昨日、 天皇、皇后両陛下が能登にお見舞いにこられた。二度めだ。
天皇は、50年前の学習院初等科時代に能登に遊学され、昨日は懐かしい再会があったという
ニュース。
ぼくもはじめて能登にきたのは、立命館に入学した年の夏休み。かれこれ50年になる。
能登は桜が満開だ。見渡すかぎり、里山の山桜も満開だ・・・
近所に元・幼稚園だった場所がある。子供が少なくなって、閉園になって久しいけど、
毎年残った桜が、昔を忍ぶように咲く。徘徊散歩の足をとめ、満開の桜を眺めていると、
子供たちの笑ったり、歌ったりする声が聴こえてくるようだ。
今年の志賀町の小学校の新入生が5人。震度7だったという数字と同じくらい衝撃的な数字だ。
名前も知らない元・幼稚園の先に、「中根酒店」という「田舎の百貨店」がある。
お店が今回の地震で傾いて、「冷蔵庫の傾きを見てたら、しばらく吐き気がしたわ」というおばちゃんは、
しばらく金沢近くの実家に身を寄せていたけど、最近お店を再開した。「うちがないと買い物難民がでるからね」と笑う。
気骨ある能登人だ。10年ほど前に、このお店に若い木地師(漆器の下地をつくる職人)のカップルがやってきて「このあたりの古民家
で仕事しながら暮らしたい」といった。海辺にある古民家を紹介し、近所の藤懸神社で、集落の人が集まって結婚式をした。
そして、3人の子供ができて、この集落で暮らしている。・・た。タコ釣りの帰りに、彼らが神社の草刈りをしたりしている時、
向こうから「こんにちわ」と挨拶され、彼らの先輩である金沢美大の般若くんの話などをした。
残念だけど、今回の地震で古民家が壊れ、家族で京都に移住した。
春は、桜とともに新しい出発の季節。荒城の月ではないけど、廃校になった校庭や、廃線になった駅に桜が咲く。
ぼくは、そんな「美しい残像」みたいな桜が好きだ。でも今年の桜は、せっかく知りあった人たちとの別れも多く経験した。
ぼくの家も、屋根がやられ、雨もりがひどく、濡れた畳を、毎日干しながら、ボランティアの人の手を待つような日々。
畳がなくなった居間の窓から、里山に咲く山桜が見える。到来ものの「タラの芽」でパスタをつくり、
中根商店で買った「能登ワイン」を飲んでいると、ふと一茶の句を思い出した。
めでたさも 中位なり おらが春
こんな一茶の句もある
死に支度 いたせいたせ と桜かな