ちょっと、漢字を間違えた。帰省中・・・
若いころは、仕事が終わって帰省する時、近くの薬局屋にいって「モカ」
という覚せい剤みいな眠気をおこさぬ薬を買って飲み、車を
ぶっとばして、九州まで一気呵成に走って帰省していた。東京北九州が1000㎞ちょっと。
時速120kで走れば、あっという間につく。
東京ではじめて買った車は、松崎くんの紹介の世田谷の中古車で買ったランサーの中古。
昭和58年くらいだったけど、50万円くらいやった。100kだすと、ハンドルがブルブル震えた。
中国自動車道が、片道通行で、下りと上りが、
赤い三角の帽子みたいなんで区切られたいた。今みたいにスマホ運転をする輩が多いと、事故だらけ
になりそうな高速道路。夏はエアコンが故障したまんまで、エアコンの口から白い煙みたいなんがでるだけで、
こちらも泡をふくくらい屁たっていた。
ギャラリーをやるようになってから、京都の作家さんや美術館に立ち寄ったり、三重の久保さんの窯に立ち寄ったり、
いろいろインプット型の寄り道をするようになり、放浪旅のような帰省になっていった。
九州から東京に戻るとき、高速道路の旅は無味乾燥なので、山口あたりで高速を降り、下道を走りながら
日本海側を旅しながら、東京にかえる、がならわしになった。北前船が行き来した海を眺めながらの旅を
していたら、何かに憑りつかれたのか、能登の小さな港の近くに、古民家を買い、東京と能登の
二股暮らし、そして年に二度は、能登から大阪にいき、そこからフェリーで北九州、というコースになった。
そして、今回・・・・
昨日の営業を終え、かたずけをして、横須賀港まで車を走らせ、11時半発の「門司港行き」フェリーで
船旅の途中。本来だと、今日の夜の9時に門司港に着く予定だった。
台風3号とすれ違ったので、夕べは大しけになり、大きなフェリーが、伝馬船のように揺れた。
そのおかげで、さきほど、三重県の南の海を通過し、3時間遅れで本日と明日の日付変更線をまたいだころ門司港に
着くらしい。映画館があったり、プラネタリウムがあったりするし、本をいっぱいもってきたので、退屈はしない。
普通の時でも、露天風呂で空と海をみながら湯につかっていると、波とエンジンの揺らぎが、体に伝わり、
倍音よろしく、宇宙からメッセージが届くような感覚になる。まだ今も波が強いので、このブログを書いたら、
ひとっ風呂浴びにいってみようと思っている。
北九州の小倉で生まれれ、高校卒業の昭和50年に新幹線が博多まで開通した。
東京まで受験に行くときは、スカイメイト?という安いチケットで飛行機でいった。
結局立命館にいくこととなり、小倉駅から新幹線にのって上洛。6年京都に住んで
、それから上京。67歳になる今年まで、人に使われることなく(というか、どこも雇ってくれなかった(笑)
、粗食ながらおまんまを食べてこれた。出会った人たちのおかげだ。
北九州は、「老後に住みたい」の一位の町。子育て世代にもやさしい町。昔から「ヤクザ」が多い町として、有名だったが、
ヤクザが住みたい町とは、堅気の人にも住みよい町。「鉄の町」として1902年より製鉄所の
城下町みたいなとこで、三交代勤務で溶鉱炉の火を消さずに、働き方改革をいち早く取り入れ、
朝仕事がおわる労働者に町の酒屋さんは、カウンターを解放し、酒をふるまう居場所をつくった。
それが「角打ち」の始まり。東京や全国に飛び火して「角打ち」と称しているものは、ただの「立ち飲み」。
「大人になったら、ぜひ角打ちに・・・」と、幼稚園のころから思っていて、小学校のころから、酒の練習を
はじめたばってん、まだ角打ちにいったことがない。今回は小倉のホテルに二泊するので、「角打ちの梯子」
をやる予定だ。
北九州発症のものが3つある。「やきうどん」「パンチパーマ」「競輪」
知られていないけど、「救急車が一番はやく着く町」でもある。パンチパーマの人たちがあばれて、
すぐにかけつけるノウハウがある、のかもなんばん。「ヤクザ」と「鉄」でにぎわったころにインフラ
を再構築でき、全盛期から人口は減って100万人を切ったけど、「住みやすさ」は、よりよくなったみたいだ。
皿倉山から見る夜景は、知る人ぞ知る絶景でもある。感謝。