昨日は、旅する常連さんが蕎麦を手繰りにこられた。70代男性。
開口一番、「来月ハシモトにいってきます」とのこと。
しばらく、認知症の人みたいに、「???」と思っていたけど、しばらくして
「橋本食堂」だとわかった。
能登の家から、車で15分のところにある、てんぷらとおでんのお店。創業50年。
先月は、東京からかっぽれ女子(先生80歳も含む)が、そこを目当てに
能登にやってきた。宿は食堂から徒歩5分の「湖月館」。
ぼくも大好きな旅館なので、いっしょに泊まって、能登の山海料理に舌鼓を打って、
酒を酌み交わした。翌月は、近くの海岸で「さくら貝拾い」をした。
大学時代の友達夫婦も、昨年秋にこの旅館に泊まっていっしょに酒を飲んだ。
昔から小説家たちや歌人たちが長逗留して作品をつくったりしたした宿で、調度品や
本棚の書籍などに、文化を紡いできた歴史がある。
福永武彦随筆集の『遠くのこだま』の中の「貝合せ」を読むと、この宿や大女将のことが書いてある。
能登に家をもってから、一番残念なのは、旅人気分でこの旅館に泊まれないことだ。
ときどき、UFOで焙煎した珈琲豆をもっていったり、近くの海で釣ったタコをもって
いったりすると、昭和16年生まれ(かっぽれの先生と同じ)の大女将が、女学生みたいに
屈託のない笑顔をくれたり、自作の「ピーマン味噌」をくれたりする。
橋本食堂のおでんは、冬限定(3月いっぱい?)なので、こんどの「能登休み」が待ち遠しい。
「めぎす」でつくるつみれの味は秀逸。能登は豆腐が全般的に美味いので、豆腐・厚揚げも最高で、
それだけで3合が腹におさまる。
その常連さんは、湖月館に二泊するらしい。そのうち、どちらかが「夕食ヌキ」で、橋本食堂にいく。
ぼくが提案したプランだけど、「新しい能登の旅」のモデルになりそうなくらいグッドなプラン。
昨日の味噌つくりのトリは、甥っ子の「こうたくん」夫妻(奥さんのおなかに子供ができたので、3人)。
こうたくんが、実の妹のおなかにいた時、ぼくは京都で骨肉腫の手術をしたり、けっこう死線を徘徊していたので、
妹には病気のことは内緒にしていた。彼のおとうさんのヨット「卑弥呼」の上でこうたをだっこしながら
ビールで乾杯した写真が残っている。幼稚園のころ、三輪車で遊んでいる写真を、広告に使ったことがある。
最初に企画したコンピュータの学習プログラム「パソコンらくらくレッスン」の広告。大ヒットした。
そんな幼い甥っ子も、おっさんになり、おやじになる。うちの母親は来月91歳になり、4人目のひ孫の誕生を
楽しみにしているみたいだ。息子(ぼく)に、牛乳石鹸の赤ラベルを使わせ、色白にする、という計画は、なかば
あきらめているみたいだけど・・。ラベルが赤いとか、顔が黒い、白いとか、男だ女だ・・などは不問な時代になるかもなんばん。
今日は16時まで営業。それから「味噌つくり」「そば打ち教室」「UFO焙煎塾」二階では「ゆるゆるヨガ」
明日の朝は「卵かけごはん」
二月が「逃げる」ように去っていく。「新しい戦前」みたいな雰囲気の時代になってきたけど、
けっして「新しい戦中」「新しい戦後」にはならないように、みんなで祈りたいものです。感謝。