9月も後半になるのに、まだまだ暑い。能登も暑い。
毎朝釣りにいき、朝飯前に野良仕事をする。
今は畑にある二本の栗の木が毎日「食べて!」と実を落とすので、
イガをとって収穫。6年やっているので、玄人はだしレベル?今日は京都から「能登で始める三日坊主の珈琲塾」にきはる人ありで、
終わったら、栗ごはんでも食べようか、などと思っている。
あ、ウソ。昨日近くの海女さんがざざえをいっぱいもってきてくれたので、今日は「さざえ飯」。
さざえを生きたままボイルして、その茹でた汁、さざえ、きざみショウガ、醤油、酒をいれ、
土鍋で炊く。ゴハンというより、アテになるメシやね。
毎週土曜日は、「田舎の働き方改革」みたいに、みんな船はださない、海にもぐらない、釣りもしない日。
今日は8時半に、集会所に集まって、みんなで草むしり。税金がたっぷりあって、道の掃除とか、除草とか
を勝手にやってくれる東京とは勝手が違う。あくまで住んでいる人たちが、できることをみなでやる。
神社のまわりの草取りなども、定例的だ。「蚊や虫がいやだ」なんていってられない、のが共同社会の基本。
昨日のニュースで特集されていたけど、東京の分譲マンションで、相続を放棄された部屋か空になると、
そのマンションの人たちのお金で、片づけ、改装をしたりして、元の状態にもどす、のが、ならわしに
なっているとか・・・本来、将来にマンションの外壁とか、水まわりとかの改装をするために貯めているお金
を使うので、将来の「貯金」が少なくなったりしてるらしい。
そもそも「となりはなにをしている人」なのかがわからない匿名の街に住んでいて、その匿名の人の事情で
自分たちの未来が壊れていく、のは、なんとなしに不条理だ。でもこれからの「都会の老後」を象徴している。
「リノベカフェ」なんて言葉先行の流行りが横行しているけど、見知らぬ人の「リノベルーム?」のドネーション
みたいなことが日常茶飯になりそうな感じ。「都会」と「田舎」・・・一長一短あるな~ でも人間関係は時代と
ともにめんどくさくなってきた。
15日発売の「OZマガジン」は、押上の特集、らしい。
それを読んだ近所の美人の常連さま(55歳)から「知らない間に、素敵なカフェがいっぱいできた」とメールがきた。
「30代までの女子が読むような雑誌を読むなんて、まだ若いね~」と返事した。
能登では、一番近いカフェは、歩いて一時間ほどのところに先月できた「TOGISO」だ。
そんな不便なところだけど、京都から珈琲のお勉強にきはるおんながひとり、またうれしからずや。
昨日から「和っち珈琲」を使って、水出し珈琲をつくっている。焙煎はもちろんUFO。京都のカフェで
使ったら、うけると思うワ。千利休もびっくり。「和敬清寂」、人間関係の調和の難しさを、あの時代から
知っていた達人やな。さすがや!感謝。