愉快な老人会にもAIが忍び酔っている?

滅多に、IT時代の仕事仲間と飲むことはない。
みんな相応に年をとったし、鬼籍に入ったひとも増え、「昔話」より、「これからの話」
のほうがいいという性格が自然にそうさせている。

その滅多にないような電話があった。Hさん。ぼくが業界団体の理事長をやっていたときの参謀のような理事
だったHだ。「月曜日の夜に、元ソフトバンクのMとSでいくので『そば会』をやっていただきたい。3人とも、今年65歳になり、先輩(ぼくのこと)と同じ老人の仲間入りになります」とのことだった。
「じゃあ、老人会の歓迎会をやろう」ということになった。

ソフトバンクが、まだ日本ソフトバンクだったころ、
市ヶ谷の東郷公園の前の半地下の100坪くらいのところに、本社・出版・倉庫があった。
春になると、東郷元帥の屋敷跡の公園に桜が咲き、ソフトバンクの社員と、取引先のソウフトハウス(IT企業といわず、そんな風にいってた)
が、桜の下のゴザに車座になって、花見を楽しんだ」。ぼくは、元社員であり、今は取引先という微妙な立ち位置に
あり、乾杯をしてすぐに、ひとりで新宿のゴールデン街に行って飲んだ。
翌日、その花見が佳境を迎えた時、HやMが、殴り合いをはじめ、警察沙汰になったという話を聞いた。
以来、恒例の「花見」は廃止になり、彼らも高齢になった。でも三バカ大将よろしく、ときどき飲んでいるらしい。

昨日の夕方、その花見以来35有余年ぶりに、3バカ大将がやってきた。
能登の地酒「遊穂(UFO)」で、互いの無事を祝いながら、酩酊すると「伝説の花見」の話で盛り上がった。
過去の話は、往々にして、都合よく脚色されたりするもんだが、仲のいいHとMが、ガチンコの殴り合い
をした、という簡素な健闘話は脚色されることも色もあせず、モハメッド・アリとフォアマンが世紀の戦いをした、と同じくらいIT業界の
伝説になっている。

65歳になっても、酒量が衰えぬ3バカ大将は、30分ちょっとで、遊穂の一升瓶を空にし、二本目の「宗玄」
も空くころになって、少し雲行きが怪しくなった。カウンターの中で料理をだすぼくは、昔のように、ばっくれて
新宿あたりに逃げたい気分になった時、酩酊したMが玄関をあけて十間橋通りにでて、
雄叫びをあげながら走りはじめた。リングの戦いなら、セコンドからタオルを投げたくなるような場面だが、
Mを3人で取り押さえ、水を飲ませて、お店にもどした。が、覆水盆にかえらずだ。
5分くらいして、パトカー2台がお店の前にとまり、事情徴収。

次の35年後には、みんな娑婆から住所を移していると思うけど、あの世で飲み会をやっても、
パトカーのサイレンを聞くようなハメになるような気がした。ひさしぶりに日付変更線をまたいで、
濃い飲み会がお開きになった。

今朝、メールがきて、「Mがマッチングアプリで知り合って昨年結婚した新妻が、あけてびっくり
モラハラ妻だった、ということで悩んでいて、悪酔いしたということ」を知る。
飲んでいる最中にもモラハラ妻から「今どこで誰と飲んでいるの?」から始まるラインが、数十件
きていたらしい。少し酔ったHが、Mがトイレにいった間に、Mに成り代わって、「ふざけんな」
と返信したら炎上したらしい!
先週飲んだバーのカウンターで座った5人の中で3人が「昨年、マッチングアプリで出会って結婚しました」
という体験をしたばかりだった。AIが得意そうな、「どうやったら、相手を鴨にできる結婚ができるか」
のようなハウツーなんて、かも南蛮をつくるより、朝飯前の時代を迎えているのかもなんばん?

日本海海戦の時、東郷平八郎がZ旗をかかげ、詠んだ伝説の言葉がある。

「皇国の興廃この一戦にあり 各員一層奮励努力せよ」

そんな東郷さんの名言もむなしく、老人になっても奮闘努力のかいもなく・・
の人生を久しぶりに振り返りながら胸に手をあてた日。感謝合掌。