信じております。
福田酒造様と鶴野酒造店の化学反応をお楽しみくださいませ!
鶴野酒造 鶴野晋太郎
ラベルの最後に
*飲酒は20歳になってから。
とあるが、九州では、普通15歳くらいから解禁になる。
こんなすばらしい酒なら、12歳くらいでも、飲んでも「よか」と思う。感謝、しかない!