能登の「富来」(とぎ)というところに、「えにし」という葬儀場がある。
ちょうど東京にもどる日、そこでうちの集落のおばあちゃんの葬儀があった。
参加できなかったので、会場の前で車を止めて、「鎮魂」。
おばあちゃんの家は海の際にあり、3年くらい前まで、ぼくが辛み大根をつくっている畑の隣で、野菜と花をつくっていた。
5月にうちの畑に咲く「さつき」の花を、野良仕事の合間に見るのが、唯一無二の楽しみだったみたいで、あうたびに
「いつも楽しましていただきありがとう」とかいって、野菜や花をくれた。
今年のさつきは、咲く時(ひょっとしたら、散る時)を知っていて、いつもの年より満開だった。
今どきにしたら、少し若めの昇華だった。享年83歳。実は昨年末に、連れ合いのじいちゃんが召された。
仲が良かったので、早くじいちゃんとこへいきたかったんやね。そのじいちゃんは、晩年、毎朝、杖をつきながら海を見ていた。
ぼくが、そこを通ると「今日は何か釣れましたか?」と少年のような穏やかな顔で挨拶してくれた。
そのじいちゃん、名にしおう「もぐりの名人」で、金沢あたりの名店から注文がくるような「あわび採り」
の匠だったらしい。普通の息では、もぐれないような洞窟?みたいなところまで素潜りでいき、一期一会のやり取りを
していたらしい。ひとつごと、で人生をまっとうされた人には、共通の「達成感」というか悟りの境地みたいなおだやなな雰囲気
が顔にでてくる。今どきのITとか、ビットコインとかで自称「お金持ち」の連中にはない顔だ。
能登の家にあったある宗教家の本を東京にもってきた。ちょうど先月、おかまのMくんが貸してくれた本の著者
の師匠が、たまたまこの宗教家だった。ぼくは、25年くらい前に、福岡である経営コンサルタントと話をしていて、
その宗教家のことを知った。
本の中に、その宗教家のつくった詩がのってある。その当時は、ぼくもITという世界にどっぷりいたので、
この詩の意味がよくわからなかった。
「死を急ぐ」
空を飛ぶ鳥は 地上に倉をつくることをしない
地上の動物も その日の生活に満足している
明日の糧を求めて 相争うのは人間だけだ
鳥や動物はその日の糧で生き永らえている
人は明日の糧を求めて死を急ぐ
人間よ 眼をひらけ
今日明日は、「12時から16時まで営業」
それ以降は「そば打ち道場」「UFO焙煎塾」
月曜日は「卵かけごはん」(8-10) 味噌汁に「能登の風」が・・?