おこげごはんで、吉野家風豚丼

昨日は、玉子かけごはんの日。
能登の珪藻土竈(かまど)で、羽釜で炊くと、「おこげ」ができる。
この「おこげ」の美味さは筆舌を超越した世界にある。

昨日の夕食は、そのおこげごはんで、「吉野家風豚丼」をつくった。
黒豚のばら肉が、近くのオリンピックに売っていたので、それに玉ねぎをスライスし、
生姜をすり、ニンニクをスライスして、「かえし」(醤油・みりん・さとうでゆっくり煮てつくる)を
いれ、酒を少し加えて、できたら料理する30分くらい前に漬け込む。

30分たったら、フライパンに油をひき、中火で一気呵成に漬け込んだ材料をいれ、
豚肉の赤みが消えたらできあがり。丼におこげごはんを盛り、肉たちもその上にもりもりにする。
しるだく、肉だく、ごはんも大盛の極上の「吉野家超え豚丼」ができあがる。
紅ショウガをのでると、吉野家レベルにもどるので、妙高高原の道の駅で調達した「キムチ」
をのせて、ほおばる。横においた酒の存在をわすれるくらい、一気呵成に完食した。

普段の夕食は炭水化物をとらないようにしている。お米を材料にしたお酒は飲むばってん・・・
食事が終わると、酒を飲みながら、眠くなるまで本を読む。
昨日は、「神との対話」を読む。ちょうど世紀が変わるころ世界的に大ヒットした本だ。
なんとなく、読み返してみたくなった。
こんな「神の声」が書いてあった。自分でそのころ赤鉛筆で線を引いてある。20有余年たったけど、
力強く紙がへこむくらいの力で記(しる)している。そのころ「神」をそんな風に感じていたのだろう。

「世界が今の状態にあるのは、ほかの在り方ができず、まだ物質的に素朴な領域にあるからだ。
地震やハリケーン、洪水、竜巻など、あなたがたが天災と呼ぶものは、一方の極から対極への要素の移動にほかならない。
生死の移動はすべて、この移動の一部である。それが生命のリズムであり、素朴な領域にあるものはすべて、このリズムに従う。
生命はそれ自体がリズムだからだ。それは波であり波動(この『波動』に赤丸を自分で記してある)であり、『存在のすべて』
の鼓動だ・・・・(略)・・・外へ向かってではなく、内に向かって、『この災害を前に、いま自分は何を体験したいのだろう?自分の
どの部分を引き出したいのか』と問いかけなさい。人生のすべては、あなた自身の創造の道具なのだからだから。そして
、出来事のすべては、自分は何ものなのかを決定し、その自分になる機会を与えるために存在しているのだから。これが
すべての魂にとっての真実だ。宇宙には創造者がいるだけで、被害者はいない。この地球上に現れた『魂の大いなる師』はすべて、
そのことを知っていた・・・そしてできるだけ早く真実の自分を思い出すために、状況と循環を創造しつづける。
『今ここ』と呼ばれる一瞬一瞬に。」 天恩感謝!

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