京都一の食堂

2007年の4月1日に、押上天真庵が産声をあげた。
池袋時代にギャラリーをやっていたので、芸大を卒業したばかりの若者たちが、
よく遊びにきてくれていた。彼らの何人かが手をあげて、昭和20年生まれの古色蒼然とした元建築事務所をじょうずに
改装してくれた。作品の最後に落款(らっかん)を押すみたいに、あいちゃんがステンドグラスをつくってくれ、玄関と椅子は
木曾に住んでいた般若くんにつくってもらった。16年になる。そのころ合鴨軍団よろしくランドセルをしょった小学生たちは、成人したり、
伴侶をつれてときどき蕎麦を手繰りにきてくれたりすることがある。住む場所をこの世からあの世に変えた常連さまも多い。
「泣くも笑うも人生よ」だ。

昨日、お店の後片付けをしていたら、ギターの赤須翔くんが挨拶にきた。住んでいる長屋が老朽化で建て替えすることになり、いったん
荷物を実家の長野にもっていくらしい。押上最後の日。餞別かわりに「タコ飯」をあげた(笑)
彼がはじめて押上村に住んだのは、近くのシェアハウスだった。「ここは、東京の別荘です」と言った言葉が印象的で、
「東京の別荘」という詩を原稿用紙に書いて渡したら、それに曲をつけてくれ、しばらくライブで歌っていた。
そばと珈琲のお弟子さまでもあり、「珪藻土焙煎器UFO友の会 会長」でもある。彼の師匠みたいな存在の
「井上智」さんというギタリストがいる。ジム・ホールに師事して、彼もニューヨークを拠点として世界的なギタリストになった。
天真庵でも3度ライブをやってくれた。彼がギターを弾くと、天真庵がブルックリンのライブハウスみたいに
なった。超に超が一個つくくらい超絶技巧の持ち主だけど、いつも笑顔でそれを感じさせないし、音がとってもやさしい。

井上さんは、ぼくと同じく昭和31年生まれで、同志社大学やった。下鴨に住んでいたので、ぼくが店長をやっていた「からふねや」の本店に
よく珈琲を飲みにきてくれたし、近くの「音色食堂」でもよくあった。京都一の食堂。
4月4日は、赤須翔くんといっしょにライブをやるらしい。彼らがギターを奏でると、そこは素敵な「音色食堂」になるかもなんばん。
〇〇食堂・・「普通におししいごはん」の中に、ぼくたちの命をはぐくむパワーがある。

昨日までで終わり、のお店が界隈にいくつもある。ニューヨークのソーホーに若い芸術家が集まり、にぎわってくると、
不動産屋が目をつけ、家賃があがり、若者たちは街を離れる。次に若いアーティストたちが住んだブルックリンも同じ
ような運命をだどる。長屋や下町人情が奇跡的に残っているこの「押上村」も、だんだん若いアーティストやカフェやお店を
やっている人たちに、住みやすいとはいえない環境になりつつあるように思う。でもそこも、気持ちの持ちようで、「地獄」にも「天守閣」にもなるのだと思う。

今日・明日は16時まで営業。それから「そば打ち教室」「UFO焙煎塾」