仕事も生活も「身の丈をこえない」程度がいい

いっしょに、青山が本拠の織田流煎茶道を学び、天真庵の書の教室にかよわれていた洗い張りのMさん。
着付けも上手で、うちのお客さんも、ハレの日にずいぶんお世話になった。
12月でお父さんの時代からの2代になる「洗い張り屋」の緞帳が下げられた。
かっぽれの高口先生を紹介してくれたのも、彼女だ。キラキラ商店街にいく道すがらにあったお店のシャッターがしまり、
もうすぐ解体される。寂しいかぎりだ。かっぽれ、は幇間芸(ほうかんげい)あまり知る人もすくなくなってきた。

聞きなれない「洗い張り」。古い着物を解いて反物(たんもの)の状態に戻して洗い、布のりを引いて、湯のしや伸子張りで反物の幅を整えることを洗い張りという。古いものを大事に育て、次の世代に渡していく、日本人らしい伝統的な技術。
大量生産の使い捨て文化の昨今、時代の流れに押し流されていった。「もったいない」

そんなMさんが、箪笥とか、衝立(ついたて)、洗い板(反物をほす板)、アルコールランプ・・・
など、捨てるに忍びないものを、たくさんくれた。
箪笥と衝立は、先月雪の中、引っ越しのサカイさんが能登の家まで届けてくれた。衝立は、玄関に
置いてある久保さんの信楽の大壷の後ろにおいた。アルコールランプは、LEDの小さな電球とソケットを
入れて、お店のペレットストーブの上に飾った。新旧の道具のコラボだけど、いい感じの灯りが、珈琲を
飲む空間を暖かく見守ってくれている。褒めてくれる人には「ランプのカフェと呼んで」と冗談をいったりして・・

洗い板は、だいたい人の背の高さ。着物のサイズだから、そうなったのだ。昔から、そのサイズのことを
「身の丈をこえないサイズ」として、調子にのって、生活のレベルを上げたり、事業の幅を広げる人に、警鐘を鳴らす戒め言葉
のように使われてきた。
道具とは、「道(人生の道・茶道・華道・酒道・珈琲道・・)に具わるモノ」である。

先週、となりのとなりの「経師屋」(きょうじや)のKさんが旅立った。「経師屋」ふすまや障子の張り替えや、掛け軸の修理などをなりわいにする仕事。もともとは、美術品や調度品として用いられる掛け軸とか屏風を製作する職業の人々を経師(きょうじ) といい、
それが「経師屋」になった。美術品の修理、経文の修理などもやった。天真庵の二階の壁に、弁柄色(ベンガラ)の和紙を張って床の間風
にしてくれたのもKさん。口はすこぶる悪かったけど、いい人だった。
生前、仕事に使っていた板を二枚もらった。二月堂(和室の机)にでもするか?と置いていたけど、文庫ちゃんが
お店の二階に「囲炉裏」を作りたいというので、昨日いっしょに運んだ。義太夫や落語などをやる時、端っこに囲炉裏
があって、鉄瓶に徳利酒がつかっている・・・そんな風流な場所にきっとなるはずだ。できたあかつきには、能登の亀泉を
風呂敷に包んで、お祝い酒にしよう。街は時代とともに移り変わっていく。でも古いも新しいもない「ホンモノ」は
残しておきたいものだ。感謝。

月曜の朝は卵かけごはん ナイトキャップはカルーア・ミルク?

いつもは、「能登休み」を真ん中にとるので、「卵かけごはん」
は、月に2度くらい。今月は「味噌つくり月間」なので、休み返上で
毎週やっていた。今日が最後で、3月はまた第一週の月曜日から「能登休み」だ。

10年以上、雨が降ろうが槍が降ろうが、北朝鮮のミサイルが飛んでこようが、毎週必ず卵かけごはんを食べて、「ほぼぶらじる」を
100g買っていかれる常連様がおられる。しかも、会社にいく途中。押上で途中下車して、
走るように歩いてきて食べて、また走るように歩いていかれる。そのせいで「ごはん、みそ汁半分」
が彼の特別メニュー。頭が下がる。

限りなく透明に近い下戸であるその人に、「カルーア・ミルクって、知っとーや?」
と聞いてみたら、「東京ではじめて飲んだカクテルです」と答えた。
実は、押上や錦糸町界隈の居酒屋で、「キンミヤの珈琲焼酎を牛乳で割る」という、いわゆる和風の「カールーア」
が流行っているらしい。ミルクの代わりに豆乳でまぜることもあるらしい。
そんなこともあって、「お店で珈琲焼酎」の人たちに、UFOが使われはじめた。
もちろん「家で珈琲焼酎」もOK牧場だ。

レシピは簡単。キンミヤの720㎖の瓶に、「焙煎したての珈琲豆(できたら、少し深め。できたらモカ系)を25gから30g
入れて、一か月ほど待つ)」濃い原酒ができたら、新しいのと混ぜ、うなぎやのたれよろしく、自分流の酒をつくる。
ソレダケ。

昨日は、ベテランの「そばもん」がそば打ちにきた。珈琲のお弟子さまでもあり、UFOで焙煎もしている。
京都の大学をでていて、学生時代はからふねやのファンであったらしい。
お酒は日本酒党で、毎月能登の酒を頼まれ、車で「亀泉」などを北前船よろしく運んでくる。
昨日も、日本酒を2本入れるダンボールを持参で蕎麦打ちにきた。でも、今月は能登にいっていないので、
空振りで空のダンボール箱を持って帰る憂き目になった。少しかわいそうになり珈琲焼酎をおわびにあげたら、
「はまりそうです」といって笑った。うちでそば前を3合ほど飲む酒豪なので、家でカルーア、とはいかないと思うけど、
ナイトキャップには、いいかもなんばん。

今日も「味噌つくり」・・・いよいよ「あと、ひとり」が、何日かあって、味噌つくりも終わる。
来週は3月やね。梅が終わり、桜はまだかいな、の春うらら。感謝。

今日は「ヨガ蕎麦」の日。よがった後の蕎麦が美味い!?

昨日は、旅する常連さんが蕎麦を手繰りにこられた。70代男性。
開口一番、「来月ハシモトにいってきます」とのこと。
しばらく、認知症の人みたいに、「???」と思っていたけど、しばらくして
「橋本食堂」だとわかった。
能登の家から、車で15分のところにある、てんぷらとおでんのお店。創業50年。

先月は、東京からかっぽれ女子(先生80歳も含む)が、そこを目当てに
能登にやってきた。宿は食堂から徒歩5分の「湖月館」。
ぼくも大好きな旅館なので、いっしょに泊まって、能登の山海料理に舌鼓を打って、
酒を酌み交わした。翌月は、近くの海岸で「さくら貝拾い」をした。

大学時代の友達夫婦も、昨年秋にこの旅館に泊まっていっしょに酒を飲んだ。
昔から小説家たちや歌人たちが長逗留して作品をつくったりしたした宿で、調度品や
本棚の書籍などに、文化を紡いできた歴史がある。
福永武彦随筆集の『遠くのこだま』の中の「貝合せ」を読むと、この宿や大女将のことが書いてある。
能登に家をもってから、一番残念なのは、旅人気分でこの旅館に泊まれないことだ。
ときどき、UFOで焙煎した珈琲豆をもっていったり、近くの海で釣ったタコをもって
いったりすると、昭和16年生まれ(かっぽれの先生と同じ)の大女将が、女学生みたいに
屈託のない笑顔をくれたり、自作の「ピーマン味噌」をくれたりする。

橋本食堂のおでんは、冬限定(3月いっぱい?)なので、こんどの「能登休み」が待ち遠しい。
「めぎす」でつくるつみれの味は秀逸。能登は豆腐が全般的に美味いので、豆腐・厚揚げも最高で、
それだけで3合が腹におさまる。

その常連さんは、湖月館に二泊するらしい。そのうち、どちらかが「夕食ヌキ」で、橋本食堂にいく。
ぼくが提案したプランだけど、「新しい能登の旅」のモデルになりそうなくらいグッドなプラン。

昨日の味噌つくりのトリは、甥っ子の「こうたくん」夫妻(奥さんのおなかに子供ができたので、3人)。
こうたくんが、実の妹のおなかにいた時、ぼくは京都で骨肉腫の手術をしたり、けっこう死線を徘徊していたので、
妹には病気のことは内緒にしていた。彼のおとうさんのヨット「卑弥呼」の上でこうたをだっこしながら
ビールで乾杯した写真が残っている。幼稚園のころ、三輪車で遊んでいる写真を、広告に使ったことがある。
最初に企画したコンピュータの学習プログラム「パソコンらくらくレッスン」の広告。大ヒットした。
そんな幼い甥っ子も、おっさんになり、おやじになる。うちの母親は来月91歳になり、4人目のひ孫の誕生を
楽しみにしているみたいだ。息子(ぼく)に、牛乳石鹸の赤ラベルを使わせ、色白にする、という計画は、なかば
あきらめているみたいだけど・・。ラベルが赤いとか、顔が黒い、白いとか、男だ女だ・・などは不問な時代になるかもなんばん。

今日は16時まで営業。それから「味噌つくり」「そば打ち教室」「UFO焙煎塾」二階では「ゆるゆるヨガ」
明日の朝は「卵かけごはん」
二月が「逃げる」ように去っていく。「新しい戦前」みたいな雰囲気の時代になってきたけど、
けっして「新しい戦中」「新しい戦後」にはならないように、みんなで祈りたいものです。感謝。

電気代の節約方法!

毎日、井戸端会議よろしく、味噌端会議。
「電気代が3万いった」とかいう声が多い。
最近のマンションは、オール電化しかも床暖付きが多い。
おとっつあんが、ひがな家でオンライン仕事をしていたり、床暖で尻まであったか、
という暮らしの人は、月に電気代が3万とか5万とかいくみたいだ。
5万とかいったら、少し郊外の家を借りれば、庭つきの立派な家が借りれる。
能登だと、「プラス海つき」も大丈夫。庭と海がついていたら、自給自足率が
かぎりなくOに近くなる。しかも空気と水が、東京とは次元が違う。

昨日、東京のお店の2月の電気代の請求書がきた。7800円くらい(今月は味噌つくりで、能登休みもないのに、この安さ)。
創業した2007年から、電球はみなLED。エアコンは夏のみ。
冬は、炭火焙煎の後、火鉢に炭をおこして、薬缶をかけている。
室内温度が15度を下回ると、ペレットストーブをつける。冬はその上で、大豆をゆでて
味噌つくりをしたり、能登牛のすじをコトコト煮たりしている。(夜は鍋をおき、チロリで燗酒もできるよ)

二階のPCとかラジオとか、ときどきアイピローつくりにミシンなどを動かす。その電力は
すべて、天気のいい時に作るソーラからとって蓄電池にためた電気を使用している。
もちろん、築78年になる長屋には、床暖はない。でもペレットストーブや炭火の「輻射熱」
というのは、「あたたかい」という意味の奥行がまったく違うくらい、暖かい。

5年くらい前、まだ能登に移住する前に、ひょっこりひょうたん島(能登島)で「のて」というイベントにいった。
「能登の手仕事」を略したイベント。そこに集まった若者たちが、持ち運べるソーラと蓄電池をつかって、
PCやスマホを充電していた。車の運転中も蓄電できる。「これいいな」と思って、すぐに購入した。おかげで、電気代がかなり安くなった。
能登の家は、ガスも契約していない。カセットコンロと、能登珪藻土七輪で、料理や珈琲をつくる。
風呂も近くの町営の温泉にいく。65歳以上は260円。露天風呂もあるし、いろいろなトレーニングマシーンも完備。
トイレは、カナダから取寄せたコンポストトイレ。水は、近くに「藤瀬霊水」があるので、その水を汲んでくる。
そんなわけで、水道代は最低料金。トイレをつくる時に、合併浄化槽を100万くらいかけてつくった。
コンポストトイレのお金と、改装費で200万くらいかかった。それの30万くらいを、街の助成金を得てやった。
そしたら、役所から「30万助成したのに、ほんとうに住んでいるのか?」の問い合わせ。来月、わざわざ調査に家
にくるらしい。そんな風だから、一事が万事で、都会から若者が移住する流れをとめている。

裏技だけど・・・石油ストーブのタンクに「元気シール(TQ処理されたもの)」をペタっとはると、石油の
減りがおそくなる。車の給油する口あたりに貼ったら、燃費がかなりあがる。(車種とかによっても違うけど)
地球の資源や、存在そのものが危うくなってきたけど、そんな時こそ、新しい「叡智」が萌芽したりする時かもなんばん。
来週やってくる「波動スピーカ」(なんやら、とかいう正式名称があるばってん)は、まこと不思議な未来のオーディオ。
この世の中、すべては「波動」によってできている。音楽もそう。体の細胞の隅々まで一瞬にして染みこむような「音」を
生まれてはじめて(昨年末に、長崎のギャラリーでも近いもんを体験したばってん)体感。

昨日の夕方、文庫くんが伊勢屋のお菓子をもって珈琲を飲みにきた。
「そばもん(そばのマンガ本)を長く借り過ぎたおわび」だそうで、「そばもん1」をカウンターにおいた。
彼は「押上文庫」という不思議なお店を近くでやっている。一階は「居酒屋」。二階は畳部屋で、
女義太夫の稽古場になったり、ときどき落語や義太夫をやったり、機織り教室などが催されたりする。
この界隈には、まだ「畳のある家」が残っている。
そんな人に「囲炉裏をつくったら」と提案している。昨日は文庫ちゃんに、「令和の囲炉裏つくり」のアイデアを伝授した。
きっと、彼なら実現させるに違いない。感謝。

味噌つくりも終盤・・・

水曜日は、お店のステンドグラスをつくってくれたあいちゃんが、
味噌つくりにやってきた。前日近くの主婦?たちを集め、築地にいって、
昆布や鰹節などを調達して「出汁をとる会」をやったらしい。
ところが、築地で生徒たちと飲み過ぎて、二日酔い、ということ。
相変わらず、「ごうかい母さん」だ。

昨日は、お昼から6人の味噌つくり。ひとり一時間の時間割でやっているので、
終わったのが6時。かたづけとか、これからの味噌つくりのために、寸胴に大豆を入れ、
水につけたり・・・で、昨日は香取神社にお詣りの後の、買い物くらいで、万歩計の数字が
あまり動かなかったけど、かなりの運動量ではある。

昨日最初の女子は、大豆のゆで汁を入れるペットボトルのかわりに、「還元くん」
でつくったお茶を持参され「これ水素でているか、測ってください」とのこと。水素の計測器で
測ると、ほとんどぼくの万歩計状態で、針がうごかない。
「ちゃんと40度のお湯をいれてますか?」と聞くと、「めんどうなので指いれて、『いいかな?』と適当
にやってます」とのこと。「ぼくの体じゃないけん、しらんばってん、せっかく健康になりたくてやっているんだったら、
まじめに温度計で測ったほうがよかばい」と助言。「はい」と返事はいいばってん、実行しないのが彼女の悪い癖だ。

いろいろ説明したら、このカウンターに座っていると、「落ち着く」とおっしゃる。
「タキオン(マイナスイオンを滝の2000倍つくるらしい機械)があるけんね」というと、
「買おうかな、どうしようかな・・・26万というのは大金やね・・・」とツイッター状態。
水素がちゃんとできているうちのお茶を二杯ほど飲んで、トイレに二回いくたびに
「色は白にしようか紫がいいかな?」とか「どこにおこうかな」と、ブツブツツイッター。
「迷った時は、買わんほがよかよ。うちに珈琲飲みにくれば、マイナスイオンも浴びれるけん」というと、
「やっぱり買います」と決心して、タキオンを買っていかれた。

入れ替わりの女子も、昨年体の調子をくずし、「還元くん」でつくる水素茶を毎日飲んでおられる。
「ちゃんとお湯の温度測ってる?」ときくと、「ぬる燗を毎日晩酌しているので、指いれてやってます」とのこと。
「人肌は36度くらい・・・プラス4度ばい」というと、「やっぱり今日から測ります」といって笑っている。
毎日のことだけど、女子たちは、朝は「5分」が格闘みたい。「時間というものは、ほんとうはこの世に存在しない。
その人の『おもい』で、長くなったり、短くなったりする」ものらしい。だから「今ここ」が大事なのです。

次にやってきたのが、むーつん。家業を手伝いながら、エッセーなどを書いておられる。ぼくのお茶のお弟子さま
でもある。お店の黒板書いてにあるUFOの説明文を読んで噴き出してしる。
「珪藻土プラス炭火で、肉や野菜を焼くと、おいしくなる。同じように、このUFOで
珈琲豆を焼くと、だれが焼いても、おいしい珈琲豆ができる」
と書いてある。「師匠、これだと、『UFOで肉や魚を焼ける』と勘違いする人がいますよ」とのこと。
理屈はあってるけど、「それもおもしろい」と思って、そのままにしている。
その黒板の左横の壁には、UFOの取っ手に紐をかけてつるし、掛け花のように、花(造花)を投げ込んである。
むーつんイワク「私の部屋に、同じように飾りたいので、花もいっしょに売ってください」とのこと。
「珈琲は・・?」と問うと、「私はお茶しか飲まないので、UFOをカケハナにします」とのことだ。

休み返上の二日間だったけど、奇人女子があまたこられ、抱腹絶倒の水木やった。感謝。

新宿ゴールデン街から寒中見舞い

新宿ゴールデン街に「洗濯船」というお店があり、そこのママ・ゆっこさんから
寒中見舞いが届いた。今年で47年になる。ママは大学を卒業してすぐにお店を始めた。
ぼくより7つ年上なので今年でオントシ74歳。いつもブログには、75歳の散歩じいちゃんや、
能登の食堂のばあちゃんの話が登場するけど、よくよく考えると、不肖野村もじいちゃんの神域だ。

「洗濯船」とは、パリのモンマルトルにあった集合アトリエ兼住宅のことである。パブロ・ピカソ、ジョルジュ・ブラック、フアン・グリス・・・・多士済々の芸術家やアーティストを輩出した街の象徴である。

昨年その洗濯船のゆっこさんが蕎麦を手繰りにこられた時、「うちの10周年のパーティーの写真に野村さん写ってた」
といった。ずいぶん古い話のようだが、昨日のことのようで、人生と同じくあっという間の話。
彼女は、日本舞踊もやり、最近は押上文庫の二階でやっている、「ジョギ」(女義太夫)の教室にも通っておられる。

寒中見舞いに「親子二世代の来店も感無量です」とあった。

昨日は、「NUSUMIGUI」くんご夫婦と、両親ご夫婦、その二世代の母娘の行きつけ美容室のご夫婦、合わせて
6人が「味噌つくり」にこられた。そば前みたいな「味噌前」に、ビールやお酒を飲み、味噌の後に
そば前の酒を飲み、そばを手繰って〆る・・・ずいぶんにぎやかな会になった。

味噌つくりのトリは「たねちゃん」。
近くにできた専門学校の近くで、珈琲屋を始めて今年2年目だ。悩める学生たちが珈琲を
飲みがてら、恋の話や、将来の話などに花さくお店。
ボブデュランの曲は流れていないけど、さながら「学生街の喫茶店」だ。
「お流れ」のように時々蕎麦を手繰りにきたり、珈琲を飲みにくる学生と話が盛り上がることがある。
昨日そばを手繰りにきた「三回生」(関東では三年生?)に親の歳を訪ねたら、迷わず「50です」とのこと。

自分が学生時代、京都の「安兵衛」でおでんを食べていたころの子供が大学生の親になっている、ということか。
洗濯船のハガキの裏には、彼女がひねった一句があった。

おでん酒 恋の手順を 聞かれをり

半世紀近く「おでん酒」を飲んでいるけど、その道の卒業証書はまだ先だ。感謝。

月曜の朝は卵かけごはん

昨日、近くのお世話しあうハウスの女将さんと、そのハウスで
最高齢の94歳のおばあちゃんが、3時ころ蕎麦を手繰りにきた。
女将さんにとっては、認知がいちばんすすんでいて手こずっている女性らしい。
耳が遠くて、5分前のことを忘れてこまる、と口癖のようなことをいっておられるが、
ここで見ているかぎり、耳も聞こえているし、しっかり(さすがに94歳だから、日常のことに多少不便はあるだろけど)
したおられる。

だいたい2時か3時にこられる時は「この人ぼけて、朝から何も食べてないとうので、いつもの
あったかい牛すじそばをお願い。量は少なめ。私はお昼すませたので、ホボブラジルね」というパターンが多い。
女将さんがそばを食べる時も「少なめ」といわれるので、普通一人前150gの生そばを100gにする。
その94歳のおばあちゃんは、一度100gにしたら、ぺろっと完食し、カウンターの中に「もうちょっと食べたい」目線を
投げかけたので、「少な目」といわれても、普通と同じく150gを投じて、牛筋そばをつくる。
黒七味は、女将さんが手にとり「入れ過ぎたら体に毒だから」といって、少し投じる。でもちょっとしたスキを見つけて
自分で追加したりする。その時もカウンターの中に視線をあわせ、舌をかわいくだして、首をすぼませたりする。
そのあたりの所作がかわいらしくて、女将さんいわく「この人、なんだか知らないけど、病院の先生とか、お寺の坊さんとかに
モテるのよ」

つゆそばの場合、そばを手繰った後に、丼の御汁に片口に入った蕎麦湯を入れる。
その時、直接口に入れようとするきらいがあるので、いつもあらかじめ、少しぬるめの蕎麦湯を
用意している。女将さんもこころえていて、七味と同じように自分の手元に備前の片口をよせて、
「いれるわよ」と合図して、丼にいれてあげる。
いつも、繰り返される風景だけど、アウンの呼吸のようであり、お点前のようでもあり、ぼくたちが
「いずれいく道」の案内人たちのようなやさしさが感じられたりして、こころなぐんだり。

今朝は「卵かけごはん」
昨日はじめて味噌つくりにこられた結婚ほやほやカップルが、一番にきてくれた。
味噌は完成する年末までお預けで待ち遠しいが、きっと彼らのあさごはんにTKGの回数が
多くなるように思う。
今日は「NUSUMIGIご一同様」が、味噌つくりにこられる。にぎやかな月曜日になりそうだ。感謝。

天真庵に宇宙人からのメッセージ?

♪毎日毎日ぼくらは鉄板の・・・・
昔流行ったたい焼きソングじゃないけど、毎日毎日味噌つくりで、朝から寸胴(大豆と水を二日つける)
石油ストーブとペレットストーブにかけて、ことこと煮ている。幸せな香りにつつまれ、それがみんなの
「手前味噌」になることを思うといい気分になるので♪いやになっちゃうよ・・はないばってん。
若い人、昔若かった人、これから若いといわれる子供・・・多士済々の人たちが「菌活」にこられる。
蕎麦湯は、そばを茹でたお湯で、ビタミン・ミネラルのほかにルチンという女性の味方みたいな成分が
いっぱい入っている。ので、そばを手繰った後の汁に入れて飲む、のが昔からのならわし。
同じように大豆の煮汁も、捨てがたい栄養のかたまりなので、その場で飲んでもらったり、ペットボトル
に入れてお持ち帰り、というのがならわしになっている。

昨日も一年ぶりに「ぬすみぐい組」(今流行りの強盗ではない。NUSUMIGUIというデザイナーの仲間たちで、
同業・陶芸家・料理人・アーティストなど、幅広く活躍している人たち。最近の雑誌などに、それぞれの分野で
活躍しているのが紹介されている)のとあるカップルが、味噌をつくりにきた。
井戸端会議よろしく、近況を風発していると「来月結婚することになりました」、とのこと。
お祝いに、一番直近に仕込んだ「珈琲焼酎」をあげたら、喜ばれた。
「これ、UFOで焙煎したモカをキンミヤに漬けるんですよね」と、お返しのようにうれしい返事。
「ぬすみぐい組一派の間ではUFO焙煎が浸透している。
「私たちもUFOもっていっていいですか?」というので、焙煎と珈琲焼酎のやりかたを伝授させたもろうた。
その日の朝、陶芸家の久保さんに電話したら、
「3月までは忙しくて、UFOはつくれんばい」とのこと。在庫が米櫃の底状態になってきた。

とり(一番最後)は、梅林ガールズのふたり。昨年能登デビューし、今年の夏は梅仕事にチャレンジ。
バッハのCDが終わって、お店の中がシーンとした時、「あれ、これラジオですか?」と聞かれたので
「今は、なにもかかってないよ」と答えた。
筆子さん、梅林ガールズの3人が「ラジオみたいな声がする」というので、井戸端女子会に近づいて耳を
すませていると、確かに「ラジオみたいな・・・?」
2階にいって確かめたら、二階のラジオはオフ・・・?
「ついにUFOからのメッセージかな」と冗談でいったら、3人が真顔で声の源流をさがしている。

ひとりの女子と、お店の外にでた。プランターから声が聞こえる・・・なんとも不思議な世界につつまれる。
しばらくして、その女子が真っ赤な顔して「原因はワタシでした」と笑った。
ポケットの中のスマホが、味噌つくりのなにかの所作で、ラジオモードになったらしい。
おれおれ詐欺も「そんなはずはないけど、娘(もしくは息子)という相手から電話がかかってきた時、
信じ込む」という心理に共通している。

くれぐれも「多様化する詐欺」にご注意を・・

今日も16時まで。それから「味噌つくり」「UFO焙煎教室」「そば打ち教室」
明日の朝は卵かけごはん。

UFOは、ふたつの未来をつくる器?

こないだ、ツケで蕎麦を手繰っていかれたかっぽれの先生が、味噌つくりにこられた。
80歳にして、矍鑠(かくしゃく)としておられるのは、「毎朝の味噌汁のおかげ」と笑っておられる。
手前味噌歴も10年になる。「生きているうちに、もう一度能登にいってみたい」ということで、
先月能登にこられたけど、湖月館の大女将とも同じ昭和16年生まれで意気投合し「お祭りもみたい」
となって、今年の夏の祭りにも能登路を旅することになった。

そんな楽しい味噌つくりをやっていたら、髪を赤く染めた女性がカウンターにとまった。
「玉さん?」(元浅草芸者で幇間(ほうかん かっぽれは、幇間芸のひとつ)こと故・悠玄亭玉さん
の再来かと思った(笑)生前彼女は、ほぼ毎日天真庵にこられた。こばなという犬つれて。
座るなり「あ、味噌つくり・・・私はこないだまでやってたけど、今は断捨離で
梅干しだけつくっている」とのこと。
珈琲を所望されたので、「ほぼぶらじる」をネルでハンドドリップしてだす。
「モカがきいていて美味しいね・・・?」
「ありがとうございます」と返事しながらこころの中で・・「この人ただものじゃない(笑)」

「ショールームに『UFO売ります』と書いてあるけど、モカはUFOで焙煎するの?」と質問一。
「ハイ。モカの二種をUFOで焙煎させてもらっておりまするばい」と答えたら、
「UFOはおいくら?」と質問二。
「一億円ですばい。ばってん常連さまは一万円ぽっきり」と答えた。
「私はじめてこの店に入ったけど、いくらになる?」と質問三。
「一度きたら常連さまなので、一万円でよかです」と答えたら、大声でカカカッと笑いながら、
「なんか得した気分なので、『還元くん』もください」という。
在庫に白と赤絵があったので「どちらにしますか?」と尋ねたら・・・ニヤリと笑って
「私が白にするわけないでしょ」と。そして上目使いに自分の髪の毛を指さした。
「なるほど、赤絵でペアルックですね」

珈琲を飲み干し、「お勘定して」となり、
「一億・・・が、常連さま割引で36500円也です」といったら、
「昨日年金(15日に支給 二か月に一度)が入ったので、将来に投資ね」と笑った。
「女性に歳聞くのは失礼ですが(とかいいながら、だいたいいつも聞く)いくつになられます?」
に、「まだ75歳・・青春」とのこと。
「今の食生活だと、味蕾(みらい)がだめな人が多いよね。珈琲を焙煎すると、五感を使ったり味蕾がリセットされるでしょ。
もともと、味蕾とか五感は、動物が『これ食べても平気?』という命に直結するもんだったのよね。それがダメな現代人は、
立っていても、座して死を待つみたいな人ばかりね。このUFOは、『元気で長生きできるコツの器』だと思うわ」
といわれた・・・「長生きのコツ壷か?」と、こころのなかでつぶやく!

そのまま、「UFO売ります」の看板の横に貼りたいような文言だ。感謝。

今日明日も12時から16時。それから「味噌つくり」「そば打ち」「UFO焙煎教室」

白雲は幽石を抱く

寒山拾得(かんざんじっとく)の寒山が書いた「寒山詩」の中にある言葉。
禅語としても人気で、禅林たちがよく揮毫し、茶掛けなどにもなっている。

先月、かっぽれ女子たちが能登へ遊びにきて、帰りはいっしょに東京まで車の珍道中。
いつも、妙義山あたりで高速道路から不思議なホテルが見える。コロナ禍の中でも、ポツリポツリと灯りが灯り、
「辺鄙(といっても、東京から100kくらい。車で一時間ちょい)なところだけど、人気があるホテルやな~」
と思っていたら、かっぽれ女子のひとりが「あれ、妙義グリーンホテルよ」だといった。
IT時代、取引先の会社の出身が、その界隈だったので、よく泊りがけでゴルフにきていた場所でもある。
その当時は、ゴルフが夢中で、妙義山の四季折々の眺めなど馬耳東風で、ひがな小さな白球の飛び方、ころがり方ばかりに一喜一憂していた。

「なぜ、このへんに詳しいの?」と尋ねたら、「父の出身地なの・・・50で逝きましたけど」という。
「失礼だけど、お父さん何されていたの?」と、問うと「画家でした」とのこと。「来月、富岡市立美術博物館で父の絵が展示されます」といった。その時は「ふーん」という感じで終わったけど、その後に、そこの入場券が彼女から届いた。その券にも、お父さまの
「あぜ道」という絵があった。北條聰さんの代表作のひとつ。
「よし、今年の味噌休みは、妙義山を堪能しよう」ということになり、くだんのホテルを予約して、二泊三日の群馬の旅をした。

そのホテルはゴルフ場に隣接してホテル。地下が温泉になっているけど、高度が高いので、露天風呂から妙義山の仙境が
一望される。都心からも近いので、高齢者が湯治場よろしく、長逗留されたりしていた。「これも老後のありようのひとつだな」
と思った。もちろん古希越えの人たちでゴルフと宿泊のパックの人もずいぶんいる。
食事は朝食夕食ともバイキング方式だけど、飲み放題、食べ放題なので、追加料金がなく、安心システム。一泊一万でおつりがくる。
ぼくはもっぱら、自動の燗つけ機のボタンをおして、地酒のぬる燗を、田舎料理をあてに毎日3合飲んだ。
朝も5時から温泉に入れるので、「小原庄助さん」になった気分だ。

ヒンズー教には、四住の考え方があるらしい。
「学生期」 勉学に勤しむ
「家住期」 家にあって家族を養う時
「林住期」 勤めが終わり、野や山など自然に触れる
「遊行期」 家をでて、放浪・旅をする

日本人は「まじめ」で、「旅行」はするけど、「旅」や「放浪」をする、には
なんとなく世間の目を気にする?みたいなところがある。
どうもこの放浪して野垂れ死にする、というのが究極の生き方のような気がしている。

妙義山は、いくつもの峰々の総称で、金洞山、白雲山、金鶏山からなる。
ちょうど、朝まずめの白雲山に、白い雲がかかるのを、朝の露天風呂から見た。
まさに

白雲は幽石を抱く

この星には、国境もなく、敵も味方もなく、色が黒いも白いの差別なく、わたくしと他人もなく、男女も中間の差別もなく、
みんな混然一体のまあるい世界。感謝。