今年は、UFO焙煎機がよくでた。自宅で「自分用の豆を焙煎」という次の時代の「プチ贅沢」
に挑戦する人が増えてうれしい。
家で自分で淹れる珈琲が一番うまい、というのは幸せなことだ。
ふろくとして、自作の「和っち珈琲」という、水出し珈琲の器具
もよく売れた。夏が暑かったせいもあると思う。この器具は、骨董屋から
お茶道具を仕入れ、それを自分で改造する。何個か注残もあるのだけど、
季節が変わったし、茶道具を探したり、中に入っている茶道具を整理したりの、
残務も残るので、ちょっと来年の夏まで「おやすみ」かな~?。
そんなタイミングで、久保さんから「織部」の新作の皿が届いた。
そばを盛っても、ガレットをのせても、新緑のさわやかさみたいな空気になって素敵だ。
天真庵のチーズケーキは、久保さんの「織部の葉皿」にのせて供している。
砂糖のかわりに、能登の「こめ飴」を使ってつくるので、甘さが控えめで、
「ほぼブラジル」とあうようにしているつもり。(何事も評価は、飲む側・食べる側にあればいい)
新しい織部は、「あんこがれっと」に合うような気がしている。(これも、こちらが勝手に思っているだけ・笑)
先月、新潟の燕にいって、新しい道具を買い、久保さんちに一個おくり、能登の家で
も一個もってきて、いろいろ「新作」を考えている。あんこも、試作品も
「うまい」と思ったら、半分以上が、自分のおなかの中に消える。
そんな時は、「これが芸術だ」と嘯きながら、悦に入っている。食べ物・飲物はそれでいいのだ~。消えていくのがすがすがしい!
東海地方は「あんこの聖地」である。伊勢神宮の「赤福餅」を筆頭に、お伊勢周りの
体力をつける旅に、街道の茶店などで「ぜんざい」とか「しるこ」とか「おはぎ」が供された。
最近はスポーツに科学が寄り添い、ボクサーやアスリートたちは、「あんこ」を日常に食べてはじめた。
名古屋から上京して、どこの街でも見かける「コメダ珈琲」も、名古屋式のモーニング価格(珈琲代で、トーストや玉子がつく)
が受けているというより、「あんこのトースト」つまり、「餡」が決め手になっているように思う。
もともと、東海地方の「精神的文化度」をささえているのは、尾張徳川家からつながる武家文化で、「尾張名古屋は城でもつ」
の中心にいる武家たちが「茶の湯」を好んだ、ことに由来する。「織部」も戦国武将武将の古田織部を祖に
する焼き物だが、美濃でうまれた「黄瀬戸」と「志野」を加えた「桃山陶の三羽烏」は、そんな時代の要請だ。京都の茶人がその後、好んで
これらの焼き物を使って一世を風靡したけど、根ずいているのは、名古屋界隈ではなかろうか?とくに外国人に占領されるようになった昨今
は、「え、ほんまにこれが京都」と目を疑うようなことが多い。喫茶の文化もしかり、だ。
ぼくが習った「織田流煎茶道」は、織田信長の弟で、やはり戦国武将だった織田有楽を祖と仰ぐ。彼は煎茶とお抹茶を
嗜み、「有楽流」という千家の流れをくむ茶道をこの地でおこしたことも、「餡文化」の源流にあるように思う。
喫茶店やカフェでも「あんバタートースト」や「小倉トースト」が流行っているけど、どうぞ「織部」か、「志野」「黄瀬戸」
を一度使ってくだされ。似て非なる「異次元の味わい」を堪能できることを請け合いです。できたら、ネットではなく、
縁ある作家のものを買うと、「ひとの縁」が広がるよ。
昨日から能登は冬らしく寒くなった。
朝から囲炉裏の炭をおこし(といっても、寝る前に灰をかぶせた残り炭をだすと、蘇る)、薬缶をのせ、
お湯が沸いたら、玉露をいれ、それを飲みながらこのブログを書いている。
朝ごはんがすんだら、炭を珪藻土七輪にうつし、珈琲豆を焙煎した後、土鍋で「餡子」をつくろう思う。
餡子を炊く時の水はそばや珈琲に使う「藤瀬霊水」だ。「おいしい」の9割くらいを担当しながら、何もいわない、お金も請求しないのがすごい。老子の「無為」や「タオ」の世界。感謝。