一斗二升五合・・・秋はこの文字が懐かしい!

IT業界にいたころからの仲間で、今は深谷でネギなどをつくる農業法人をやっているM社長からメール。
ネギもブロッコリーも大根も不作、だとのこと。さすがの暑さに、人間も不作、というかだいぶへたった。
能登にもきてもらい、梅の収穫を手伝ってもらったり、畑をつくるにあたって、いろいろアドバイスももらった恩人でもある。
先月末に、能登の畑にねずみ大根(辛み大根)の種をまいたが、はたして元気に生育しているか?
自然によりそいながら生きる、というのは、言葉でいうほどやさしくない。

水曜日に美人の書家(中国の古代文字)が、「川」と揮毫した額をもってきてくれた。
勢いのある墨で、3本の太い線、落款のような大きな丸い雫、木の葉のような小さな雫・・・
その絵を飾って、酒を飲みながら、「川」を眺めていたら、ゴウゴウと音をたてて、流れていく
気がしてきた(飲みすぎ、ということもあるかも)。水無川もあふれる川も、川だ。

麻布十番住まいの彼女が「下町で飲みたい」というので、キラキラ商店街をぶらぶら歩いていたら、おかまのMくん
とすれ違う。「めし食った?」ときくと、「まだだわよ。今起きたばかり・・」
とのことで、いっしょにおすすめの中華屋にいって紹興酒を飲んだ。古代文字の話で盛り上がった。
Mくんは、書家の書ではなく、禅林(ぼうさま)や、文人が書いた書の蒐集家でもあり、
多量の扁額や軸や、二万冊の書物で長屋の床が抜けそうになっていて、この夏に長野に古民家を買った。

もどって、あらためて「川」を眺めていたら、おかまのМ君の麻布高校の先輩の山口瞳さんの本にあった
「石は流れて木の葉が沈む」というエッセーを思い出し、メモ用紙に落書きして、「川」の額縁にテープで貼ってみた。

本来は沈むべき悪人が表面にでて大きな顔をしている。表面にでるべき良心のある人が沈んでいる。どうも、現代は
そうゆう時代であるようだ。・・・と2006年にでた「衣食足りて」に書いてある。
それから、また川の流れのように、紆余曲折を経て「令和」になったけど、ますます、そうゆう時代になってきたかもなんばん。
ますます、で思い出したけど、「一斗二升五合」という短冊のかかった大塚の「江戸一」で、一度だけ高橋義孝先生と山口瞳さん
が飲む姿を拝見したことがある。その短冊を書いたのは、天真庵で書の教室をやってくれたSさんだ。

*一斗(五升の倍・・・ご商売)二升(ますがふたつ・・・ますます)五合(一升の半分で半升(はんじょう)・・・繁盛)

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