朝おきて、お米を研ぎ、火起こしで炭をおこす。
お米に水を30分くらいつけておく。
その間にそばを打つ。
炭を珪藻土の竈にいれ、お米を羽釜にうつし、竈の上にのせ、
そこから♪はじめちょろちょろ なかぱっぱ 赤子泣いても蓋とるな
で、ゆげの匂いで「こげ臭」がでてきたら、羽釜をよけて、蒸らし。
言葉にすると、これだけ。そばもそうだけど、簡素なモノの中に、
その人でしかだせない味みたいなものがある。そしてホンモノはみな簡素だ。
でも、その節目節目を、ちゃんとキメないと、どうもうまくいかないみたい。
人生もそうだけど、節目節目がある。その節目ゆうのは、去就の判断を誤ると、悔いが残る。
不思議やけど、振り返ってみて、そう思うし、珈琲やそばも、そう。
だませない自分の世界がある。
それから、炭を小さい珪藻土七輪に移して、ガラガラいう手回しの焙煎機で焙煎。
だから、卵かけごはんとときは、お客さんに尻むけて、ガラガラと音たてながら、モクモクサロンみたいな
感じ。今年の夏は、猛暑の中で焙煎したので、Tシャツを日に二回もかえる日が続いた。
今一息ついて、パラダイス酵母を飲みながら、PCに向かっている。
昨日から10月。自然の少ない都会では、「衣替え」が唯一、季節の移ろいを感じる季語
みたいなものだけど、今年はまだその時期ではなさそうだ。
インボイスもさしたる議論もないまま始まった。いっぱい500円の珈琲とか、卵かけごはん、
そばで商いをしているので、ほとんど影響ないけど、どう考えても、「アホ」なシステムだと思う。