素敵な「おきな」がおっぱい、もとい、いっぱい。

さっそく、キスを釣りにいく。
いつもは、港でタコを狙っている。地震で驚いたのか?まだ避難所にいるのか?
姿が見えない。海水の温度があがり、西の魚、イサキ(南九州ではイッサキ)などが能登で釣れるようになった。
ある意味「白ギス」も、同じような流れかもなんばん。
「海の貴公子」ともよばれ、砂浜でキラキラと光る姿は、なんとも形容しがたい。
刺身でよし、天ぷらにしてもよし、こちらも筆舌が及ばぬ美味だ。
久保さんの織部の向こうずけに盛ると、天下を取ったような気分になる。

「ちょい投げ」という投げ釣りが流行っている?女子の太公望さんが増えているせいもある。
岸壁とか、整備されたフィッシング公園みたいなところで、♪ちょいなちょいな、よろしく気軽に
できる初心者向けの釣りだ。来月あたりは梅林ガールズたちが、能登の家に泊りがけでやってくる。
息抜きをかねて、タコ釣りセット、ちょい投げセットも用意している。
まだ使っていないそのちょい投げの竿に、あおむし(ゴカイのこと)の疑似餌をつけて、ちょいと投げたみたら、
20Cmくらいの白ギスが釣れた。東京に向かう日だったので、それをリリースして家にもどった。

今回は松本経由で、山梨の農園へいった。
そばの「かえし」をつくる醤油が松本にあるので、年に何度かは立ち寄る場所だ。
山の景色も、街のありようも、今流行りにオーバーツーリスムのとこみたいな、かしましさや、騒音もなく、
いついっても落ち着く場所だ。ときどき立ち寄る「おきな堂」で、ポークステーキをつまみに、クラフトビール。
さすが、1933年からこの地で愛される洋食屋さん。
次の日は中央線の「穴山駅」で、知り合いの農家さん(2月に湯治場で知り合った女性)と待ち合わせ。八ヶ岳に上る山人たちも降りてくる駅。隣が長坂駅。ぼくのそばの師匠が東京から移住して「翁」をやっていた場所でもある。今は弟子が継いでおられる。
穴山氏といって、武田家の親戚筋で、武田の重鎮だった人たちが生き暮らした土地だ。

駅から車で5分ほどで、大きな農園に着いた。農園の主は齢80を超えた翁さん。矍鑠として笑顔がいい。
畑にはレタスがいっぱい収穫を待っていた。
その農園の端に、大きな柚子の木が5本。秋になると、とりきれないくらいたわわになるので、
「勝手にとりにきていいよ」ということになった。
天真庵のそばは「柚子胡椒」をつけている。今までは湯河原あたりの農家さんから買っていたけど、
この2年ばかり気温の関係で、不作で困っていた。2月は味噌つくりで休みをとれない。秋の「柚子胡椒つくり」
で腱鞘炎になった筆子さんの要望ででかけた山梨の湯治場であって、柚子の話をしたら、柚子の木と縁がつながった、
という話である。

土産にレタスを自分でもいできた。畑でなにもつけずに、食べてみた。これまで食べてきたレタスが
「紙みたい」に思えるほど、みずみずしく美味い。柚子の木の横にあった「ふき」も土産にした。
さっと塩をいれた寸胴で湯がき、冷水でしめ、皮を手で向いて、そばつゆに酒を少したして、お浸しにした。
今日の朝飯は、「わらびごはん」。灰であく抜きしたわらびを切って、油揚げを刻み、そばの甘醤油を入れて炊くだけ。
「田舎暮らしは、宝がいっぱい」(そんな本を書いた人も、東京から山梨に移住した人)

桃栗三年柿八年、柚子のばかたれ十八年

桃尻三年胸八年・・・そんなことをいったちょいスケベ翁がいた。森繫久弥さん。
元気な「おきな」がいっぱいであれば、まだまだ日本は大丈夫だ。感謝。