異世界蒲田

今朝の天声人語は「週刊朝日」の休刊。
100年の歴史に緞帳を下げることとあいなった、らしい。時代を感じる。
散髪屋でくらいしか週刊誌にふれることはないけど、どの雑誌も
「のぞき見」みたいに、皇室から芸能人、政治家のスキャンダラスな記事や、
エログロな記事で「売り上げをのばそう」としているものばかり。そんな中にあって、高校野球よろしく、
丸坊主で、時代のテーマソングにあわせて、整列しながら行進するような清さがあって、ぼくは
好きな雑誌だった。でも、ネット社会になって、だれはばかることなく、隠しどころのない赤裸々な人間模様
を、いつでもどこでも覗き見できるような時代には、無用なものになったのかもなんばん。

新聞の中のページに写真入りで、今話題のマンガが紹介されていた。
「異世界蒲田」・・・お笑い芸人の「ライス田所」さん原作で、人気らしい。作者も蒲田生まれで今も住んでいるとのこと。
うちの筆子さんの生まれ育った町でもあり、よくいく街でもある。飲み屋の人口密度?が、新宿のそれを超えていて(今は知らない)、
普通の家の一階がスナック、みたいなところが、当たり前。そんな猥雑なところが魅力だ。
そんな猥雑な下町に、唯一無二な寿司屋や中華屋やとんかつやがあったりするアンバランスな不思議がまたいい。

筆子さんの家の墓参りの時などに、立ち寄る銭湯がある。二階が食堂になっていて、ときどき土佐周りの演歌歌手
がきて、新曲のキャンペーンをやったりするので、壁にはいろんな歌手のポスターが飾ってある。
スポットライトを浴びた歌手とは違った人間ドラマが垣間見れて、とても居心地がいい。そこで演歌を聞くと、ジャズ
みたいに心臓の鼓動と波長があう。
山頭火の「まっすぐな道でさみしい」がわかる。

あまり教えたくないばってん、「聖兆」という中華やさんがある。前は駅前のアーケドー街の片隅に
あった。そこが再開発になり、6年半のブランクがあったけど、東口にオープンした。
六本木などに作ったら間違いなく「見知らぬ」の星がつきそうなレベルの包丁さばき。でも彼は「蒲田」なのだ。だから
誰も見知らぬ名店。そんな店を知っているのは、とても幸せなことだ。
そんな「聖兆」があったりするのも「異世界蒲田」の魅力かもなんばん。感謝。

雨が空から降ると・・・角煮が食べたくなる?

昔、台所の中心に竈(かまど)があった。
今回の珠洲の地震で、珪藻土七輪の「丸和工業」さんの工場と窯が
甚大な被害を受けた。ちょうど5年くらい前に、丸和さんの工場の隅っこに
古色蒼然とした「珪藻土の竈」を見つけた。時代に置いていかれたように、
ポツンと寂しそうだったので、5個あったのを全部買っておいた。

そんな時代おくれの竈が、月曜日に大活躍。
炭火で、珪藻土の竈の上に、羽釜をおいて炊くごはんの美味さは、筆舌を超えた味だ。
おこげは、またなによりの御馳走だ。茶人たちが茶事で、それをふるまっていた歴史の滋味がする。
電子レンジや、電気釜は確かに便利だけどね・・?

今日は朝から雨。雨の日はまたいい。
宋の詩人・蘇軾(そしょく)が、政治的に流罪先で、粗食に耐えながら?
「晴れて好く雨も奇なり」という詩をよんだ。飄々として自然体な詩をたくさん残した。
彼がつくったもので、今でも中華料理としても、長崎にきて卓袱料理として、ラーメンや
で角煮になって今でも残っている料理がある。
東坡肉(トンポーロ)  蘇軾の号が、蘇東坡。彼がつくったので東坡肉。
雨の日は、トンポーロが食べたくなる。アジア人は、お客さんが来ると、豚を一匹つぶして、歓待した。

昔から茶事は基本的に、肉をださない。
煎茶の世界も普茶料理という精進料理をだすのが基本だけど、蘇軾の「赤壁の賦」などに憧れる茶人たちは、
料理のひとつに、東坡肉を入れたりすることがある。いいじゃない。
原理原則にこだわりすぎると、窮屈になる。茶の席に「肉」があってもOK牧場のような気もする。
みんなが、そのあたりの文化圏までさかのぼって、言葉が違っても「茶」を楽しむようになれば、
戦争になったりするリスクが9割かたなくなるのではなかろうか。感謝。

国民総移住が始まった?

昨日はそんなことを感じる一日やった。
朝いちばん、友達が「戸隠に古民家を見に行く」、と元気な笑顔で旅立った。
前から松本とか、界隈の古民家物件を見に定期的に長野に通っていた。
どうやら、機が熟したようだ。

午後、香取神社の近くにアトリエがあるMくんが、「那須に移住することになった」
と挨拶がてら、そばを手繰りにきた。「将来はカフェみたいなこともやってきたい」
というので、UFOを使って、とびきり美味いアイスコーヒーをつくる技を伝授した。
なにをかくそう、彼が、UFOの最初の購入者。モカマタリの生豆をいっぱい買っていかれた。

そして、閉店後の「そば打ち道場」の時、師範代な風格のそばもんになったお弟子様が
「佐渡に古民家を買いました」とのこと。その古民家の納屋にあった漆塗りの「おかもち」を
持参して、手打ちそばを入れて、出前にいくように帰っていった。佐渡おけさでも聞きながら、そばを手繰って
みたくなった。
なんとも、うらやましい人たち・・・・・・こちらは、2か所暮らしが6年目に入るけど、
最近は家の修理や片づけも一段落、器や絵などもおおかた能登の家におさまったので、すこし手持ち無沙汰ぎみ。
京都の花瀬あたりの古民家でも見つけて、「三か所暮らし」に挑戦しようか・・などと企んでいる。
でも、あちこちにお弟子さまが移住を始めたら、それこそ、そこをまわるだけで、「ノマドな生活」
になるかもなんばん。

今日は16時まで営業。それから「そば打ち道場」「UFO焙煎道場」
二階では「ゆるゆるヨガ」  ぼくは、女子たちがヨガってる間に、そばの準備をしながら「カレー」
を食べる日。ちょっと水かげんをあやまり、ごはんが「ゆるゆる」になった。こちらも坊さんみたいに
「おかゆ」にしてみようかな?

明日の朝は「卵かけごはん」
週に一度だけ、能登の珪藻土の竈(かまど)で、炭火を使ってごはんを炊く。
そのごはんは、冷めてもうまいし、おにぎりはもちろん、炒飯や雑炊にしても、異次元の味。

異次元といえば、「異次元の少子化対策?」がかしまし娘だ。
どの政策も「お金を渡しとけば、子供も増えるだろう」みたいな、うわっぺらなものに感じてならない。
ベトナムの少数民族の部落を旅したおじいちゃんが、現地のあふれんばかりの若者のいとなみを見て
「どうして、こんなに若者がいるのですか?」と尋ねたら

1・テレビやスマホは、極力みない
2・男は朝から酒を飲んだり遊んで、英気を蓄える(武田鉄也みたいな子供が増えそうやけど?)
3・子供たちは財産なので、血のつながりを超えて、見守り育てる

と答えが返ってきたらしい。少し前の時代にもどしていくことが大事。「今」という時代そのものが異次元なのかもなんばん。感謝。

♪この道は いつかきた道

天真庵には、「道」という白井晟一さんが揮毫した書を飾ってある。
もともとは、首がころがっている象形文字。人生という旅路で、人は100%死ぬ。病死や野垂れ死・・・
老衰やガンやコロナになったから死ぬのではない。生まれてきたから、みな死ぬのだ。それでいいのだ。
それぞれの道程が、これ人生。

昨日は旅好きなじいさんふたりがそれぞれカウンターにとまって「昼酒セット」で独酌。
ひとりは、能登へも年二回ペースで車でこられる。宿は天真庵のHPにもリンクしているけど、「湖月館」。
昔から文人墨客に愛された宿だ。白井さんの息子で、ぼくの友人でもあるIさんも、学生時代に泊まったらしい。
とてもいい宿で、ときどき、ぼくも泊まりにいく。大女将・女将と話をしていると、ついつい「ながっちり」
になりそうなくらい、時間をわすれてしまう宿だ。

車でどこでも旅する彼は、先月馬籠とか旧中仙道を車で旅したらしい。いつも旅には、ライカを道連れにして、
名もない里山の風景や古刹、風雪に耐えながら立っている路傍の石仏などを、写真に収める。「湖月館」の玄関にも彼の
写真集が置いてある。「寄る年波かな~ 今回は旧道を走っていて、車を石にぶつけた」とのこと。
最新のいい車は、障害物があると、勝手にピーピー警告してくれるけど、慣れっこになると、オオカミ少年みたいに
「またか」という気持ちでうっちゃっておいたら、ゴツンとなったらしい。旅はみな茨の道だ。

もうひとりのじいちゃんは、後期高齢者になったばかり。いつも下町界隈を散歩する途中に寄ってくれ、
そば前で一献、そば後にほぼぶらじるの「昼酒セット」(文膳という)をやる。
興に入ると「そばやの〇〇は、こうでなくっちゃ」を連呼される癖がある(笑)。昨日は3杯目のお酒を所望された時にだした
「新じゃがの肉じゃが」を食べながら、「新じゃがが、皮のまま入っているのがいいね。そばやの肉じゃがは、こうでなくちゃね」
と言って笑っていた。24日にベトナムの旅から帰ってきたばかりらしい。ベトナムといっても、サイゴンからジープにのって、2時間
くらいかかる少数民族の棲む寒村を旅したということだ。大学で哲学を学んだ彼は、インドや、アジアの寒村あたりを旅するのが
ライフワークになっておられる。「旅は哲」そのものの人生。

分け入っても分けいっても青い山   山頭火

いっしょのツアーに参加した89歳の四国の老人が、あまりにも元気なので、「後期高齢者というのを死語にした」
といってかかと笑った。その老人が「ぼくはせっかく生を受けたのだから、命もお金も使いきろうと思っている」
といったらしい。その翁の人生もまた道也。

最近、「女時」(めどき)」というか、女性の元気さばかりが目につく。でもまだまだ矍鑠(かくしゃく)としたモジ(モダンジーサン)
もいっぱいいらっしゃる。来月は久しぶりに、横須賀からフェリーにのって門司にいき、里帰りをする。
小生66歳。彼らに比べたら、鼻たれ小僧だ。モジモジしている場合じゃない。いろいんな意味で、この山頭火が染みる年ごろになった。

まっすぐな道でさびしい    山頭火

今日明日は16時まで。それから「そば打ち道場」「UFO焙煎道場」

男は静かに囲炉裏端会議?

女子たちは元気だ。80を超えたばあちゃんが3人で組んで、「さんば」、正確には、
「もちよりパン  サンバ(SANBA)」が近所にできた。
火曜日の午後、近所の「お世話しあうハウス」の女将が、ニコニコしながら
お店に入ってきた。「サンバ、で、イートインしてきたから、ちょっと少なめのホボブラジルを
いつもよりうすめにしてちょうだい」とのこと。「デミくらい?」というと、「もうちょっと多めね」
という。いつものように、久保さんのオリベの土瓶に、輪花ドリッパーをおき、漉し布(ネル)で、
ホボブラジルを出す。

「これおみあげ」といって、サンバのパンを5個土産にくれた。みんなラップでくるまっている。おばあちゃんたちが
トンクなどを使わず、手でトレーに入れられるように配慮しているらしい。さすが。
和のお惣菜がいろいろ工夫されていて、「ごはん」
みたいなパン。「ごぼうのパンは、歯が心配だったら、小さく切って食べてね」。
さすが、お年寄りの面倒を毎日見ている女将。80歳が66のぼくの歯を気遣ってくださる。

ここのお世話しあうハウスの人たちが、ときどきニ三人(ときには4人)で、そばを手繰りにきてくれる。
みんな耳が遠くなっているので、声が大きい。しかも、お互いに馬耳東風よろしく、好きなことを
勝手に、しかもなんども繰りごとのように話し、そのたびに、新鮮に相槌打ったり、笑ったりしている。
女子たちが、元気な秘訣がここにある。かみ合っていない会話が、なんだか楽しそうだ。
人はみなこころの根っこの部分に、いろいろな抽斗(ひきだし)をもっている。その中身が「楽しいもの」の人は、
いつも前向きで楽しい。反対に「恨み、妬み」が入っている人は、まわりの空気まで暗くする。

昨日はかっぽれ女子たちが集まって、お仕覆の会。先月放映された「もやさま」で、一躍有名に
なった「まさこさん」(かっぽれの先生 82歳)も、元気な姿をだした。
ぼくは、昼ごはんのガレットを焼き、珈琲の用意ができたら、お役目ごめん、で、
いつものように、亀戸界隈を徘徊散歩。

こないだ「框(かまち)」を衝動買いした材木屋にいって、そのかまちを使って「囲炉裏」をつくる打ち合わせ。
能登の家にもっていく計画だったけど、東京のお店で使おうと思い直した。
すると材木屋のオヤジがニコっと笑って、「完成したら、そこで一杯やろう」ということになった。
「おちょこを置く時の音がいいんだ」といって、一献するように手を口にもっていく所作。
大工は左手で「鑿(のみ)」を使う。だから昔から酒飲みを「左党」といった。
けっして、麻丘めぐみの歌が起源ではない。

そこから徒歩3分の骨董屋にいく。囲炉裏の話をしたら、大喜びで、「お祝いにこれあげる」
といって、「どうこ」をくれようとした。値段シールに33000円とある。銅壺。
時代劇ではよくでるけど、江戸後期頃から囲炉裏の余熱を活用した銅壺(どうこ)という道具が現れた。これは囲炉裏端で、飲み手が都合のいいように燗づけしてお酒を楽しめる。チンとは似て非なる情緒。茶事の「お預け徳利」みたいなもんや。しかも燗酒がとびきり美味くなる。
「ふたつもっているので、これはいいよ」と断わって、傍らにあった藁の鍋敷きを指さし、
「これちょうだい」といったら、「2000円ちょうだい」といわれた。相変わらず、つかみようのない
飄々とした店主。井伏鱒二の「珍品堂店主」みたいなフンイキを醸し出している。
女子は、時と場所を選ばず、元気に談論風発できる。男は黙ってサッポロビールか、
気のおけない仲間と囲炉裏端で静かに飲むべかりけりか?感謝。

押上は、素敵なサンバで一踊り!

先日、手押し車を押しながら、3人のおばあちゃんが、そばを手繰りにこられた。
お店に入るなり、「ここはスシ食べれましたよね?」と・・

「スシ、じゃなく、ソバの店です」といったら、「すいません、今日は寿司が食べたいので、またきます」
といって、十間橋通りを歩いていった。残念ながら、この界隈には、あまたの寿司屋があったけど、回転すし
がハバをきかせるせるようになって、まわらない寿司屋は姿を消した。全国津々浦々、どこの街もそうなように。

20分くらいしたら、おばあちゃんたちががもどってきて、「ああ、疲れた。このへんには寿司屋がないのね」といって、
一番奥の4人掛けテーブルに座った。メニューを見ながらも、あきらめきれずに「やっぱりスシはないのね?」だって(笑)
しぶしぶ、そばを手繰りながらの女子会。毒蝮だったら、さながら「ばばあのそば会」。

「すしや」も「そばや」も絶滅危惧種になりつつある。
でも最近、古い長屋やアパートや長屋を改装して、「カフェ」が、雨後の筍のように、どんどんできている。
すぐ近くに住んでいたジャズドラマーの「セシル・モンロー」
が、「ここは、ブルックルリンみたいな街になる」と、よくクロキリのオンンザロックを飲みながら、口癖のようにいっていた。
押上がそんな雰囲気を醸しはじめた。セシルが、千葉の海で亡くなってから12年になる。大石学トリオのドラマーやった。

そんな流れで、乱立ぎみの押上に、異色のカフェができた。
築60年の古いアパートを改装して、一階が手作りパンと、二階がカフェスペース。
場所は、押上文庫の近くの路地裏。その近くにいくと、電信柱に案内版が貼られている。
なんと齢(よわい)80過ぎのおばあちゃん3人で運営している。看板娘3人のおばあちゃんで「さんば」。
正確には、「もちよりぱん SAMBA(サンバ)」という。
「てんとう虫のサンバ」をを初めて聴いた時のような新鮮さに笑った。♪赤・青・黄色の・・・
サンバも、昔ながらの日本のお惣菜をこらした色とりどりのパンが踊っている。ごぼうパンもあるぜよ。

天真庵のカウンターの上には、おかまのMくんがくれた木彫りの猿が飾ってある。
三番叟(さんばそう)、といって、昔から歌舞伎や能などの演目にもなっている、五穀豊穣を祝う翁。
うらぶれた街だけど、サンバのリズムにのって、「気がつけば、時代の先端」みたいな街になる日も、近い?かもなんばん。

でも、まちがっても3人のじじいが組んで「さんじ」なんていうカフェを始めないことを願う。
「大惨事」になりそうな予感がするので・・・

お天道様の力を借りると、電気代がタダに近づく?

今朝は、ひさしぶりにお天気がいいので、ソーラーパネルを
オープンエアー(もともと犬小屋だった)なとこの屋根に設置して蓄電池に溜める。
能登へいく時は、車の中でも充電できるし、とても便利なものだ。夜車中泊の時、ナイトキャップ時間に
どうしても灯りが必要だ。車の照明を使うとバッテリーがなくなる可能性があって、のんびり飲んでられない。
この蓄電池に、LEDのランタンをつなげば、「どこでもキャンプ」な気分になる。
キャンプ場でオートキャンプをする時もとても便利。それとUFOがあれば、「どこでも、いつでも、おいしい珈琲」
ができる。肉や魚を焼く時は、「よくばり七輪」。今回の能登地震で大きな被害をうけた「丸和工業」の
製品で、蓋がついていて、火消し壷の役割もかねている。今、復興の最中だけど、また生産を開始したら、
ぜひお試しください。残念ながら、日本人よりも海外の人のほうが、「よさ」を熟知しているみたい。
お茶もお花もそう。「道」とついた日本の伝統的な芸術は、日本人があまりにもばかすぎて、滅びに至りそうだ。

最近読んだ本に、この「ばかすぎて」がついたんがある。氷見にいって、「すしのや」で寿司をつまんだ後に、
いつも立ち寄る本屋で見つけた。店員さんちが、こころこもったPOPをつくって、本を紹介していて、東京の本屋では
見つかりにくい本との出会いがある。
今回は「店長がバカすぎて (ハルキ文庫 早見 和真)」がぱっと目についたのですぐに買ってその日に読んだ。
本屋を舞台にした小説だけど、「今」の世の中の人間模様がよく表現されているのと、推理小説風にドラマが展開されていくのが、まるで映画でも観ている感じになる。

「常識のウソ」というのが、日常の中にいっぱいある。二か所暮らしをしていると、そんなことを多く気づくようになった。
ソーラパネルを屋根の上に載せて電気をまかなうことが、今後東京で新築の家をたてる人には、半強制になった?
あいかわらず、人気とりと、業者との癒着がプンプン匂うような制度だ。
ウソのような話だけど、ソーラパネルで充電する場合、東京よりも能登のほうが圧倒的に早く充電できる。
演歌が似合う、どんよりした曇り空の北陸で?と思うだろうが、ほんとうの話。
場所によって多少違うかもしれないが、東京はまわりにマンションとかビルがあって、日照時間(そこの場所の)
が短い。♪まるい地球の水平線で・・・(ひょっこりひょうたんじま)じゃないけど、水平線も地平線も
丸く見えるような環境で、生活していると、お天道様やお月さまの存在の大きさが、都会の比ではないのだ。

今日は日曜日なので12時から16時まで営業。その後は「そば打ち道場」「UFO焙煎道場」

明日の朝は「卵かけごはん」 珪藻土の竈で炊くごはんのうまさ・・・日本人に生まれて、
この味を知らずに死んでいくのは、あまりにも「ばかすぎる」!    感謝。

塩と水で、人生がかわる!病院にいく前に能登!

今回の地震があった能登には、伝統的な「揚げ浜式製塩」という技法が残っている。
天真庵で、2月の味噌つくり、夏の梅干しつくり、の時はその塩が大活躍する。
お天道様と風の力をかりて、海水を人力で砂場にまき、鉄の鍋と炭火で12時間くらい煮て、塩をつくる。
毎月のように、珠洲の珪藻土七輪屋さんにいく点前にあるので、季節でない時も、珈琲とか
水素茶などをペットボトルに入れて、表敬訪問をするのがならわしになった。夏にアゴ(トビウオ)が
集まってくる時は、背開きして、やっぱり炭火で「アゴ焼き」をつくる。九州のアゴとは、あごのカタチでは
なく、体が四角い感じが違う。できあがったアゴで出汁をひくと、麺類はおろか味噌汁やおでんも、ワンランク上の味になる。
能登の塩との塩梅で、「能登すまし」(ぼくが勝手に命名)になって、もう一軒店をだすようなチャンスがあったら
「能登塩ラーメン えーちゃん」をだしたい気分。オープニングには「時間よとまれ」(笑)

木曜日の朝、いつものように「藤瀬霊水公園」にいって、霊水を70リットル汲んだ。駐車場のおっちゃんに
「500円」を払うのと、混んできたら、3つある蛇口(龍の口)を譲り合ったりするのがルール。
軽トラにのった老人たちが、朝早くから水を汲んでいる。近くにある仲代達矢さんの演劇堂のスタッフたちと
出くわす時もある。仲代さんがあんなに元気なのは、その水と能登の塩と空気のおかげも影響しているに違いない。
駐車場のおっちゃんにはじめて歳をきいてみた。「まだ82」との返事。矍鑠(かくしゃく)という次元を超えた元気印。
続けて「毎日、この水を飲んでるからね」とのこと。

それから、ひょっこりひょうたん島のモデルになった能登島を経由して、和倉温泉の手前にある食堂で朝ごはん。
お店の名前が「水」。ここの女将のお母さまが、能登島で千寿荘という民宿をやっていて、そこの水がすごすぎ。
浸かっても飲んでも身体にうれしいアルカリ炭酸水素イオン水の湯が自慢の民宿。へたな病院いくより、自然治癒力が
ついて、うまいもんが食べれて、元気になる。薬事法に抵触するくらい「元気になる宿」だ。

その水のおかげを店名にして、娘さんが朝9時から食堂をやっている。季節によって魚の種類は違うけど、いつもメニュー
にはない「ブリ(ときには、ひらまさなど)のカマ焼き」の焼き魚定食。ポテサラや、野菜のおひたし、山菜のテンプラ・・・
など、20種類くらいある小皿料理を3品選べて、みそ汁がついて1000円。1月はかっぽれ女子たちときた。
その時は、「ごはんなし」にして、朝からビール。単品でカキフライなどを頼むと、時間よとまれ、で大宴会になる。
ぼくのソフトバンク時代の同志も、体調を壊したとき、能登の千寿荘に泊まり、以来定期的に「水」を東京におくって
もらっていた。「塩」「水」は、とっても大事やと思う。

今日から営業。能登牛の牛筋を、そばを打つ間に仕込む。能登の居酒屋にいくと(「水」や「橋本食堂」も)、
必ずといっていいほど通年のメニューに「牛筋煮込み」がある。東京のそれとは違って、能登の塩がきいている。
丁寧にあく抜きをし、手抜きの圧力釜(もともともっていない)ではなく、普通の雪平鍋や、多くやるときは
寸胴で、ことことと煮る。やはり、コツは塩加減。
まだ内緒だけど、来月あるテレビ番組で、このあたりが紹介される予定だ。

土曜日日曜日は12時から16時。
その後は、「そば打ち教室」と「UFO焙煎塾」・・・夏にUFOを使って焙煎すると、「これまで飲んでいたアイスコーヒー
はなんだったんだろう」という珈琲ができるようになる。これまでヒミツにしていたレベルの話も、バンバン公開しながら
楽しい「珈琲時間」をいっしょに楽しみたいと思っておりまする。感謝。

梅茶翁で、竹炭つくり 木炭も竹炭も、懐かしい未来!

昨日は、全国的に夏日になったみたい。この一週間は
囲炉裏に炭をかかせない毎日だったので、うそのようだ。
梅林の雑草取りや、土壌に炭をうめて、梅林の土を元気にする作業をやった。

梅の木のまわりに、深さ20cmくらい穴を掘り、そこに炭を入れ、つぎに枯れ木を数本いれ、
最後に枯れ葉をかけてあげる。そうすると、土の中の気がよくなり、微生物が増え、土壌が活気づき、
梅の木も元気になる。その梅を梅干しにしたりして人間が食べると、人間も元気になる。
自然というのは、それぞれの命を輝かせようという働きがある。茶の世界の「和敬静寂」そのもの。
それに比べて、吾ら人間たちは、まだまだ「戦争」によって、領地や資源や食べ物を奪いあってるおろかしいこと。

梅茶翁の庭には、大きなドリッパーのような窯がおいてある。「竹ボイラー」で検索すると、長野の
モキ製作所がでてくる。そこの商品で「無煙炭化機」という。
梅林で剪定した枝や、まわりの竹林の竹を切って、その窯にいれて、火をつけてあげると、
5分で、一ハゼ(ただし珈琲みたいないい香りはしない キャンプファイヤーをしている気分)
で、15分もすると火がまわり、最後に水をかけると、立派な竹炭ができあがる。
コペルニクス的に、発想をかえると、まだまだ斜陽のニッポンの田舎暮らしに宝ものがいっぱい。

昔から、日本人は、松竹梅を大事にしてきた。
松は、「まちなさい」「時がくるのをじっくり待つ」という言霊。
竹は、「節々、節目節目を大事にしてね」という言霊。
梅は、「うみなさい」「新しいことをやってください」みたいな意味が込められている。

仕事が終わって、みんなでごはん。自分たちが作ったお米を、能登の珪藻土竈で炊き、
塩むすび。もちろん塩は能登の揚げ浜式の塩。近所のおばあさんにいただいた朝掘りの筍を
炊いたん。今能登ではわかめが旬。「若竹煮」のレベルが世界チャンピオン級。お茶は三輪福さん
のお手製の「とうもろこし茶」。つい7年前まで、清住白河に住んでいたのが、逆浦島太郎伝説みたいだ。
食後に「ほぼぶらじる」を34g(昨日、それだけしかなかった・笑)
をUFOに入れ、イチハゼまで焙煎。つまり二度焼きした深煎りの珈琲をハンドドリップ
して、氷を入れて「アイスコーヒー」にして飲んだ。気温が20度を超すこれからは、この
2度煎りアイスコーヒーが、おいしくなる。

その豆を、キンミヤあたりに漬けると、「キンモカ」(珈琲焼酎)
が楽しめる。自給自足の第一歩かもなんばん。シングルオリジンで、自分の好きな珈琲豆を焙煎するのも、
至福の時間だ。モカやガテマラを深く焙煎してアイスコーヒーにするのもいい。
今朝、珈琲のお弟子さまから「デカマラ最高」とメールがきた。女子も四十路を歩きはじめると、けっこう
大胆になる?ガテマラと訂正するのもなんやから「その調子!」と返信した。まじめに考えると、エロい朝メールかもなんばん。
なんでも「お金で買う」ことから「自分でできないかな?」と頭を使うと、けっこう「ゆたか」な生活
の入口が見えてくる。来月は東京からやってくる「梅林ガールズ」たちと、こんな田舎暮らしをともにする予定だ。

明日の朝、藤瀬霊水を汲んで、東京に出発。今回はテレビ局のスタジオで、そばを撮影する仕事をいただいたので、
普段より二日短い「能登休み」だった。土曜日から営業。といっても、けっこう濃い能登時間。感謝。

輪島の素敵なお酒のギャラリー。

能登の天真庵は、志賀町。
福岡の志賀島と同じ匂いがする土地だ。
車でヤセの断崖をすぎ、5分くらいで輪島になる。
漆と禅の街。

よくいくお酒屋さん「酒ギャラリー奥田」(そんな名前?)の若女将が、おめでたなので、珈琲豆の注文のついでの足で、
「福」と書いた久保さんの黄瀬戸のどら鉢をお祝いにもっていった。
能登は昔から「珠洲焼」が有名で、地元の料理屋や、家庭でも、あのわびさびそのもの
の黒い器が使われている。
黄瀬戸は、織部、志野といっしょに、桃山時代からある陶器。食卓に黄瀬戸ばかりだと、
ちょっと華麗すぎて、加齢がすすんでボケた?と思われる。
ドラ鉢が一個、に取り皿あたりで充分だろう。

9月が予定日の若女将が喜んでくれて、「到来ものですが・・」
といって、イカを二尾くれた。

じんのびの湯に入り、隣接するレストランで夕陽を見る予定だったけど、そのまま家
にもどり、イカを刺身にして、ゲソはパスタにした。
刺身は日本酒がいい。「竹葉」で有名な数馬酒造では、「イカにあう日本酒」とかいう酒がある。
昨日は「遊穂」というUFOで町おこしをした羽咋(はくい)の酒。
パスタは、やっぱり「能登ワイン」が似合う。

今日はこれから、能登町の「梅茶翁」へ、梅仕事にいく。
注文のUFOもさきほど車に積んだ。感謝。