長屋の花火大会

落語に「長屋の花見」というのがある。
大家さんが貧乏長屋の人たちに「景気づけに上野に花見にいこう」
と、上野公園にでかける話。酒ではなく、お茶けをもっていって、お茶盛りする話の
顛末がおもしろい。とくに柳家小三治さんのがいい。YouTubeでも見られる。

昨日は、4年ぶりに墨田川花火大会が開催された。日中は猛暑だったけど、
うらぶれた十間橋通りにも、ざわざわした祭りの前のときめきみたいなものが感じられた。
墨田に天真庵を結んでからこっち、ずっとその日は「浴衣ライブ」をやっていたので、
昨日ははじめて、ゆっくりと花火を見る予定だった・・・・

7時から花火がはじまる予定だった。まだ明るい中、「これから」という時、天真庵のオープンエアーな
スペースの椅子に座り、久保さんの白いショットグラスのような酒器に、能登の地酒「亀泉」を注いで飲んで
いたら、界隈の人たちが集まってきた。実は、天真庵の前のアコレ横の路地からは、花火がよく見える。
界隈の人たちは、その隠れビュースポットを昔から知っているのだ。
手酌で飲んでいたら、近所のくまもんさん(熊本出身)が、「ひさしぶりの花火だな~」というので、
「ま、一杯どうぞ」と亀泉を一杯さしあげた。お茶けより、ものほんの酒は美味い。

すると、くまもんの奥様(このひともくまもん)が、キャンプ用の折り畳み椅子を5個、ビール、
加賀鳶(石川の地酒)などをもってこられた。足の悪いおばあちゃんたちが、「これはらくだ」
などといいながら、椅子に座って見物。
すると、大家さんの家族も焼酎をもって花火見物にやってきた。ぼくよりふたつ下の大家さん。いつもは焼酎を飲んで
いるらしい。「たまには、ポンシュもよかよ」といって、むりくり、亀泉をごちそうした。中条きよしによく似たハンザムなおっさん。

するとこんどは、近くのスナック「こころ」のママが、新潟の八海山をぶらさげてやってきた。「さっき、ごちそうになったお礼。
みんなで飲んで」とのこと。さすがに、この界隈は下町人情にあふれたところだ。
大家さんは、「こころ」の常連なので、「じゃ、こころにいって、中条きよしの「うそ」を歌ってくれない」
といったら、素面になって「ぼく歌はダメなんです」という。しかたないので、自分で♪折れたタバコのすいがらで・・・
と歌った。すっかり、花火など無視して、宴会モード。7時から一時間半の間に、2万発の花火があがったらしいけど、
三つ四つみただけで、あとは酒を飲んでいた。でもなんだか、忘れがたい思い出ができた。

今日も12時から16時まで営業。それから「そば打ち教室」「UFO焙煎塾」
来週は銀座で「浴衣祭り」みたいなイベントがあって、銀座の隕石屋の王子が、そこで珈琲をだすらしい。
「ほぼぶらじる」の注文が8kきたので、明日の朝の「卵かけごはん」は、もくもくサロンに
なっているかもなんばん。隕石屋がそばやに珈琲豆を依頼する。これも摩訶不思議な話だ。
銀座の松屋の裏手に「隕石直売所」の看板を見つけたら、珈琲を飲んでみてほしい。
エスプレッソマシンで供される珈琲は、新しい「銀ブラ」(銀座でほぼブラジル)になりつつあるのだ。感謝。

隅田川花火大会

今日は4年ぶりに「墨田川花火大会」が開催される。
コロナの前は、「浴衣でライブ」を5時くらいからやり、花火の音が
聞こえてきたらお開きにして、三々五々で各自が界隈の花火見スポットにいって、
花火を楽しむ、というイベントを10年以上続けた。
浴衣がきれない子には、ワンコインで筆子さんが着付けをした。今は昔になった。
べつに前夜祭ではないばってん、昨日は花膳「そばやの昼酒セット」の人が多く、華やいだ。

その中に、昔の酒飲み仲間Aくん。5年近くぶりの再会。相変わらず、くまもんみたいな熊本訛。
Aくんは、小平で会社を23年やっている。40過ぎからのスタートだったので、少し心配したけど、
会社も本人も立派に成長した。ぼくより一つ下で、あと二年で引退するそうだ。
今朝の新聞に、日本人の男の寿命が、81歳に下がったとの記事。残りの10年を「林住期」という
黄金期にするためには、70前で引退し、好きなことをする、という選択が必要だ。
老後に2000万必要だとか、年金が云々・・・とか、強迫観念じみた洗脳があとをたたないばってん、
とりあえず必要の最重要課題は「健康」である。「健康」があれば、あとはなんとかなる。

一に健康 二に健康、三四がなくて、五に遊び(趣味)

Aくんと出会って30年以上になる。ぼくは池袋で2つの会社をやりながら、人形町のIT企業の
「雇われ社長」もやっていた。彼は保険のセールスマンでその会社に飛び込み営業。九州出身のぼくにあわせて、のべつ幕無しの熊本弁で
「やまんごと」話かけるので、「ちょっと気をつかいすぎとるけん、標準語でよかよ」といったら、
「なまってますか?ぼくは標準語のつもりなんですけど」といって真顔だ。
体よく保険を断って、エレベータまで見送り、Aが頭を下げ、「またきてもよかですか?」というので、
「よかよ」と答えて、ドアが閉まった。数秒後にそのドアが開いて、「これから飲みにいきませんか?」
と笑った。保険はともかく、酒は断るすべもなく、そのまんま人形町のおでんやで飲んだ。それからこっち、「江戸一」あたりで飲む関係が続く。その3年後、ねっと21という業界団体の理事長を
任された時、Aくんが多士済々の「くまもん」を紹介してくれて、団体の会員数が120社を超えた。凄腕の営業マンだった。

Aくんはそのころ「ひごもんず」という熊本県人会青年部の部長だった。その後、Hくんが西荻に「ひごもんず」
の名前を借りて、ラーメン屋を開いた。今は都内に二店舗の「ひごもんず」と、成蹊大学の前に、「台湾茶房 桃李」を
開いている。みんな「肥後もっこす」という部類に入る筋金入りのがんこもん。
でも、いつも軸足が「相手」のほうに向いているように思う。ぼくは、友達を選ぶとき、この軸足を
見るクセが昔からある。明治の大砲よろしく「自分」のほうに軸足が残る人が多い。そんなんを友達にすると、苦労する。

朋あり遠方より来る、また楽しからずや    の一日やった。感謝。

亀戸ホルモンで暑気払い

水曜日は、歯医者。
20年住んでいた上池袋に、20年通った歯医者がある。
押上に住み始めて16年になるけど、やっぱり、寿司屋とか
歯医者は、なじみのほうが何かといいので、通い続けている。すしやは「いわもと」(元日本チャンピオンでヨネクラボクシングジム
出身の岩本さんがやっている大山のすしや)
クリーニング屋のおばちゃんとか、散髪屋のオヤジさんたちと
すれ違うと「元気そうね」とか「テレビで見たよ」なんて声をかけられる。

歯医者の後は、池袋の「一栄」(ぼくの名前と逆で、高橋さんと同じ一茶庵で修行)でそばを手繰ったり、
ぶくろの散策をするのがならわしだけど、あまりに暑く、命にかかわるといけないので、古本屋で本を買って、
地下鉄にのって帰る。錦糸町で降りて、いつものように付近を徘徊散歩。
リュックの中には、能登の「藤瀬霊水」をペットボトルに入れてしのばせているけど、玉のような汗がふきでる。

京都時代は、暑い夏に、天下一品のラーメンを喰ってのりきっていた。錦糸町にもあるばってん、それではばてるけん、
亀戸まで歩いて、亀戸餃子の並びのホルモン屋(その界隈には、いっぱいホルモン屋がある)に入り、
ビールを注文し、おっぱいからはじめ、いろんな部位のホルモンを堪能した。
七輪を机の上において、炭火で自分で焼くスタイルで、サラリーマンから、元サラリーマンやら、若い女子
たちも多く、36度近い温度の中で、汗をかきかき、暑気払いをしている。
夏はこうでなくちゃ・・・

帰りは、押上までスキップ、とはいかないけど、散歩しながら帰る。
途中、Yという寿司屋あり。ときどきいくけど、そこの主人が無類の蕎麦好きで、週に一度は電話が
かかってくる。なんか、そんな予感がしたら、携帯がブルッた。
「明日やってますか?」と主人からだ。「水木は定休です」といったら、笑いながら「わかっているけど、そばが食べたい」
とのこと。引き返して、寿司をつまもうか?とも考えたが、おなかは、おっぱいとか食べたんで、いっぱい。

飲食店というのは、ほんとうは休んじゃいけない商売だと思う。
でも、コロナの時から、「自分のペースで、好きなようになろう」と決めたので、しばらくは、このペースで
いこうと思う。そばが打てなくなった時は、緞帳を下げる時。

昨日は、珈琲豆を4時間くらい焙煎。なんだか、お豆の注文が多くなってきた。
骨董屋からお茶道具が届いたので、「和っち珈琲」の道具を自作。
50gの豆を深煎りし、サイフォン用の細かさまで挽いて、500CCの水で水出し珈琲をつくる。
できあがりは、400CCちょっと。
ハンドドリップした珈琲を冷やして飲む、とは、似て非なる美味さ。玉露を飲むときと同じように、
体の細胞の隅々まで珈琲が染みる、という感じ。
炭で汚れた手を石鹸で洗う。この和的な珈琲が世界を席捲する日も近い?感謝。

冷や汁

最近、居酒屋のメニューなんかにも、冷や汁がよくでる。

もともとは、宮崎の郷土料理。
鯵とか魚の干物を焼き、冷えたごはんの上にのせ、キュウリや茗荷など
の夏野菜を刻んでのせ、そこに冷えた味噌汁をぶっかけて食べる。

いってもれば、焼き魚定食をひとつの丼に集約したようなもの。

月曜日の朝の「竈で炊いたごはん」があまれば、ときどき「冷や汁」
をつくる。電気釜で炊いたごはんとは、まったくベツモノ。
冷えてからもうまい、というのは、ごはんにかぎらず、珈琲でも
いえることだ。
おいしいごはんを炊ければ、卵かけごはん、おにぎり、冷や汁・・・鬼に金棒の食材である。

ごはんのかわりに、ソーメンで代用してもOK牧場。
「そば」で冷や汁をつくると、栄養学的にも理想のカタチになるそうだ。

もうしばらく、暑い日が続きそうだ。
暑い日にも、生きていられることに感謝したい。
この界隈は、老人が多いのと、緊急病院が通りになるので、救急車のサイレンを
聞かない日はないくらいだ。
暑い、寒い、痛い、苦しい・・・・生きている間だけ享受できるものだ。
みんな死ぬとは思ってないみたいだけど、100%死ぬ。
ガンや心筋梗塞や動脈瘤で死ぬのではない。「生まれてきたから死ぬ」のだ。それでいいのだ。感謝。

月曜の朝は卵かけごはん!

5月の珠洲の地震で、珪藻土七輪の老舗・丸和工業さんの社屋と前年の地震で
壊れてクラウドファンディングで新しくつくった窯が壊れた。
3年ほど前に、「だるま七輪」という珪藻土の竈(かまど)が倉庫に5個ほど
あった。形がすばらしいので、何に使うかきめてなかったけど、全部買わせてもろうた。
そのひとつが、「月曜の朝は卵かけごはん」で大活躍している。

珠洲の丸和工業さんにでかける日は、朝ごはんを抜いて、輪島の駅前(今は廃線)にある「喫茶 翁」
という喫茶店でモーニングを食べる。朝6時からやっていて、トースト目玉焼き、スクランブルエッグ、
3種類のモーニングが選べる。いつも、トーストとスクランブルエッグのセットを注文し、足らないときは、
エッグサンドを追加する。昔ながらの、にぬき卵をきちんとカットして、マヨネーズと塩で味付けしてあり、
「喫茶店のサンドイッチ」の模範生みたいなんで気にいっている。

輪島というと、「朝市」が有名だけど、いきなり朝市は無粋なので、ぜひ「達磨」でモーニングをゆっくり食べて
から朝市にいきたいものだ。夜の輪島の居酒屋のレベルも高いので、できたら前日から輪島に宿をとって、輪島ゴールデン梯子コースを
堪能してほしい。

だるま七輪から、話がころんで明後日のほうにいってしまった。「だるま」から「翁」を連想するのは、そばの師匠
のお店が、「翁」から「達磨」に改名された影響か?
今日も全国的に猛暑みたいだ。
♪だーるまさんが 転んだ・・・・と、遊んだ日々が懐かしい。

能登に泊まろう!

「能登」という季刊誌がある。
ある日、主幹のTさんが能登から、押上の天真庵までそばを手繰りにきてくれた。
能登に家を買って、バックナンバーで在庫がある本を、注文していたころの話。
その縁で、能登の家の近くの海岸で、能登珪藻土七輪で炭火焙煎を
していることなどが、雑誌で掲載され、今では能登の宿泊施設やカフェなどからも
「ホボブラジル」を使ってもらっているところが増えた。UFOという宇宙的なテクノロジーを掲載した
焙煎機も、かなり浸透してきた。

最新号は「能登に泊まろう!」。
表紙は茅葺(かやぶき)き屋根。熊本で農業を学んだ若いご夫婦が、能登にUターンして、
能登ごはん農場 暮らしの宿「じろぎみ」を開業した。
名前だけで、コンセプトがわかる。熊本時代に肥後藩の在来種「穂増(ほませ)」の復活に取り組み、
その経験をいかし、加賀藩で栽培されていた「巾着」(きんちゃく)の栽培をし、味噌や梅干しを自分でつくり、
竈(かまど)でごはんを炊き、みそ汁に地元のふぐや季節の食材をつかった実をいれ、泊まるお客さんをもてなしている。
「タイミングが合えば、梅干しや味噌つくりなど農家の季節の手仕事を一緒にしていただこうと思います。
竈でごはんを炊いたり、薪を割って五右衛門風呂を沸かしたり・・」という35歳の主人のコメント。

これから、田舎で宿などを計画している人には、いろいろヒントがいっぱい。ネットでも「能登」は買える
ので、ぜひ読んでほしい。なにをするにも「その土地や時代にふさわしいもの」と「お客さまと共に楽しめるもの」
「遊びという文化的精神力があること」がないと、長続きはしないみたい。古民家には「囲炉裏」と「竈」は、必需品やと思う。

いろんな形態の「能登の宿場」が紹介されていて、勉強になる。先週はその中のひとつ、赤崎の「TOGISO」の
オープニングで、一日店長をやらせてもろうた。(天真庵のHPの「のくら暮らし」に写真を掲載)
厨房の中で、なんやら頭をひねっている写真が一枚ある。主人のSくんの提案で、「このカフェ&宿」
の未来像を宿題にもらっていた。ぼくはAB型で、もとより型にはまりにくい性格からか、その瞬間、
ちゃねってしまって、新しい「和っち珈琲」の器具を考案した。来週くらいに一号機ができる(笑)

今日も16時まで。それから「そば打ち教室」と「UFO焙煎塾」。
明日の朝は、「卵かけごはん」(8-10)
竈をつかって、ごはんをだしている(笑)米も野菜もつくっている。もちろん手前味噌の味噌汁。梅干し、柚子胡椒、手打ちそば、
UFO自家焙煎・・・・・「農家民宿」ができそうだ!UFO、もといUSO(ウソ)!

あしたのジョー メモリアル2023

昨日は、後楽園ホールにボクシングの応援にいく。
「あしたのジョー メモリアル2023」というイベント。
後楽園ホールの入口のショールームにも、「あしたのジョー」
と、その日リングにあがる選手たちの写真を掲載したポスターが貼ってあった。

20代の若い女子に、「写真をいっしょに撮ってもいいですか?」
と声をかけられた。「え、ぼくと?・・・」と、思いながらいず前を整えていると、そのポスターを背景に自撮りポーズをはじめたので、
その意味がわかった。ぼくがポスターの前に立っていると、背後霊が写るんです、のオカルト写真に
なるので、邪魔だということだ。

昨日の4回ボーイの試合は、タンカーが二回もリングにあがるほど、すさまじいKO戦やった。
生年月日が2000年前後の若者たちが、生死をかけて裸で闘う過酷なスポーツ。
はじめて、後楽園ホールにきたのが、大学受験の時なので、半世紀近くボクシングを観戦し、
40代の10年は、ヨメクラボクシングジムにて、選手といっしょにボクシングをしていた(正確にはボクササイズ)
こともある。

第六試合は、一力ジムの斉藤司くんと、角海老ジムの中井龍くん。
斉藤選手は、新人王をとったり有望な選手だったが、移籍(ボクサーがジムをかわる時に、いろいろややこしい法律がある)
で裁判になり、7年のブランクがあいた。車いすの奥さんと、3人の子供を、コンビニでバイトしながら生計をたてていた。
そして、昨年の11月に7年ぶりにリングにあがった。ボクシング仲間の医院長が移籍前から応援していた関係で、
その復帰戦もリングサイドで応援。昨日は、残念ながら、TKOで、負けてしまった。
残念会を、ホールの二階の中華でやり、いつものように、医院長の運転するベンツの助手席にのって押上までおくってもらった。
いつもローリングストーンズが流れている。御年71歳の元気じいちゃん。試合前のオカルト写真事件の顛末を話すと、
「歳を重ねるというのは、いろんな未知の実験をやっているようなもんですね。」といって、大笑いされた。感謝。

和っち珈琲で夏をのりきろう!

昨日の朝、能登からもどってきた。
朝いちばんに肉屋さんにいき、「能登牛の牛筋」をゲット。
テレビで「能登の牛すじそば」が紹介されたので、暑い昼間でも、「花巻」といっしょに人気メニューになった。

その後、近くの「増穂(ますほ)の湯」に入る。
TOGISOからも近い町営の温泉施設。駐車場も広いので、キャンパー
や、キャンピングカーで旅する人たちにも人気がある。10時開店で、少しはやかったけど、
駐車場には、「田舎のベンツ?」の軽トラがいっぱい並んでいる。
10時まで待って、風呂にいくと、じいちゃんたちが着替えて(裸になって)いる。
年をとると、シャツを脱ぐにも、体のやわらかさ、とか、力がなくて、必死の形相で脱いでいるのが鏡ごしに写る。
しかも、洗面台のところの鏡の前の椅子に座って、脱いだシャツは、そのまま足元に。
パンツや靴下を脱ぐ時は、片足をあげなくてはいけないので、座ったままのほうが楽そうだ。
脱ぎ捨てたものを、ロッカーに入れるのもめんどくさそうに、そのまま藤(プラスティックか)の籠に
いれて浴室に・・・・・「いずれいく自分の道?」とは思いたくないけど、参考になった。
思わず、こちらもパンツ一丁で、スクワットを10回(笑)

そんなおぼつかないおじいちゃんたちも、朝いちばん伝馬船にのって海に
でかける時は、軍艦マーチが似合うくらい勇ましい。老後の元気さは「好きなことをしてるかどうか」で差がでる。
天命を知る、ということか。

今回は、梅茶ガールズが二組こられたので、久しぶりに「能登ぶらり」よろしく車でドライブしたので、
ガソリンが少なくなったので、氷見の安いガソリンスタンド(能登は半島なので、少しガソリンが高い)にいって給油し、
その近くの「すしのや」で、すしをつまんで高速にのった。車なので、酒は飲まないばってん、ふたりで4000円
でおつりがきた。滞在時間20分。「氷見三種」「朝どれ三種」「日替わり三種」・・・などを適当に注文して、
ノンアルコールビール片手に、もくもく、いやモグモグか?

道の駅新井(新井パーキングから歩いていける)で、野菜などを調達。季節によっては、山菜やキノコが手に入る。
秋は、キノコをたっぷりいれた「ほうとう投じそば」をつくろうと思って5年。
そして、5年間ずっとこの店の名を「ひなだん」と思っていたら、「ひだなん」だった。

今朝は、朝から仕込み。田舎で、草ぼうぼうの畑を見ると「どこからやろうか?」
と、途方にくれること、多し。
反対にこちらに帰ってきて、何もない冷蔵庫の中をのぞくと、「何から作ろうか?」
と途方にくれる。
どちらにしても、「ゼロをイチにする力」は大変なことだ。
今日はまた元気なお医者さんと後楽園ホールにボクシング観戦にいくので、これから
ボクサーみたいに、汗びっしょりになって、動かねば・・・

明日12時に開店。16時まで!それから「そば打ち教室」「UFO焙煎塾」

今回、また能登であることにちゃねった。蚊にさされながら、梅茶翁の田んぼで、久保さん
に電話。UFOを使って、だれでも、家で「水だし珈琲ができる」というすぐれもの。
まったく、世の中から「絶滅危惧種」いや、絶滅したにひとしい道具を使う。
水だし珈琲のことを「ダッチ珈琲」ともいう。さしずめこちらは、「和っち珈琲」だ。感謝。

輪島の門前で、鳥が一羽!「のむら暮らし」を更新!

昨日は輪島のカフェから注文があって、珈琲豆を届けた。
その足で、珠洲の丸和工業さんへ・・・
5月の地震で、新しい窯が崩壊し、昔の窯のあるところで、七輪をつくっている。
「ホンモノ」が、わかる人に伝わるスピードが加速する時代を迎えたみたいで、地震の
前よりも注文が多いみたいだ。震源地に近かったので、まわりの家も倒壊したり、屋根
がブルーシートに覆われた家も多いけど、すこしづつ日常がもどりつつある。
今でも毎日のように、体に感じる地震がある。これから「気が付いたら、時代の最先端」
になる場所なのかもなんばん。

いつもながら、スタッフも元気で、ちょうど昼休みだったので、ラジオからスピッツの
曲が流れていた。なんか、映画のワンシーンみたいだった。
そういえば、先日梅林ガールズたちと、輪島まわりの海を車でドライブした時、
若い女子が「こんなきれいな海を見ながら、聴きたい曲は?」と問うので、
「それは、ヨシイクゾーでしょ」と答えたら、車のオーディオから「雪国」が
流れてきた。スマホをいじって、選曲して飛ばしてくれたみたい。
昭和の歌が、新しいシステムを使って令和の今に流れている。太古から続く能登の荒海を背景に
♪おいかけて おいかけて おいかけて 雪国・・・

彼女たちが、今度くる晩秋には「加川良 下宿屋」をリクエストしよう、っと(笑)

夕陽が沈む能登外浦の景色は、極楽浄土を彷彿する。
畢竟帰処(ひっきょうきしょ)・・・・「ゆきつく処へゆきついたわたしの人生」
を教えるのが、仏教だ、というなら、こうゆう天地いっぱいの自然と共鳴した瞬間の
ことをいうのではなかろうか。能登の旅は悟りの旅?
ボタンをポンと押すと、空調や灯りが整い、テレビやラジオや、家電と瞬時につながり、「雪国」
が聞こえてくるような便利な時代。反対からいうと、「生きているからこその孤独」
みたいなものを感じる前に、上書きするシステムの中でぼくたちが生きている、ということでもある。
「生きているからこその孤独」を、ごまかしたらアカン。

同じ鳥でも飛ばない鳥はなんだ?
それは「ひとり」という鳥だ。(寺山修司)

天真庵のHPの「のむら暮らし」を一年ぶりに更新(笑)
先日のTOGISOの「オープニング店長」の写真が・・・

明日の朝東京に出発。22日の土曜日から「営業」

まだら唐津 輪島まだら、まだらぼけ・・・

酒飲みがあこがれる酒器に「備前の徳利に、まだら唐津のぐい飲み」
の組み合わせというのがある。最高峰だ。
そこに朱色の折敷(おしき)があれば、酒はなんでもうまく感じる。
最近、この「折敷」がしずかなブームらしい。
家呑みが増え、「毎日使う器を、一生ものに」という機運が高まっているみたい。これでいいのだ。

先日、梅林ガールズたちと、輪島の「黒島地区」を散策した。
北前船で栄えた人たちの豪邸が残っていて、公開されているものもある。
そこにいくと、お客さんを振舞った調度品などが残っている。今どきの「なりきん」
とは違っていて、家の建て方、庭の設え、漆や陶芸品なのも、品とみどころがいっぱいある。

輪島は、輪島塗が有名。ハレの日には「黒」、葬儀などの時は「赤」の酒器やお膳を使う。
反対に思っている人が多い。
そして、ハレの日には、「輪島まだら」という祝い唄を歌う。
北前船で、モノとヒトが、日本海で交差した。それが化学反応をおこし、文化がうまれた。

散策が終わり、最近できたカフェにいった。金土日限定で、知り合いの「そばもん」が
そばを振舞っている(11月まで)。
カフェのオーナは、東京からの移住者で、このカフェとゲストハウスを運営している。
黒島で、北前船が行き来していた時代にチャンネルをあわせ、珈琲を飲んでいると、
なんとなく「ゆたか」な気分になってくる。
「赤」崎で飲む珈琲、「黒」島で飲む珈琲・・・・ハレとケに関係なく、至福の珈琲時間になること請け合いである。感謝。