能登の霊水 いっぱい500円

いっぱい(たくさん)500円だと、あまり驚かない?
一杯500円だと、「え?銀座のカフェ?」という感じ?
一滴500円だと、「え?自民党がずぶずぶにおぼれた宗教?」という感じかな。

能登の家から、東京に向かう道すがらに「藤瀬霊水公園」とうのがある。
いくと、「駐車場代」(というより、お水の管理費。天与の霊水を守るのに、
地元と人たちが、年中草取りとか、掃除をしている。)500円。東京に住んでいると、蛇口を
ひねると、いくらでも「東京水」がでてくるし、小便する時も、一回何リットルの水を流しても、
ちゃんと東京都か浄水してくれて(飲み水の塩素や薬品の基準が、年年歳歳甘くなってきてるのが気になるけど・・)
、トイレから台所まで「おいしい東京水」が供給される仕組みになっている。

霊水の汲み場には、龍神さんの口が三つあって、だれもいないときは、3つ使える。
いつも70L汲んでくるので、3つ空いていると、15分もすれば、車にタンクを積んで、
併設した農産物の直売所で、季節の山菜やキノコや、野菜を調達して帰る。
人が他にいると、「ひとり一口」の譲り合い日本人のDNAを発揮して、上手に、そして見知らぬ
お隣さんに「どこからきんしゃったと?」(これは九州弁だ)とか「お茶やごはんの時にこの水で炊くと
おいしいですよね」とか「そのまま家族で飲んでます」とか、一見なごやかな日本人の日常が見え隠れする。

昨日は天気予報が「明日は大荒れ」と告げた。だから、本来の「人間の性」を見た。
6年くらいこの霊水を汲んで、お店の「そば」「珈琲」「お茶」「そば汁」などに使っているけど、
昨日は、そんなわけで、5台くらいはおける駐車場が満席という初体験。で、しかも、ひとり(だいたい、ふたりで一組)
が、100Lから150Lくらいの、タンクや大五郎みたいな焼酎の器、ペットボトルを
用意しながら、汲んでいた。汲み場には、「混雑する時は、タンク5個。ペットボトル20個
くらいで、ほかのお客さんに譲ってください」と看板があった。誰も「譲らない」から、こんな看板があることを知る、も初体験。
「みんなで渡れば怖くない」式に、先客たちは、悠々と霊水でタンクやペットボトルを濯ぎ、「今日は混んでるね。
はようきてよかった」と涼しい顔して、後ろに並ぶ4組(ぼくもいれて)のイライラなど、どこ吹く風だ。

筆子さんは、ぼくより短気だけど、ぼくがイライラし始めると、「行動」にでることを知っているので、
「せっかくだから、あたりを散歩してきたら・・」なんて、無理くり優しい顔しててすましている。
ぼくは爆発寸前なので、深呼吸しながら山紫水明の水の郷をしばらく散歩して、もどったら、筆子さんが、
「まったく、今の日本人の縮図を見るようね。終わりのはじまり、みたい」と先客に聞こえるような声をだして怒っていた(笑)

そこでこんどは「野菜を調達して、散歩してきたら・・」と言って交代した。
けっきょく水汲みに2時間かかった。東京などに大地震がきたら、水や食料やトイレは
どうなるんやろう?などと心配になった。阿鼻叫喚・・・そんな言葉ではすまされない地獄だろうね。
でなんとか「霊水」といっしょに、江戸までの珍道中。「佐久」あたりで交通事故があったので、先月と
同じく、新潟経由で江戸へ参った。♪人生いろいろ・・の嶋倉千代子だ。

右へいこうか左にしようか?とか、迷ったり、いばらの道が続いたり、
「のぼり坂」と「下り坂」と「まさかの坂」があったりするのが、人生。
「のぼり坂」と「くだり坂」は、その時がんばれば、誰でも何とか過ごすことができる。
「まさかの坂」(たぶん、これから、いっぱい遭遇する)は、普段のこころ使いや、人間性
が試される坂らしい。水汲み場や、ATMとかで、イライラするのは、「まさかの坂」を
超えられるか、否かの「訓練の場」なのかもなんばん。
いい意味でも、悪い意味でも、日本は、今や、後進国であり発展途上国だと思う、今日このごろ。感謝。

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