今日は、憲法記念日。
きのうの朝、スカイツリー界隈を散歩した。横の小川に
こいのぼりがいっぱい泳いでいる。
前日の雨で、すこし濡れているのか、鯉というより、ひなびた「いりこ」みたいだ。
仰げばスカイツリー。これもなんだかひょろっとして頼りない男根のようなフォルムだな~。
中学の同級生より、「同窓会の案内」がきた。19年ぶりらしい。往復はがきに
なっていて、「返事がない場合は、次回は連絡がいかない場合があります」と書いてあった。
今年68歳になるので、次回が19年先だと87歳。男子だと、ほとんどがあの世に住所変更しているかもなんばん。
ハガキで連絡するより、霊媒師さんたちを使って「昭和47年の引野中学卒業生、こんど同窓会をやるばい」の方が有効かもなんばん。
竹馬の友の「すえくん」からも電話がきて「いこうよ」と誘われた。残念ながら、今年は能登の自分の家の復興とか、
それが終わったら、なにか能登の応援をしたい気分でいっぱいなので、「欠席」に〇してポストにいれた。
中学のころ、「寺子屋」のような塾があった。早稲田をでて、俳優とかアナウンサーを目指していたS先生が
やっていた。時代も時代、ビンタなど日常茶飯だった。きっと今ならハラスメントの標的になり、成り立たない
ような塾。近くのほかの中学からも、けっこう優秀な生徒がきていた。先生も夏は、白い半ズボンをはいて授業をした。
半ズボンから、ちんちんがピローンとでていて「ピーロン」というあだ名の子もいた。秀才だった。すえくん、こと立憲民主党の末松義規くん
もいっしょに机を並べて、ビンタくらいながら勉強したもんだ。
その塾で、憲法記念日が近い日のこと。「今日は、日本国憲法の前文を覚えたら人から帰ってもらう」という日があった。
イデオロギーなど微塵もなく、「金だけ今だけ自分だけ」の自民党の連中は、改憲改憲、とかしましいが、そのころのぼくらは
ただ純粋に「いい文章だな」と思って、さして賢くもない頭に「前文」を記憶させた。
不思議と今でも、スラスラと全部でてくる。やっぱり名文である。とぼくは思う。
日本国憲法前文
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。