能登くらし ふつかめ

朝ごなんは東京からもってきた「そばかす」を使って、ガレット。
「水」などをいっぱい東京から運んできたので、今回は大きなクーラーを
もってこなかった。水道はもどったけど、台所などが使えるかどうか
微妙だったので、食べ物は、「ガレット用のそばかす」と、そばの乾麺、パスタ、
素麺などにした。「めんつゆ」じゃ耐えられなのにので、そばつゆは自作のものを持参。
能登の家には「かえし」が二種類常備したあるので、「なんとかなる」と思っていた。
全国から寄せられた「応援の到来品」もあり、水、茶、カップ麺、米、チャコレート、レトルトカレー、
おかゆ、ビーフン、リンゴ、三日分の災害セット・・・二週間くらい生きていけそうなものが届いた。

今日は、台所で割れた食器などを片づけた。台所にはふたつの書棚、しかもガラスが付いた昭和のものを
置いていた。でも、ゴムの「滑り止め」をつけていたので、ちゃんと立っていた。居間の「茶箪笥」も、
同じように「滑り止め」をかましていたので、震度7に耐えて立っていた。中の器たちは、お互いに
助け合うように、寄せ合っている。近所の人たちも、「奇跡」だとびっくりされた。
床の間の飾り棚に飾ってある煎茶道具の安否が気になっていたけど、ほとんど無事だった。
きっと「出番がこれから」だと自覚しているのだろう。雨漏れで汚れていたものは、お風呂に入れる
ように温水で洗って、風呂上りの赤ん坊よろしく、タオルで拭いて縁側でかわかす。

それから、車庫を開ける作戦・・・
能登の志賀町は、潮風が強く、塩害がハンパじゃないので、ドアのついている車庫に車を入れる、が常識。
今回の震度7の地震は、その倉庫にも甚大な被害をもたらせた。
4枚あるドアが、レールからはずれ、鍵があかない・・・・まったく想定外のことが、
当たり前のようにおこった。1時間くらいかけて、いろいろやってみたけど、歯が立たない。

すると近所のじいちゃんたちが、「そんなの朝飯前やけん、まかせろ」とやってきて、まず、七つ道具で鍵をこわして、
レールからはずれたドアをもどし、4枚のドアをぜんぶはずしてくれた。
後日、壊れた鍵を直すといいや、と思っていたら、4枚のドアの上下の部品に油をさし、少し地震で傾いた
上の木を、金槌と木を使って調整し、一枚一枚のドアの高さを、ペンチや金槌で調整し、最後に壊した
鍵をまた修理して、元通り以上の状態にして、「よかった」といって、涼しい顔して帰っていった。
先週まで、水道がこなくて、避難所暮らしをしていた人たちの「普通の親切」に驚愕した一日。

乾麺のそばと、いただいた春菊をゆで、「かえし」と粉チーズでパスタをつくり、
晩御飯を食べていたら、「電気屋です。雨漏りで大変なことを聞いたので、馳せ参じました」
といって、脚立をもって見舞いにきてくれた。昨年の夏に入れたエアコンが、今回の雨漏りで異常がないか点検してくれて、
スイッチを入れ、「畳の部屋のドアを閉めて、26度くらいで、一日かわかせたら、なんとかなるんじゃないかな」
と笑っている。
「お宅は?」と尋ねると、「土壁が壊れ、全壊に限りなく近い半壊です」とのこと。
そんな中で、エアコンをつけただけの縁の家にかけつけ、「お代は?」と聞くと、脚立を肩にかけ、踵をかえしながら
「こんな状況の中、お代なんかいりません」といって、笑っている・・・・?

「能登はやさしや土までも」・・・そんなやさしい形容詞では語れないほど、能登人のやさしさに、驚愕した二日目。
エアコンを入れた部屋の「寒山拾得」の絵の額に、西田幾多郎先生(京都「哲学の道」は石川出身の西田先生が歩いた道)の言葉を飾ってある。
「亀泉」を飲みながら、読むと、涙があふれてきた。

「非常時なればなるほど 我々は一面において落ちついて 深く遠く考えねばならぬと思う」    

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