能登くらし ここのかめ

毎日、家の中のかたづけにあけくれたけど、やさしい集落の人や、
思いもつかぬ助け人がきてくれたりして、それなりに日々是好日だ。
昨日も隣のじいちゃんと軽トラで、被災ゴミの集積所になった野球場にいく。
少し耳が遠くなったじいちゃんが聴く大音量のラジオから井上陽水の「傘がない」が流れてきた。
先月錦糸町で観た「パーフェクトデーズ」な気持ちになって、補聴器をつけたじいちゃんの横顔を見たら役所広司に見えて笑ってしまった。

今日は、旗日で、朝から冷たい雨が降っているけど、もうすぐボランティアの人たちが、濡れた畳と、
家の前にあった塀の瓦礫を、撤去しにきてくれる。感謝感謝。
それが終われば、車庫の二階に置いてある器(もともと、この家で冠婚葬祭や祭りの時に使っていたもの。
どこのうちも、大家族で、器や漆塗りの器がいっぱい)を、野球場に運ぶ予定だ。

♪だけども 問題は 今日の雨 屋根がない・・・

ピアスのウルトラマンさんが来てくれなかったら、今日の雨で、そんな状態だったけど、一滴の雨
も降りこまず、これから朝焙煎した珈琲を淹れ、残りのそばかすで、ガレットを食べる予定。
門前に「手仕事屋」というそばやがある。一度赤坂で飲んだことのある天才漆作家の故・角偉三郎さんの器でそばを
希望すれば供してくれる。今回は被災して、水がまだこないので、「ガレット」のテイクアウトのみで
営業している。近くに「幸福さん」というやさしいネーミングの酒類・衣料品のお店がある。
昨日電話して「どうですか?」と尋ねたら、「半壊で、店は取り壊します」とのこと。
間髪をおかず「もうやめようと思ったけど、掘っ立て小屋をたててでなおします」と元気な声。
「手仕事屋」でそばを手繰り、「幸福さん」で地酒を買う・・・そんな門前のゴールデン梯子は、
そう遠くない未来にもどりそうだ。すこしずつ、みんな歩き出した。

北陸新幹線が伸びて、金沢や福井に人が「復興の応援のためきました・・・ボリボリ」とかしている矛盾。
都会と田舎。効率と非効率。人間性と経済性・・・・矛盾だらけだけど、どこか共通点も多い。
自然にふれあい、工夫をしながら、魚や肉を醸し、人のこころも醸してきた能登。

今回の地震で、ますます過疎に拍車がかかると思われる・・しかし、いつの時代も

人のいく 裏に道あり 花の山

だ。
今回のような人間の人智を超越したような災害も起きるけど、太古の昔からここを選んで生き暮らしてきた
人たちの声を聞きながら、この土地にふさわしい「哲」を掘り下げながら生きていくのもおもしろい。
「哲」というのは、それぞれの「個」のためにある、を、この一週間で悟った。残りの人生の毎日毎日が
また楽しみになってきた。新しい旅が始まる。人生は旅であり、哲だと思う。
どうせ一度しかない人生、自分らしくワクワクほとばしるような旅にしたいと、つくづく思った一週間。

能登の家の玄関に、南條先生の「四睡図」(しすいず)が飾ってある。
「寒山拾得」(かんざんじゅっとく)プラス、「トラ」、「豊干禅師」が寄せ合って眠っている。
昔から禅林が好んで描いたもうひとつの寒山拾得。「家族がいっしょに寄せ合いながら眠っているのが、一番幸せな構図」とされてきた。
その額縁の端に、西田幾多郎先生の言葉をいれた。

生きるために便利だから
真理なのではなく
逆に真理だから
我々の生活にとって
有用にされ得るのである

天恩感謝。