延岡のマツエおばさんが旅立った。うちの母より少し年上だったから97歳。
母のお兄さんのお嫁さん。妹から電話があった。
「いつものように電報うっちゃらん?」とのこと。
親戚の訃報があると、なぜだかぼくが突然「電報屋さん」になるのが、ならわしになりつつある。
マツエおばさんの延岡弁は
NHKのアナウンサーよりも
女優さんの朗読よりも
うつくしくて やさしい言霊をもった日本語でした
でもあばさんの辞書には「よだきい」はなかった 感謝
というような内容をおくった。家族や親せきにとっては寂しいできごとではあるばってん、
93歳まで生きる、というのはめでたいことだと思う。
昨日は台風の影響で東京は朝から雨が降っていた。
「今日はお客さんはこんばい」と思っていたら、そばのお弟子様で6月にガンの手術をしたくん
がそばを手繰りにきた。肺を片方なくして、最初はそばを手繰る「音」が、こころなしか小さくなって
いたけど、今回はだいぶズズズがもどってきた。
先週の休みの日に、快気祝いを浅草でやる予定が、こちらのほうが体調をこわして断わりのメール
をおくったら、反対に「お身体大事にしてください」といたわられた。
能登から帰ってきた月末の水曜日に、リベンジすることにあいなった。彼はぼくより4つ下だけど、
還暦を過ぎたら、「またつぎのありやなしや」の約束が危うくなってくる。生かされている「今ここ」を感謝しながら
通っていかないとね・・・
どしゃぶりの中、近くの「お世話しあうはうす」の女将さんと、95歳のおばあちゃんがそばを手繰りにきた。
女将さんは福井出身、95歳のおばあちゃんは富山の糸魚川出身。
だから、ふたりとも夏は梅おろしそば(ぶっかけそば)を所望される。ぼくも越前そばの「ぶっかけ」が大好きで、
永平寺や恐竜博物館にいく時は、必ず越前のぶっかけそばを手繰ってからお詣りする。
95歳のおばあちゃんは耳が遠く、少し認知(でも、きこえないフリをしているようにも見える)ぎみに
なってきたけど、「ひとこと」と仕草がかわいらしくおもしろい。
昨日は、近くのかかりつけの病院にいって、お医者さんに、「あんたはやぶ医者だね!」
といったらしい。理由は「はやく、死んだ夫のところへいきたいと思っているのに、95歳まで生かされて・・」
それを聞いた医者は笑いながら「健康で長生きさせるのが、ぼくの仕事です」といって、いつものように
おばあちゃんをハグして帰したらしい。今流行りのシルバー川柳よりも、人間味あふれる話だ。
そばを手繰りおわると、いつものように片手をあげ、「ああ、生き返った。おいしかった」と、耳が聞こえない人が発する大声をだし、
十間橋通りを元気に闊歩していかれた。そばやは「ヤブ」と言われたら、老舗扱いされたみたいで、喜ぶかもなんばん。
ともあれ、いつも反対に元気をくれる95歳のおばあちゃん。感謝。