美しい日本語だな~。「みずくきのあと」という。
美しい書・筆跡。「彼女の字が美しいのは、毎日毎日を精進しながらの修行を重ねた水茎のあとである」
みたいに使われる。「書」が単なる「習字」ではなく、の所以で、その境地に続く道を「書道」という。
サンキュー、ぼくが39歳の時だから、もうだいぶ昔日のある日、陶芸家の久保忠廣さんの個展を
銀座に訪ねた。その日は不思議な日で、午前中は故・白井晟一さんの江古田の家にいき、
「無窓」というエッセーを白井昱磨(いくま)さん(白井さんの次男)にもろうた。
世界的な建築家であり、装丁やエッセーもすごかったけど、「書」は、水茎の跡どころか、今でも書いている筆圧の音が聴こえてくる迫力がある。天真庵の一階に「生」という白井晟一さんの額が飾ってある。ときどき、白井ファンの人が
まるで墓参りにでもくるように、見に来られる。今でも「生」きておられる崇高な揮毫だ。
それから数年後、白井昱磨さんが設計命名した広島の「雪花山房」に、そば打ちを習いにいくことになる。人生は不思議な邂逅の連続だ。
蕎麦の神様・高橋邦弘氏の道場。「達磨」という屋号の揮毫も、白井晟一作。
初めてあった久保さんに、そんな話をしていたら、「ぼくは、白井晟一さんの書も好きだけど、その本の中
にある『豆腐』というエッセーが好きです」とのことだった。
ちょうど、その年の春に「画廊 天真」という天真庵のはじまりみたいなギャラリーがうぶ声をあげた頃で、
芸大を卒業したばかりの作庭家の長崎くんたちと、久保さんのコラボ展「いまのもの」が始まった。
織部・志野・黄瀬戸など桃山陶をストイックに継承されていた久保さんが、若いアーティストたちに交じって、
「白い器」をたくさん焼いてくれた。今の天真庵で飲む珈琲カップの源流でもある。
その白い器たちの中に、白い絹豆腐みたいな器があった。
久保さんに「?」と聞いてみたら、「豆腐」を読んでイメージしてつくられた水滴(すいてき)、だとこと。
先日、能登の家の二階を整理していたら、その水滴が文机の下に小さくうずくまっていた。
地震で文机から落ち、雨漏りで少し貫入(かんにゅう)が入ったけど、「無事ですよ」
という声が聞こえた。水道水であらってあげると湯上り美人みたいになった。
今日の能登は朝から快晴。災害ゴミの無料期間が、今月いっぱいなので、被災したものを集めて
あと何日かは、富来の野球場に運ぶ予定だ。
雨漏りの後もだいぶきれいになった。これもまた「水茎の跡?」
二階の書斎は、濡れた畳がなくなり、文机も一階に避難し、板張りになってガランとしている。壁には白井晟一さんの「道」が飾ってある。
道ゆくためには「困難」とか「孤独」もさけられへんな、と思う。感謝。