大きなタコが釣れた 大きな「のとてまり」もやってきた

今日は311から12年目の311。
朝からラジオでは、津波や地震の話。
良寛さんの言葉じゃないけど、地震や津波や死ぬときも「それにまかせなさい」
が一番じゃないかと思っているけど、政府がそげな言葉を使うと、議員資格を
失くす様な世相である。

カセットコンロ、携帯トイレ、水・・・あたりはいつも用意しておこう。
台所に「そば粉」があると、そばがきにしたりして、しばらくもつ。
そのうち、即身成仏できる可能性もある。千日回峰の時も、最後は「そばがき」を
食べて、この世と決別するし、旅をしながら仏になっていく即身成仏の食事は「そば粉」
が使われてきた。生きてきた以上は、死ぬることになっている。別れの時は「あの世への引っ越し蕎麦」がいい。

昨日は季節ではないけど、前の日の夜に雨が降り、気温があったかかったので、たこやん(タコ釣り用の擬餌)
をぶらさげて、海にいった。漁師のおっちゃんたちは「まだタコはおらんぞ」というけど、馬耳東風。ここちよい
東風に向かってひょいっとタコヤンを投げる。3投目にアタリ。まだ動きがにぶくて、岩か藻にひっかかった?
とか疑ったけど、タコヤンを大きな足が巻き付いている。フリーのリールをロックし、左右の腕で竿をもって、
「えいやーそーらや」の呼吸で弧を描くようにあげると、大きなタコが岸壁にあがった。「岸壁のタコ」か。
釣るのは一分。大きなタコをビニール袋に入れるのに5分かっかた。まさか大きなタコが釣れるとは思って
いないので、ウナバックの中に、小さなビニール袋しか入っていない。その中に入れようとすると、北斎の春画の
ように、八本の足をクネクネさせながら、ぼくの腕にまとわりついてくる。「このすけべダコ」とかいいながら、
やっと「袋のタコ」になる。

家に帰って、秤の皿の上においたら、振り切った。最大1kまで測れるようになっているので、それ以上
ということだ。珈琲豆を図るデジタル計にのせたら、1・2キロあった。
築地で1・2kの生きたタコを仕入れると、一万円では足りないかもなんばん。しかも能登のタコだ。
そんな無粋な都会人みたいなことを思いながら、さっそく捌く。
タコの口は、8本の足の付け根にある。菊みたいな黒いんが見えるので、そこが肛門だと思っているけど、
1kクラスの生きたタコのソコに指を入れたりすると、病院行になる。
目と目(そんな骨董の本がある。正確には「目の眼」)の間に包丁を入れる。そこが急所。
それから指で内臓をとりだし、足を一本一本米ぬかで揉みながら、汚れをとる。
仕上げは、塩を使って揉み、そのまま洗わずに、63度の湯で10分ほど茹でる。

下準備がおわり、夕方「タコ飯」と、刺身の準備をして、近くの「じんのびの湯」
にいく。ビューサンセットホテルに隣接している日帰り温泉。その名前に負けないような夕陽が
日本海に沈む景色は、この世の極楽浄土そのもの。
「生きているのか、死んでいるのか」の境くらいの境地が、温泉の極意らしい。
露天風呂から眺めるここの景色を見ていると、「あの世もまたいいな」という気分になる。

ひとっぷろ浴びて、家にもどると、郵便ポストの上に、大きな椎茸がのっていた。「のとてまり」だ。
隣のばあいちゃんから携帯に電話があり、「いっぱいもらったんで、オスソワケ。炭火で焼いて食べて」
とのこと。囲炉裏に埋めていた炭を空気に触れさすと、酸素で赤く燃え始める。寝る前にも、そうして寝ると、
朝はチャッカマンもマッチの火の使わずに、火がおきる。
炭火の上に網をおき、大きな椎茸を焼く。東京からもってきた「かえし」(そばつゆの素 インスタントじゃなく松本の醤油でつくる)
で食べると、亀泉の一升瓶がみるみる空になっていく。逃がした魚も大きいけど、釣った大蛸の刺身を酒肴に飲む酒の美味いこと。
季節はずれの美味を大いに喜んで、能登の地酒に酔いを過ごした夜。

今日は土曜日。土曜日の朝から日曜日の朝までは、「海仕事はお休み」になっている。
働き方改革と資源保護の目的で、条例でそう決まっている。
今日は残った7本の足の2本をつかって、友達にもらったジェノベーゼソースでパスタを作り、
能登ワインで夕餉を楽しもう。大きなタコが釣れると、ふたりだったら一週間の献立が自然に
できあがる。「柔らか煮」「酢の物」「おでん」・・畑には、辛み大根しか残っていないけど、自給自足率はホボ100%だ。

「災難に遭う時節には災難に遭うがよく候、死ぬ時節には死ぬがよく候、是はこれ災難をのがるる妙法にて候」(良寛)

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