昨日、能登の玄関に置いてあるマタリ(モカ)の麻袋が、
「ぼくを珠洲に連れてって」と言った(ように感じた)。
有無もなく、そのマタリを60g測り、能登珪藻土焙煎器UFOに入れ、
少し深めに焙煎。東京のお店では、それを水出し珈琲(ダッチ珈琲)に
して供す。能登の家には、水出し器具がないので、ハンドドリップを
何度かやって、冷蔵庫に入れて冷やし、ペットボトルに入れて、車で
珠洲に向かった。なんにもできないけど、ただ「頑張って」を届けに・・
そもそもUFOは、昨年の6月の珠洲の地震(震度6)で、珪藻土七輪の「丸和工業」
さんの崩壊した窯の片づけを手伝っているときに、ちゃねって、生まれたものだ。
ちょうど今日は5日の大地震から一週間たったけど、毎日体に感じる地震が多発している。火山がある場所では
ないのに、水の流体が活断層を刺激して起きる、とされている。この3年くらいは、珠洲だけが揺れていて、
ほかの地域は震度2以内でおさまっていたけど、今回は金沢や、お隣の富山県でも揺れた。
どうも震源地が北に移動していて、それがまた眠っていた活断層を刺激しているらしい。
毎月のようにお邪魔する「丸和工業」に一時間半くらい走って到着。新聞では見ていたけど、大きな木造の
社屋が傾いている。玄関のシャッターは、斜めになってグチャっとしていて、開けることができない。
また地面はひび割れていて、思わずひっかかかって、つまづきそうになった。
社長が、玄関先で無事だった七輪をコンポしながら、汗を流していた。
アイス珈琲と、UFOの売り上げの一部、陶芸家の久保さんからカンパしてもらったお金プラスして「お見舞い金」と印刷されたポチ袋に入れて、黙って手渡す。
傾いた社屋の中で、電話をかかている声がしたので、中に入ろうとすると「揺れたら、すぐにでないと危ないですよ」
と社長。手をあげて「OK牧場」といって中に入る。天井の梁が落ち、クラウドファンディングで集まったお金で再興した窯も壊れている。
昨年の地震の時は、写真を撮らせていただいたが、今回は茫然自失で、声もでない。でもまたここから、また新しいコトが始まるような気がした。
中で電話をしていた長老が「ま、こんな状態だけど、社員がみんな無事で、もうひとつの窯がある場所で
なんとか再興できるかもしれないというわずかな希望がもてるだけ、幸せです、とのこと。
「頑張ってください」と励ましにきたつもりが、昨年と同じように、反対に励まされる。
近くに住んでおられるので、「お家は大丈夫でしたか?」と問うと、
「もともと傾いていたんで、今回の地震で、まっすぐになった感じ」だと笑う(目には光るものが)・・・・すごすぎる!
こちらも目頭が熱くなる。
窯の中で、無事だった七輪をお守りかわりにひとつ買わせてもらって、「また来月きます」
といって、現地をあとにした。その後、道の駅「すずなり」にいって、岩のりと、能登のシイタケ、塩煎餅を買う。
ここも震源地に近いので、テレビで大きな揺れで棚の商品が氾濫する動画が流れた。
スタッフの人たちに、「来月これをつかったあるものがテレビに紹介される予定です」と番組名をこそっと伝える。
そして、大谷塩に・・・珠洲の揚げ浜式で塩を作っているところは、12時間ほど炭で塩水を炊く。そこで地震が
くると火事になるので、今は稼働していない。来月は梅干しつくりにそこの塩が必要だけど、これも自然におまかせするより
しかたない。なるようにしかならない。「頑張っていきましょう」とスタッフと握手。
珠洲の震源地に近い家は、瓦が落ちたり、波打ったり、家が傾いたり、ブルーシートがかかった家も多い。
日本列島、どこもかしこも、揺れている。大きな揺れの後には、「一週間以内に、同程度の地震がおきる可能性が多い」
と警鐘を鳴らしてくれるけど、地震の予知はいまだに、できていない。人間の知恵なんてそんなちっぽけなものだ。
こんな地震や活断層がいっぱいのところに、また原発をつくろうという意味を疑う。
アメリカの雑誌に「ミスター岸田は軍国主義にもどす」と揶揄されてもしかたがない。常軌を逸している。
今回の広島サミットは、広島にいく前に、「原爆の図丸木美術館」に世界のビップを連れていくのは如何?
もう少しまじめに考えないと、この星が滅びにいたるのでは?
帰り道で立ち寄ったお店から、珈琲豆の注文をいただいた。
禅の町、門前を通過した時、「一燈照隅」という声が聞こえた。
ひとりひとりは小さな灯りやけど、自分ができることを、それぞれの片隅で、一生懸命やるのがいい。感謝。