お坊さんが、筆を使って丸く揮毫する。「円相」という。雑念想念をなくすときれいな〇になる、という?
江戸時代に仙厓和尚という奇僧が博多にいた。「海賊と呼ばれた男」
のモデル・出光佐三(出光石油創業者)が、仙厓の書を蒐集し、出光美術館をつくった。
その中に、円相の横に、「これ喰って茶飲め」という絵がある。
〇を饅頭にみたて、坊さんや茶人とくったっくして、形骸化した「茶の湯」を風刺したものだ。
座っているカエルが「座って仏になれるなら・・・」というのもある。座禅や読経にあけくれ
「形」にとらわれすぎる禅林を皮肉ったものだ。なにごとも「原理原則」にとらわれると窮屈だ。
皇居の近くの見晴らしのいいところに「出光美術館」がある。スカイツリーにくるよりもよっぽど
面白い。佐三翁が生前に「日本人にかえれ」などという本を著した。「日本人にかえれる場所」の美術館。
先日、近所の長屋の二階に住むフランス人から「煎茶を教えてほしい」とのお呼びがあった。
彼女はもうすぐ帰国する。その前に煎茶を習いたいとのこと。
煎茶の世界も、「点前」にとらわれすぎる傾向は変わらず、5年ほど前に教室の緞帳を下げ、
茶道具もすべて、処分したので、「無手勝手流でよければ」ということで、長屋の二階でお茶を喫することになった。
「茶葉はあるの?」と聞くと、「静岡の新茶をゲットしました」と返事があり「それだけでOK牧場」と返した。
お国の「エヴィアン?」(硬水)では、煎茶がまずくなるので、「能登の藤瀬霊水」をペットボトルにいれて持参した。
長屋の二階は、「茶室」にうってつけだ。昔の家には、「床の間」があるし、なければ箪笥でも置いて、その上の空間に
気に入った「絵」でも飾ればいい。「掛け花」などあればいいけど、なければ、「蹲」か・・・
なんにもなければ徳利か牛乳瓶に季節の花を投げ入れれば、そこは立派な「茶室」だ。
お邪魔すると、狭いながらもきれいに掃除され、ちゃぶ台と横に二人掛けのソファ。壁には、風景画の額。
ちゃぶ台の上には、お国のティファールの黒い湯沸かし器と赤い漆の茶櫃。茶櫃の中には、染付の煎茶椀2個。木の茶托2個。
常滑の急須。カバ細工の茶入れに、静岡の新茶が入ってある。現代の日本の家には、絶滅の憂き目になったようなモノが
揃っている。
「袱紗と扇子はもってきたけばってん、あなたが自分流でお茶をいれちゃってんない」と、九州なまりの片言英語で
いうと、さっそくティファールの湯沸かしで能登の霊水をわかし、急須や茶わんにいれ、茶巾で拭いた後、新茶を急須にいれ、
染付の茶わんに茶を注ぎ、茶托の上において、「どうぞ」とお辞儀してニッコリしてくれた。
お茶請けは、到来もののスコーン(友達からもらったらしい)。懐紙をだして、ひろげ、そのスコーンを
のせる。それを小さなソファーにふたり並んで喫した。不思議な煎茶の日仏版「けいことまなぶ」か?
彼女は禅にも興味があって、鈴木大拙や仙厓和尚も大好きだという。
彼女は日本語がまったくしゃべれず、こちらもフランス語もフランスワインの名前も、いまだに彼女の名前も憶えていない。
でもお茶や、禅の世界になると、言葉を超越して、わかりあえる。中国から渡来したお茶。もう一度、アジアといわず、アメリカ、
ヨーロッパの人と、胸襟を開いて「喫茶去」を興じる和が広がれば、「平和」という言葉もいらないくらい平和な星にもどれるのでは
ないかしらん。
「今日の授業料」といって、静岡の新茶を一袋いただいた。お返しに「懐紙」一束と久保さんの新作の志野皿を一皿。
「sino!」といって喜んでくれた。太宰なら「いっしょに死の~」といいそうな場面だ。
「国にかえったら、ギャレットでもつくって、この志野皿にのせて、茶を飲め」と日本語でいった。
ギャレットに反応して、「ありがとう」と満面の笑顔でお辞儀した。 フランスの北西にあるブルターニュ地方が発祥のガレット。
あちらでは「ギャレット」というのだと、昔フランスから帰国したピアノの赤松林太郎くんが教えてくれていた。
奇妙キテレツな煎茶の会だったけど、林太郎くんがよく弾いてくれたスカルラッティーよろしく、すがすがしい気分で十間橋通りを歩いてかえった。
今日は、すみだトリフォニーホールで、友達の愛理朱(アイリス)さんが、コンサートをやる。
林太郎君が12年くらい前にやった小ホール。彼女の声は、銀河の果てまで届きそうな
不思議な波動に満ちている。感謝。