PERFECT DAYSを見に行った。監督はドイツの巨匠ヴィム・ヴェンダース、主役は役所広司。
押上が半分舞台になっているという話を聞き、内容が「禅」の「足るを知る」
がテーマになっているというので、禅は急げ、と錦糸町のオリナスの中の映画館にいった。
朝から動きまわっていたので、すこし小腹が減って、ときどきいく同じ階にある寿司屋に
いくと、入口に花などが飾ってあった。前の店が閉店して、新しいお店になったらしい。
「すし・てんぷら・ラーメン」・・・まるでひと昔前のロスのリトル東京にあるような
メニューを見て、(きびす)をかえして、「いきなりステーキ」に入り、200gの赤身のステーキを食べた。
ストイックな映画を観る前にしては、あまり適切でない昼ごはんだなあ、と映画の途中も、
映画館をでた後も、消化不良の胃といっしょに反省した。
この映画は、人それぞれが、それぞれの感動や感慨を描くような余韻に浸れる。やはり「禅」の世界。
最後のシーンのニーナシモンの歌にはしびれた。超一流の歌手には、「人にはだせない音」を発する。
その音楽にあわせて、融通無碍に喜怒哀楽の顔を奏でる役所広司という俳優さんは、俳優にはできない顔を
していた。
ぼやぼやしていると、ドイツやヨーロッパの人のほうが、禅やお茶の文化に造詣が深くなっているように思う。
ひょっとしたら、昔から?
ドイツの文学者のカフカの「『ああ』、と鼠がいった。」にこんなくだりがある。まるで「悟りの瞬間」だ。
「ああ」、と鼠がいった、「世界は日ごとに狭くなっていく。はじめはだだっ広くて不安だった。ぼくは先へ先へ
とかけ続け、そしてようやく彼方の右と左に壁が見えて嬉しかった。ところが、こんどは、この長い壁は見る見る合わさってきて、
僕はもうどん詰まりの部屋にいて、しかもあそこの隅には罠がしかけていて、そこにぼくが駆け込んでゆくというわけだ。
「お前はただ走る方向を変えさえすればいいんだよ」、と猫は言い、鼠を食べてしまった。
「バカの壁」を含めて、人もいくつかの自分でつくった壁の中で右往左往する動物である。
「こだわり」とか「壁」を突破ったら、新しい自分を発見できる。感謝。