先月、北陸新幹線が延びて、福井に旅する人が増えているようだ。
昨日の朝、能登を出発。霊水公園で水を汲み、和倉温泉の総湯で
ひとっ風呂浴びて、夜の10時くらいに東京に着いた。
昨年の6月、京都のホテルで珈琲のイベントがあり、福井から鯖街道を通って、
大原にいったことがある。東京から能登よりも断然短い距離だ。もっといえば、
同じ石川県の小松から珠洲に行くよりも、小松から京都のほうが近い。
不動産の価値も、道路や鉄道も、「採算」を重視すると、どうしても「東京から」
という発想になるけど、ちょっと見方をかえると、直観力という強い味方がついてくる。
曹洞宗の道元さんが比叡山を下り、鯖街道か名古屋から古道を通って福井にいき、永平寺を建立した。
「分け入っも分け入っても青い山」の山頭火みたいな旅だったと思う。
道元・・・名前に道をつけるくらいだから、道なき道を歩むのが好きだったのだろう。
もともと、道とは、首が転がっている地面を表す象形文字だといわれる。
いろいろな旅をしながら、行き倒れになる人生を、そのまま表していておもしろい。
道元禅師が鬼籍に入ったあと、弟子さんたちが永平寺を出て、新しい伝道を始めた。
その拠点になったのが、今回の地震で大きな被害を受けた輪島の「門前」。
よく「どのお寺の門前ですか?」と聞かれる。總持寺の本山だった祖院の門前のことだ。
たぶん、北前船で富を得た黒島あたりの賑わいで、人や文化が交流して、その財力も能登總持寺
の発展には、かなり寄与したに違いない。その「黒島地区」も未曾有の被害を被った。
今の「成金」と違って、その当時の商人たちは、儲けたお金を、お寺に寄付したり、後進の育成のために使った。
神奈川の鶴見が「石原裕次郎の葬儀」をやったりして有名だけど、明治時代に能登の總持寺が火災
にあい、なんらかの政治的な影響もあって、鶴見に移った歴史がある。
京都、福井、能登、鶴見・・・・道元禅師の足跡をたどって、座禅をしてみると、
「いごこち」とか「尻のすわりごこち」とか、いろいろ各自で感じるものの違いがあるのではなかろうか?
「どこに住もうか?」とかいうことも、ひょっとしたら、そんな尻のまわりが感じる直感みたいなもので
決まったりするのかもなんばん?もじもじしていたら、九州のさいはての門司あたりにいくつく。
布刈神社(めかりじんじゃ)のあるいいとこ。感謝。
明日から営業。土曜日曜は12時から16時。それから「そば教室」「UFO焙煎塾」