天心庵じゃないけど・・・

朝から元気に蕎麦を打った。
今、一息ついて、PCのスイッチを入れた。
天真庵のHPの本日の閲覧数が、2000人を超えている。たぶん「所さん・・・」
を見た人たちが、遊びにきてくれているのだろう。
しばらくは、混み合うと思うので、しばらくして、ゆっくりそばを食べにきてください。

というより、ぼくてきには、UFOで焙煎した少し深煎りの「ホボブラジル」を飲んでほしい。
自分で言うのもなんだけど、「これまで飲んできたアイスコーヒーは何だったんだろ?」
と感じると思う。感じない人は、未来がない?味蕾か(笑)

よく「天真庵」を「天心庵」と書く人がいる。最近ボクシングに転向した「天心」
というのも注目株。小さいころ、近くに酒屋があった。そこに「天心」の看板があった。
北九州八幡にある酒蔵。

「大きくなったら天心を飲みたいな」と、幼稚園のころから思っていた。
北九州の「春の町」という地名で、1902年に八幡製鉄所ができて、「東門」(とうもん、いうと吉原みたいね ひがしもん、です)
という工場の入口から近かった。溶鉱炉は24時間営業だったので、職工さんたちは
、甲乙丙(朝 昼 番)という呼び方で、働いていた。丙番の人の「仕事おわり」は、
おのずから朝になる。だから、当時の酒屋さんは朝からあけて、「角打ち」で、仕事を終えた
労働者の労をねぎらっていた。
酒屋だから、無論酒がうまい。つまみは、簡単なものだけど、肉体労働者たちの五臓六腑に染みわたった。
最近全国的に「角打ち」というのが流行っている。ただ立ってボーとのみながらボリボリするスタイルと、
本来のそれとは、似て非なる違い。「形だけ真似る」というスタイルはダサいよね。

「酒 天心」・・・と検索してみると、溝上酒造のHPがでる。

溝上酒造の創業は弘化元年(1844年)。
大分県中津市で産声を上げ、福岡県北九州市八幡に蔵を移してからも、脈々と
その歴史を紡いでまいりました。

つまり、製鉄所ができる前に、中津で産声をあげた。最初は中津(大分 福沢諭吉さんがオギャーしたとこ)
から、毎日馬車にのって、酒を売りにきていたらしい。製鉄所ができて、あまりに酒量がすごくなって、
馬も人もヒーヒーいって、皿倉山の麓に蔵を移したらしい。先見の明、というか、気を見るに敏な人の典型。

地図の「ZENRIN」も最初は大分の別府の観光地図をつくっていた。さすが地図をつくる会社やね。
世のなかの「道先もみえる」のだ。車のない時代から、まさかナビに地図が搭載されることを見ていたんだろうね。すごいね。
福岡いうたら、博多が人気があるばってん、ほんとうは北九州のほうがおもしろい、し、人がいい。

「TOTO」もZENRINと同じく北九州生まれ。最初は「東洋陶器」といっとたとよ。知っととー?
汲み取りの時代に、陶器で便器をつくっていくんじゃけん、やっぱすごいね。
等々、北九州から東洋どころか世界的な企業になった。

そして、門司から生まれた「出光」。
出光美術館には「仙厓和尚」の絵がいっぱいある。
創業者出光佐三さんは「海賊と呼ばれた男」の主人公。どの道も、海賊とよばれるくらい
の根性がないと、Oを1にすることは難しいよね。

昨日書いた「花と竜」もそうだけど、「無法松の一生」といい、ヤクザみたいな人
や海賊みたいな人をたくさん輩出する土地柄やね。
「老後に住みたい町」の筆頭みたいだけど、子育て世帯にもやさしい町だ。
先日お邪魔した「若松」も、「起業する人の説明会」みたいな案内が電信棒に貼ってあった。
我と思わん人は「花と竜」の映画をYouTubeで見て、一念発起しては如何?

今日は12時から16時まで営業。それから「そば打ち道場」「UFO焙煎塾」
明日も、おなじです。感謝。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です