一滴一滴・・・を「今ここ」を大切に生きようね。

先日の中西、おかまのMくんとのつながりは、16年前、
つまり天真庵を改装している時にさかのぼる。ある意味「くされ縁」だ。

ある日、おかまのM君が改装現場にやってきた。「山口にいるお花の先生が、東京で稽古場を
探しているので、天真庵を紹介したんだけど、どうかしら」という。
中西くんと相談して、壁にベンガラ色の和紙を張り、ガラスで置き床をつくる、ということにして
お花の稽古場風に仕上げた。

お世話役の武内さんが、天真庵が始まった2007年の春にきてくれて、原田先生の「お花の会」
が始まった。先生が召されるまで6年近くお花を教えていただいた。N郷のYさん、ピアノの赤松林太郎、吉若さん(BCN専務)
玉名創成館の橋本館長、有名な料理人や、旅館のスタッフ・・・各界で活躍する多士済々の人が集まって、花を生けた。
お世話役の武内さんも、まだ五十路の花道を闊歩中だったけど、クリスマスの日に昇華された。彼女も花ある人生やった。

武内さんは、編集の仕事をしていた関係もあり、花の会報誌を「一雫(ひとしずく)の会」と命名し、自身で取材・編集に尽力された。
その会のメンバーは、ぼくたち「弟子」とともに、福岡や山口、東京の「文人」のような人たちも名を連ねた。
福岡の「珈琲美美」の森光宗男さんの名前もあった。珈琲業界のレジェンドだった。韓国でドリップ珈琲の指導
にいった帰りの空港で帰らぬ人となる。奇しくも彼の師匠の標(しめぎ)さんと同じ享年67歳。
IT時代に、福岡の大名に提携先があり、そこにいく前は、歩いて「美美さん」にいって珈琲を飲んだ。
最初にいった時は、閉店まじかで、奥さんがネルドリップのネルを縫っておられ、森光さんは焙煎の準備みたいで、
生豆を洗っておられた。厨房の壁には、「滴一滴」と揮毫された扁額。まさに彼の珈琲人生の座右の銘。

今年も天真庵の玄関先に「ほととぎす」が、咲いた。武内さんの家があった吉祥寺の庭にあった花が根付いた。
毎年紫色の花を開いて楽しませてくれる。それを、渡り(中国からきた骨董)の煎茶椀に投げ入れ、
カウンターの上の鉄製の馬具にのせた。夕方珈琲を飲みにきた「お世話しあうはうす」の女将さんが
「このほととぎす、どこから飛んできたの?」と問う。「天国からです」と答えると、「マスターは、
まるで珍品堂主人ね」といって笑った。珍品堂主人とは、井伏鱒二が、秦秀雄さん(
魯山人とともに星岡茶寮を経営していた人)
をモデルに書いた小説だ。「珈琲美美」という屋号も、その秦さんが命名親なのである。
人生はつかの間の「一滴」みたいなもんだ。

そういえば、建築家の白井晟一さんの自宅も「滴々居」といった。その後に建てた江古田の「虚白庵」
の前の自宅。天真庵の柱時計は、そこで使われていた古時計だ。「生」と白井さんが揮毫した額も
今も生きている。感謝。

今日明日は12時から16時まで営業。
その後は「そば打ち教室」「UFO焙煎塾」

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