寒山拾得(かんざんじっとく)の寒山が書いた「寒山詩」の中にある言葉。
禅語としても人気で、禅林たちがよく揮毫し、茶掛けなどにもなっている。
先月、かっぽれ女子たちが能登へ遊びにきて、帰りはいっしょに東京まで車の珍道中。
いつも、妙義山あたりで高速道路から不思議なホテルが見える。コロナ禍の中でも、ポツリポツリと灯りが灯り、
「辺鄙(といっても、東京から100kくらい。車で一時間ちょい)なところだけど、人気があるホテルやな~」
と思っていたら、かっぽれ女子のひとりが「あれ、妙義グリーンホテルよ」だといった。
IT時代、取引先の会社の出身が、その界隈だったので、よく泊りがけでゴルフにきていた場所でもある。
その当時は、ゴルフが夢中で、妙義山の四季折々の眺めなど馬耳東風で、ひがな小さな白球の飛び方、ころがり方ばかりに一喜一憂していた。
「なぜ、このへんに詳しいの?」と尋ねたら、「父の出身地なの・・・50で逝きましたけど」という。
「失礼だけど、お父さん何されていたの?」と、問うと「画家でした」とのこと。「来月、富岡市立美術博物館で父の絵が展示されます」といった。その時は「ふーん」という感じで終わったけど、その後に、そこの入場券が彼女から届いた。その券にも、お父さまの
「あぜ道」という絵があった。北條聰さんの代表作のひとつ。
「よし、今年の味噌休みは、妙義山を堪能しよう」ということになり、くだんのホテルを予約して、二泊三日の群馬の旅をした。
そのホテルはゴルフ場に隣接してホテル。地下が温泉になっているけど、高度が高いので、露天風呂から妙義山の仙境が
一望される。都心からも近いので、高齢者が湯治場よろしく、長逗留されたりしていた。「これも老後のありようのひとつだな」
と思った。もちろん古希越えの人たちでゴルフと宿泊のパックの人もずいぶんいる。
食事は朝食夕食ともバイキング方式だけど、飲み放題、食べ放題なので、追加料金がなく、安心システム。一泊一万でおつりがくる。
ぼくはもっぱら、自動の燗つけ機のボタンをおして、地酒のぬる燗を、田舎料理をあてに毎日3合飲んだ。
朝も5時から温泉に入れるので、「小原庄助さん」になった気分だ。
ヒンズー教には、四住の考え方があるらしい。
「学生期」 勉学に勤しむ
「家住期」 家にあって家族を養う時
「林住期」 勤めが終わり、野や山など自然に触れる
「遊行期」 家をでて、放浪・旅をする
日本人は「まじめ」で、「旅行」はするけど、「旅」や「放浪」をする、には
なんとなく世間の目を気にする?みたいなところがある。
どうもこの放浪して野垂れ死にする、というのが究極の生き方のような気がしている。
妙義山は、いくつもの峰々の総称で、金洞山、白雲山、金鶏山からなる。
ちょうど、朝まずめの白雲山に、白い雲がかかるのを、朝の露天風呂から見た。
まさに
白雲は幽石を抱く
この星には、国境もなく、敵も味方もなく、色が黒いも白いの差別なく、わたくしと他人もなく、男女も中間の差別もなく、
みんな混然一体のまあるい世界。感謝。