失敗から生まれた京菓子

今日は朝から東京は雪が降っている。
そばを打っているとき、思わず「なごり雪」が鼻歌になっていた。♪汽車をまつ君の横で・・
先日、亀戸の骨董屋によばれ、十間橋通りを歩いていると、「モカの香り」がしてきた。
香元は、「酔香」。ここの主人は、ぼくと同じく立命館大学出身(ぼくは横に卒業したけど、
彼はまっとうに卒業した)。今年からUFOで珈琲の焙煎を始めた。香道の人たちは、香りをリセット
するために、必ず珈琲の香りをかいて、鼻をリセットさせる。同じように、全国からいろいろな酒の香りを
吟味しながら、お客さんに提供する仕事なので、自分で焙煎する、は理にかなっている。さすがや。

京都では、「捨てる」というのを「ほかす」といわはる。彼もエリートサラリーマンの道をほかし、
50歳の時に独立して店をかまえた。10年続くと奇跡という業界にいて、もうすぐ15年になる。
開店の前年に、いっしょに京都に飲みにいったことがある。ぼくの学生時代は荒神口の「安兵衛」
というおでんやで名誉冠を飲むのが、「飲む」だったけど、彼は幅広く、その道のコンシェルジュみたいで、
案内された今出川の居酒屋で飲んだ日本酒のうまさにびっくりしたことを今でもおぼえている。お互いにいつまでできるか読めない年になってきたけど、引退してゆっくりできるようになったら、また上洛して京都の居酒屋を徘徊したいものだ。

京都が本店で、今では、全国区で、麻生十番とか池袋やあちこちで「東京やで」
みたいな顔をしている京都の和菓子屋がある。「鼓月」さん。
「千寿せんべい」が代表的なロングランセラー。あのぎざぎざしたせんべい。

あれは、もともと大変な失敗から生まれたもの。昭和38年くらいに、西ドイツに
注文した「煎餅製造機」が、届いてみたら「焼肉作る機械」やったらしい。
注文した職長さんは、「ほかすわけにはいかないし、どうしたらええんやろ」と頭をかかえていたら、
その時の女社長さんが「瓦せんべいはあるけど、ぎざぎざした煎餅はないんで、けっこういけるかもなんばんえ~」
と笑って、今では、いろんなところが真似する「ぎざぎざ煎餅」が産まれた。

京都という町は、どこか排他的でよそもんを受け付けない雰囲気があるけど、実は、そやから伝統や
文化が連綿と受け継がれている、ともいえる。お菓子だけでなく、「京都で一番」となると、全国的、全世界的に
広がっていくというのが、マーケティングの常識だ。
名前の付け方や、ものをつくる物語に、「おもろい」とか「非まじめ」みたいなはんなりした「おかしさ」
みたいなものがるように思う。
世界中がささくれ人間みたいになってしもた昨今、そんな「京都風」なものを、いろいろいかしていったら、もっともっと
娑婆がおもろくなるんちゃうかな?

「ほかす」という言葉も、もともと禅林たちが修行してきた禅の言葉からきてはる。「放かす」・・・「放下著」。
「ほうげじゃく」いいますねん。 かんたんにいうと、日常の煩悩妄想はいうに及ばず、成功したこと、仏や悟りまで、
いいこと悪いこと含めて、すべての執着から解き放たれる、みたいな意味。
今流行りの「断捨離」も、ほかす、だけど、ほかす前に「生かす」ことを考えたら、無駄がなくなるんとちゃうかな?感謝。

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