本来だと、昨日の営業が終わったら、能登へ出発だった。
またテレビの取材が入ったので、明日はテレビ局にいくことになった。
うちの珈琲(ほぼブラジル)が、能登の珪藻土七輪を使って炭火で焙煎したり、
そばも「能登の牛筋カレー」とか、能登の食材を使っているのが紹介される予定だった。
収録の途中に今回の能登の大地震があったので、少し内容を変更せざるをえなくなった。
撮り直しや、編集の手間はかかってしまうけど、能登の人たちのことを思うと、こちらの苦労は
知れているので、なんとか応援になるように力尽くしたい。テレビの制作スタッフの人たちも毎日朝早くから
夜おそくまで、尽力されている。ひさしぶりに、連帯感とみんなのこころが「むすび」モードだ。
能登休みでない月曜日は、「卵かけごはん」
忘れもしない、2011年の311の年の春から始まった。
最初は、土鍋でごはんを炊いていた。一昨年あたりから、丸和工業さん
の倉庫に眠っていた「珪藻土竈(かまど)」でごはんを炊き、残りの炭を
小さな竈に移し、炭火焙煎をしている。この流れが、なんとも「懐かしい未来」を感じる。
そして、昨年の6月に震度6の地震がきて、丸和工業さんの窯が全壊。
クラウドファンディングなどで、資金を調達して、やっと今年の3月から
新しい窯で、珪藻土七輪が生産できるようになった矢先の先日の地震。
今朝の読売新聞に、丸和さんの壊れた社屋と71歳の玉置社長のコメントが載っていた。
これから、日本のどこでいつ、大きな地震が起こるかわからない。そんな時、自分で炭をおこし、七輪でごはんや煮炊きをする技を
身につける必要がある。というか、ひと昔前は、台所に七輪や竈があり、そこで煮炊きをして、家族の命を紡いでいく、つまり
自炊をして家族で食べることが、「生きていく」と同意語やった。
皮肉なことに、今回二度目の震源地は、そんな「丸和さん」の工場のある場所やった。
でも、きっと昨年と同じように、不死鳥よろしく、再建すると信じているし、非力ながら、尽力したいと
思っている。
お店の張り紙には「能登休み」の案内。見知らぬ近所の人たちまでが「能登は大丈夫ですか?」
とかお見舞いの言葉をちょうだいする。「まさかの時」には、そんなさりげない「ふれあい」がこころに染みる。
「政治が悪い」・・・確かに、どうしようもない末期みたいな感じやけど、人のせいにして生きていても、
埒があかんので、自分でできることをやっていくしかないと思っている。こんな時が、「日本人にかえる」チャンスでも
あるかもなんばん。感謝。