終戦記念日「建築は祈りである」「散歩は哲である」

今日は78年目の終戦記念日。
昭和20年に、広島と長崎に原爆が落ち、戦争が終わった。
でも、78年たった今も、たぶんそのころより殺傷能力の強い原爆が開発され、
一歩間違えば、核戦争になる危うい時代を迎えている。

昨日ラジオでZ世代の広島の女子大生が、原爆が落ちた地域の昔の白黒写真をAIを使って、
色を再現し、カラー写真にした、とニュースがあった。
生まれた時から、スマホやPCが身の回りにあったZ世代と、旧人類にあたるアナログ世代との「価値観の違い」
が、職場や家庭でいろいろ問題になっているけど、「いい面」「悪い面」・・やはりウラとオモテがある。
世界的な建築家・白井晟一さんに「原爆堂(建築パース)」がある。平和を希求する建築家の「祈り」が込められていて、
ときどき図面を眺めたりするけど、彼女たちのAI技術と上手に融合していけば、また新しい時代の「原爆堂」
ができる可能性を感じた。

「白井晟一 原爆堂」で検索してみるのも、終戦記念日のよき「縁」になるかもなんばん。

天真庵の建物も78年になる。昭和20年の3月10日の「東京大空襲」。「福田組」
という建築会社だった建物も金庫以外が灰になった。明治時代に新潟で産まれた社長の福田栄吉さん
が、焼け野原で銀座まで見えたという焼けのっぱらに、掘っ建て小屋みたいな社屋を再建した。
2006年の秋、当時池袋に住んでいたけど、押上の長屋にアトリエをつくった佐世保生まれの陶芸家の誘いで、
開店したばかりの「スパイスカフェ」でカレーを食べ、帰りに、割れたガラス窓を「ボス」
などの自動販売機で隠すように立っていた不思議な物件を発見。「ここでカフエをやったらどう?大家
を探しとくけん。わかったら電話するね」といわれ、半信半疑で「よろしくたのむばい」
みたいな、九州人同士のええかげんな口約束をしたら、つぎのひ「大家さんがわかったばい」
と電話があった(笑)。

友人であり、白井晟一さんの嫡男の「昱磨(いくま)さん」も興味津々で、なんどか改装中の現場にきてもらい、
よく年の4月1日に、押上天真庵が誕生。白井晟一さんが生前使っておられた「柱時計」「ランプ」
などを祝いにもらって、店に飾ってある。そういえば、原爆堂構想の後、同じく原爆を落とされた佐世保に、
「親和銀行」が立って、それが白井晟一さんの代表作のひとつになって、今でも建築家の卵たちが「聖地」
よろしく訪ねているようだ。やはり「平和を希求する祈り」を感じる建物。建築は、言葉であり、祈りでもある。

明日の「よじごじdays」(テレビ東京)では、天真庵ができるまでのそんな物語の一部が紹介されるのだと思う。

世界にデジタルで差をつけられて、政府も少しあせりぎみで「デジタル化」をおしすすめ、
「マイナンバーカード」では、勇足よろしく、内閣支持率まで危険な水域まで下落しているようだ。
Z世代も含め、われわれ旧人類世代も、振り子が降れる、とか、♪まわるまわるよ時代はまわる、
みたいに、ひょっとしたら「あなろぐの居場所」を求め始めているのかもなんばん。自然も、その一部である人間もアナログだ。

そんなことを思いながら、昨日は近くの郵便局(家から3キロちょい)まで、東京のカフエから注文の珈琲豆
を手提げ袋にいれてだしにいった。美人の局長さんが汗ビッショリになった姿を見て「えええ・・また歩いて
きたのですか?」といって、を労(ねぎら)ってくれた。往復で約2時間ほど歩く。いつも車ですれ違う地元の人たちに
「変人」扱いされている。別に秘儀ではないけど、靴の底(足があたるとこ)に元気シールを貼ると、元気に歩ける。匂いもつきにくい!
ぼくはただ歩いているのではない。散歩は「哲」でもあるのだ。そして建築は「祈り」である。感謝。