昨日も開店前から行列ができていた。猛暑なのにありがたいことだ。「所さん・・・」の影響はすごい。
所さんは偉大だ!おかげで、ぼくは体は、痛いだ。こんな日が続くと、遺体だ!
ときどき、下町散歩ついでに、そばを手繰りにくるじいちゃんがいる。「そばやの〇〇はこうでなくっちゃね」が口癖。
昨日も開店と同時にやってきた。「どうしたの?満席じゃない」と驚いていたので、
「昨日のテレビに・・・」と説明すると、「そばやは、テレビにでるくらいじゃないとね」
と笑って、いつもの文膳(昼酒セット)を所望された。お酒はおまかせ。
さっそく北九州の地酒「天心」の酒蔵・溝上酒造さんの「猿喰」をだした。
久保さんの備前の徳利にいれ、いつものように織部の六角盃で、キューと一献。
「この酒いけるね。そばやの酒はこうでなくちゃね」と叫ぶ。
「ここの創業者は、大分の中津から北九州まで馬車で酒を運んだ、という気骨の人なんです」と説明すると、
「酒屋の主人は、そのくらい根性がなくっちゃね」といって、赤ら顔になって笑った。
店内に流れるベニー・グッドマンのモーツァルト
を聞いて感動。「この店には、ぼくの琴線にふれるものばかりだ。そばやの設えは、こうでなくちゃね」
などとぶつぶついいながら、盃を重ねていく。実に気持ちのいい独酌。
そんな中、写真を撮ろうとしているお客さんに向かって、筆子さんが「店内は写真をお断りしてます」
と説明していると、「え、この店は写真はいけないの?いいね~ そばやは本来そうでなくちゃね」といって
ますます上機嫌になり、「もう一本」とメートルがあがる。
「猿喰」のラベルの裏の文章を紹介する。この説明文を3度読み、三本「猿喰」をおかわりした。
門司猿喰産酒造米
吟の里100%
特別純米酒 猿喰(さるはみ)1757
宝暦七年、飢饉に苦しむ民を救うため、大里村の庄屋・石原宗祐は庄屋を辞し、弟の柳井智達と共に猿喰湾の干拓に着手しました。
宗祐は現在の17億円に相当する私財を投じ、2年に及ぶ難工事の末に、約33ヘクタールの「猿喰新田」を干拓しました。さらに溜め池と「汐抜き穴」も造成し、着工から16年を経て、ようやく新田から米が獲れるようになりました。
以来門司では飢饉で死者を出さなかったと伝えられており、完成から二百数十年を経た今も、新田は豊かな実りに恵まれています。
宗祐翁の偉業を語り継ぎ、新田が継承発展される事を願って、かつて人々の命を救った田園で酒造米を育て、日本酒を醸しました。
こんな魂の籠った酒がまずいわけはない。
猿年生まれとしては、自分が喰われるような名前ではあるけど、しばらくは晩酌の友になりそうだ。感謝。