ライドシェアってどうよ?

シェアハウス、カーシェアリング・・・世の中「シェア」が大流行りだ。
最近にわかに「ライドシェア」という言葉をよくきくようになった。
昔の白タク?一般のドライバーが自家用車を使って有料で人を運ぶことを「ライドシェア」
といい、法的に認める動きが加速している。世の中、人手不足が深刻で、タクシーの
運転手も例外ではないらしい。AIがどうだ、自動運転だ、EVだと威勢がいい割には、肝心の「人」
がいないらしい。どの業界にもいえる怪現象。

シェアハウスよりも「お世話しあうハウス」かもなんばん。

昨日の3時過ぎ、お店の前を、おぼつかない足取りで老夫婦が通りすぎていった。
25度以上の夏日だったので、玄関のところの扉を少しあけていた。
すると、そのドアのガラスに、老夫婦のその後の足取りが写るんです。
隣の隣の家の縁側に、ふたりで座っている。休憩?というより、いきだおれ?に近い。

筆子さんに「ちょっと話を聞いてあげて・・・」といって、声をかけてもらった。
「タクシーにのって、『T病院までお願いします』といってたら、一万円とられた上に、病院がわからず、
お店の前でおろされた」ということらしい。この界隈だったら誰でも知ってる病院だし、ナビはついているだろうし、
もしナビなしだとしても、道ゆく人に聞けば、ほぼみんなが答えてくれるだろうに・・・不可解で、不親切な運転手に
憤りを感じた。プロと認可された運転手にしてこの体たらく。これから「アマ」が参入するようになって「ライドシェア世界」になったら
一体どうなるのだろうか・・?

今日も16時まで営業。片づけが終わったら能登に帰る。
自動運転の技術がすすんで、カーナビに「能登」といれたら、寝ていても、酒を飲みながら宴会していても、
勝手に運んでくれるような世界を、車業界は目指しているらしい。それは「素敵?」
「便利」といえば便利だけど、そんな時代に「人」は、「人らしく」生きているのだろうか?
先月から、能登から東京までの道は、ナビに頼らず、「地図」を見ながら新潟経由で寄り道しながら東京にやってきた。
不便なところもあるけど、「新しい発見」や「出会い」があって、あらためて「旅」のすばらしさを満喫した。
今回も同じように、ナビに頼らず、松本経由で伊那谷までいって、22歳で旅立った友達の墓参りに
いく予定だ。「旅は哲」・・・人が生きているからこそだ。

人の行く 裏に道あり 花の山           感謝