いっしょに、青山が本拠の織田流煎茶道を学び、天真庵の書の教室にかよわれていた洗い張りのMさん。
着付けも上手で、うちのお客さんも、ハレの日にずいぶんお世話になった。
12月でお父さんの時代からの2代になる「洗い張り屋」の緞帳が下げられた。
かっぽれの高口先生を紹介してくれたのも、彼女だ。キラキラ商店街にいく道すがらにあったお店のシャッターがしまり、
もうすぐ解体される。寂しいかぎりだ。かっぽれ、は幇間芸(ほうかんげい)あまり知る人もすくなくなってきた。
聞きなれない「洗い張り」。古い着物を解いて反物(たんもの)の状態に戻して洗い、布のりを引いて、湯のしや伸子張りで反物の幅を整えることを洗い張りという。古いものを大事に育て、次の世代に渡していく、日本人らしい伝統的な技術。
大量生産の使い捨て文化の昨今、時代の流れに押し流されていった。「もったいない」
そんなMさんが、箪笥とか、衝立(ついたて)、洗い板(反物をほす板)、アルコールランプ・・・
など、捨てるに忍びないものを、たくさんくれた。
箪笥と衝立は、先月雪の中、引っ越しのサカイさんが能登の家まで届けてくれた。衝立は、玄関に
置いてある久保さんの信楽の大壷の後ろにおいた。アルコールランプは、LEDの小さな電球とソケットを
入れて、お店のペレットストーブの上に飾った。新旧の道具のコラボだけど、いい感じの灯りが、珈琲を
飲む空間を暖かく見守ってくれている。褒めてくれる人には「ランプのカフェと呼んで」と冗談をいったりして・・
洗い板は、だいたい人の背の高さ。着物のサイズだから、そうなったのだ。昔から、そのサイズのことを
「身の丈をこえないサイズ」として、調子にのって、生活のレベルを上げたり、事業の幅を広げる人に、警鐘を鳴らす戒め言葉
のように使われてきた。
道具とは、「道(人生の道・茶道・華道・酒道・珈琲道・・)に具わるモノ」である。
先週、となりのとなりの「経師屋」(きょうじや)のKさんが旅立った。「経師屋」ふすまや障子の張り替えや、掛け軸の修理などをなりわいにする仕事。もともとは、美術品や調度品として用いられる掛け軸とか屏風を製作する職業の人々を経師(きょうじ) といい、
それが「経師屋」になった。美術品の修理、経文の修理などもやった。天真庵の二階の壁に、弁柄色(ベンガラ)の和紙を張って床の間風
にしてくれたのもKさん。口はすこぶる悪かったけど、いい人だった。
生前、仕事に使っていた板を二枚もらった。二月堂(和室の机)にでもするか?と置いていたけど、文庫ちゃんが
お店の二階に「囲炉裏」を作りたいというので、昨日いっしょに運んだ。義太夫や落語などをやる時、端っこに囲炉裏
があって、鉄瓶に徳利酒がつかっている・・・そんな風流な場所にきっとなるはずだ。できたあかつきには、能登の亀泉を
風呂敷に包んで、お祝い酒にしよう。街は時代とともに移り変わっていく。でも古いも新しいもない「ホンモノ」は
残しておきたいものだ。感謝。