天真庵には、「道」という白井晟一さんが揮毫した書を飾ってある。
もともとは、首がころがっている象形文字。人生という旅路で、人は100%死ぬ。病死や野垂れ死・・・
老衰やガンやコロナになったから死ぬのではない。生まれてきたから、みな死ぬのだ。それでいいのだ。
それぞれの道程が、これ人生。
昨日は旅好きなじいさんふたりがそれぞれカウンターにとまって「昼酒セット」で独酌。
ひとりは、能登へも年二回ペースで車でこられる。宿は天真庵のHPにもリンクしているけど、「湖月館」。
昔から文人墨客に愛された宿だ。白井さんの息子で、ぼくの友人でもあるIさんも、学生時代に泊まったらしい。
とてもいい宿で、ときどき、ぼくも泊まりにいく。大女将・女将と話をしていると、ついつい「ながっちり」
になりそうなくらい、時間をわすれてしまう宿だ。
車でどこでも旅する彼は、先月馬籠とか旧中仙道を車で旅したらしい。いつも旅には、ライカを道連れにして、
名もない里山の風景や古刹、風雪に耐えながら立っている路傍の石仏などを、写真に収める。「湖月館」の玄関にも彼の
写真集が置いてある。「寄る年波かな~ 今回は旧道を走っていて、車を石にぶつけた」とのこと。
最新のいい車は、障害物があると、勝手にピーピー警告してくれるけど、慣れっこになると、オオカミ少年みたいに
「またか」という気持ちでうっちゃっておいたら、ゴツンとなったらしい。旅はみな茨の道だ。
もうひとりのじいちゃんは、後期高齢者になったばかり。いつも下町界隈を散歩する途中に寄ってくれ、
そば前で一献、そば後にほぼぶらじるの「昼酒セット」(文膳という)をやる。
興に入ると「そばやの〇〇は、こうでなくっちゃ」を連呼される癖がある(笑)。昨日は3杯目のお酒を所望された時にだした
「新じゃがの肉じゃが」を食べながら、「新じゃがが、皮のまま入っているのがいいね。そばやの肉じゃがは、こうでなくちゃね」
と言って笑っていた。24日にベトナムの旅から帰ってきたばかりらしい。ベトナムといっても、サイゴンからジープにのって、2時間
くらいかかる少数民族の棲む寒村を旅したということだ。大学で哲学を学んだ彼は、インドや、アジアの寒村あたりを旅するのが
ライフワークになっておられる。「旅は哲」そのものの人生。
分け入っても分けいっても青い山 山頭火
いっしょのツアーに参加した89歳の四国の老人が、あまりにも元気なので、「後期高齢者というのを死語にした」
といってかかと笑った。その老人が「ぼくはせっかく生を受けたのだから、命もお金も使いきろうと思っている」
といったらしい。その翁の人生もまた道也。
最近、「女時」(めどき)」というか、女性の元気さばかりが目につく。でもまだまだ矍鑠(かくしゃく)としたモジ(モダンジーサン)
もいっぱいいらっしゃる。来月は久しぶりに、横須賀からフェリーにのって門司にいき、里帰りをする。
小生66歳。彼らに比べたら、鼻たれ小僧だ。モジモジしている場合じゃない。いろいんな意味で、この山頭火が染みる年ごろになった。
まっすぐな道でさびしい 山頭火
今日明日は16時まで。それから「そば打ち道場」「UFO焙煎道場」