政治家のパーティーで飲む水割りいっぱい2万円。

ジャズの「大石学トリオ」で、ドラムをやっていたセシル・モンロー
が、隣の隣に住んでいた。過去形なのは、10年ちょっと前の夏に、千葉の海で
亡くなった。なくなる一週間前に「墨田ジャズフェス」があり、その休憩時間に
天真庵のカウンターに、大石さんとセシルが座って、「クロキリのロック」を二杯づつ飲んだ。
そして本番にもどる時、セシルが「ここ、押上はブルックリンみたいにきっとなるね。大石学をよろしくね」
と言って笑った。それが最後だった。あとから考えると、予言めいて、遺言みたいなひとことやった。

先月の月末3日前、少しアーティスティックな青年がカウンターに座った。
20年くらいブルックリンで「革細工」の仕事をしていたらしい。亀戸に住む母親が年老いたこともあり、日本に
もどってきて、この界隈でアトリエを探している、という話だった。
「押上もブルックリンみたいになってきましたね」とセシルみたいなことをいった。

ニューヨークのソーホーで、南條さんの「寒山拾得」の個展を2000年にやった。その縁で、しばらく毎年の
ようにニューヨークにいった。「日米陶芸コンテスト」のお手伝いをするようになり、久保さんの作品を
向こうのギャラリーで展示するようなことも何度かやった。そのころのソーホーは、貧乏なアーティストたちが、住まい兼アトリエを
DIYでつくり、作品を展示するような機運がまだ残っていて活気があったけど、その地域の家賃が高騰するようになり、少し大きな資本で
ギャラリーとかレストラン、カフェなどができるようになり、若い貧乏なアーティストたちには住めなくなって、家賃の安い
ブルックリンに移り住むようなトレンドだった。日本の「谷根千」というわれる地区もそんな傾向にあるし、清住白河
界隈も、アメリカのなんやらいうカフェができたりして、「カフェの聖地」なんて呼ばれるようになった
けど、どんどん家賃が上がっていて、両国とか、その果てに「押上」に多くのお店ができるようになってきた。

そんな意味では、押上は「ブルックリン」?

話は変わって、最近政治家の資金集めのパーティーが問題になっている。ぼくも若いころ、ITの業界団体の理事長、という
危うげな看板を10年背負っていて、よく「政治家のパーティー」にいった。四半世紀も前の話だけど、
そのころも会費は2万円だった。せこい話だけど、300人集まる場(だいたいが港区のホテル)に、立食の「すし」とか「そば」とか、オードブルが並んでいたけど、100人ぶんあればいいとこだ。入口にビール、水割り、ソフトドリンクが用意されていて、
ぼくはいつも「水割り」を頼んだ。お歴々が、美辞麗句を並べ、天下国家の話をする。それに引き換えの「おもてなしの原価」
というか、料理はわびしすぎた。だいたい一般的に、年をとると、体力も食欲も減退するもんだが、
演説が終わったあと、「すし」のブースで年寄の「財界」や「政界」の人たちは、普段から「人を喰ってる」
ような妖怪みたいな連中なので、動物園?みたなパーティー景色を2万円入場券で楽しませてもらった。
コロナの後、今は食べ物のブースもださず、「鳥の唐揚げ」だけが相場で「2万円で原価1000円」
と新聞にかいてあった。もっと進化している(笑)

なにがいいたいか・・「やらずぼったくり」というか、「濡れてに粟」みたいな錬金で金を集め、使う金は領収書(ときには、空の領収書)
みたいな毎日をおくっている連中に、今の国民が、衣食住にどれほど苦しんでいるということなど、わかるはずがない。

ここ押上も、家賃が高騰している。原価が1000円で2万円になるような商才?
がないと、生き延びていけないかもなんばん。でもその前に、こんな貧相な政治家しかいない国が存続するのかね~?

昨日、そのブルックリンの青年がきて、「押上にきまりました」とのこと。
不思議な縁だけど、香取神社の裏で宝石をやっていたマー君が、那須に引っ越し準備中で、
その「あとがま」に、ブルックリンくん(また勝手にあだ名をつけようとしている)にきまったみたい。
ちょっと、おせっかいな手伝いをしたら、そんなことになった。ブルックルリンと押上に共通の地縛霊がいたのか、無駄のない縁
で、また新しいドラマが始まるかもなんばん。

今日明日は12時から16時まで営業。それから「UFO焙煎塾」&「そば打ち教室」